笑いに関する名言集――幸福と笑い 不幸と笑い
笑えるもの好きが高じてお笑いも好きになったわけですが、お笑いに関する名言集というのがまあないんです。あっても名言集の隅にちょっと集まっているくらい。ならば自分で作ってしまえと思い、こうやって集めています。
ここでは笑いの名言を以下のみっつのどれかに当てはまるものとしました。
今回は笑いと不幸の関係性について述べている名言を集めてみました。笑いと不幸。一見、関係がなさそうですが、己の災難を笑い飛ばしたり、大変なさなかに笑える事態に出会って随分救われたり、もちろん不幸をネタにしてみたりと、実は密接に関係している。そのためか、笑いに関する名言の中では比較的多く見られます。
ただ、笑いと不幸の関係は複雑なようで、人によってかなり性質の異なる名言になっています。では、早速紹介して参ります。
ショーペンハウアーはドイツの哲学者で、彼の思想は生前よりもむしろ死後に流行し、ニーチェなどに大きな影響を与えたとして評価されています。
生きることは苦痛を意味している、などなど、割とこの世をロクでもない感じにとらえている思想で知られていますけれども、笑いに対しては分かりやすい記述が残っています。ちなみに、「パレルガとパラリポーメナ」はドイツ語(Parerga und Paralipomena)のカタカナ表記が混ざっているため変な暗号のように見えますが、日本語訳タイトルですと「余禄と補遺」となっておりまして、翻訳したら翻訳したで難解さがしっかり残っている感じになっています。ショーペンハウアー最後の著作ということで、それに上記の名言が遺されていると考えると、彼の人生観が垣間見える気がします。
続いてはこちら。
ヒッチコックはイギリスの映画製作者でございまして、「サイコ」や「鳥」などサスペンス映画やスリラー映画で映画史に名を残している人物です。
しばしば「恐怖と笑いは紙一重」みたいな考え方を見聞きしますし、ホラー映画の撮影現場では笑いが絶えないなんて話もございます。怖い映画を撮りまくって成功したヒッチコックが「何もなくなったとしても笑いがあるじゃないか」と励ますような名言を遺したことと無関係ではないのかもしれません。ヒッチコックも意外と朗らかに怖い映画を撮っていた可能性があります。
似たような名言は他にもあります。
夏目漱石は近代日本文学を代表する人物のひとりで、「吾輩は猫である」などの作品で知られます。「坑夫」は夏目の長編小説であり、とある青年が家を飛び出し鉱山で働くお話です。
これも「笑いがあるじゃないか」的な名言ではありますが、ニュアンスは異なります。同じ励まし系にしたって、励まし方がちょっと違っているわけですね。どちらが染みるかは日によって異なりそうです。
笑いの効能について書かれた名言もございます。
サンダースはドイツの辞書編集者でございまして、その名の通り辞書の編集の他、翻訳、詩作などの活動でも知られます。
まだウィキペディア日本語版には項目がない人物ではございますけれども、この名言はポジティブさと言葉の綺麗さのせいか、検索するといろんなサイトがよく出てきます。
笑いの効能としては、身体的または心理的にしんどい時でも、フッと軽くさせるものがある点がございまして、似たような内容の名言は他にもございます。奇しくも同じ年に生まれた人物の名言です。
メルヴィルはアメリカの小説家であり、代表作「白鯨」は非常によく知られております。生前はついに文章で食えず、生活に追われながらの執筆だったようですが、死後30年経った頃から再評価されるようになり、現在では多くのパロディを生み出しています。
片足を食いちぎられた復讐を果すために白いマッコウクジラ「モビィ・ディック」を追い求める話で、全体的に暗いお話のようなのですが、そんな中だからこそ上記のような名言が書かれているのが意外というか当然というか、そんな相反する感想がパッと出てしまいます。
笑いの効能として別の視点から語った名言もございます。
ディケンズはイギリスのヴィクトリア朝時代を代表する小説家で、上記の「クリスマス・キャロル」は彼の代表作のひとつとなっています。
病気や悲しみと同様、またはそれ以上に笑いと上機嫌は他人に伝染しやすい効果があるとディケンズは作品内で語っています。確かにそういう側面はあるかなと思います。
さて、こんな効能のある笑いがどうして誕生したのか。そこに触れた名言もございます。
ニーチェはドイツの思想家であり、「実存主義」と呼ばれる考え方の代表的な思想家のひとりと目されています。
そして、前出の通り、ショーペンハウアーの影響を受けているせいか、この世にいい印象を抱いていないようで、上記のような名言が遺っております。
笑いの効能から考えると、笑いの誕生理由としてニーチェのようなことを考える人が現れるのは無理もない話なのかなあと思ったりもします。
ちょっと違った視点の名言もどうぞ。
トウェインはアメリカの小説家でございまして、「トム・ソーヤ―の冒険」などの作品で知られ、その作風はユーモアと社会風刺に富んでいます。
著作の「赤道に沿って」は、小説家として大成したものの投資の失敗などで破産したトゥエインが、借金返済の一環として世界中で講演活動した際の出来事を描いた旅行記となっています。訪問先はオーストラリア、ニュージーランド、インド、南アフリカでございまして、イギリスによる植民地支配の実情にも触れているようです。また、「赤道に沿って」の売り上げも借金返済に充てられました。
トゥエイン自体は別にそこまで暗い作風とは思いませんけれども、「赤道に沿って」が書かれるまでの背景や彼の巡った国などを知ってから上記名言を読みますと、一層考えさせられるものがあります。
トゥエインは作品に諷刺を盛り込んでいますけれども、諷刺の効能について触れた名言としてこんなものがございます。
柳田國男は日本の民俗学者であり、日本民俗学の開拓者として知られています。
「不幸なる芸術・笑の本願」は柳田が笑いなどの零落を嘆き復権を説いたとされる文芸論となっています。
諷刺の蔓延をよしとはしないけれども、でも諷刺の効果を認めてもいる名言ですね。そして、諷刺もまた笑いでございますから、笑いの復権を願う柳田としては完全に否定するわけにはいかなかったのだと推測されます。
柳田はこんな名言も遺しています。
柳田が今の世の中を見たら、そこで暮らす人々は笑いに餓えていると考えるのか気になります。
ここまでは、いかに笑いが不幸への対抗策として活躍してきたか、みたいな名言を多く紹介してきましたが、笑いだって使い方を間違えればいくらでも大変な目に遭うことができます。だから、笑いと不幸の名言でも、戒め方面のものが存在します。
ラ・フォンテーヌはフランスの詩人で、「すべての道はローマへ通ず」「火中の栗を拾う」などの言葉でも知られています。
上記の名言は、もう全くその通りですとしか言いようがございません。しかし、やらかしてしまう時はやらかしてしまう。そういう意味でも笑いは難しいと思います。
ラストにちょっと毛色の違う名言を紹介いたします。
パスカルは科学者としても哲学者としても名を残している人物で、「人間は考える葦である」などの言葉が知られています。「パンセ」はパスカルが書籍の出版に向けて書き留めていたものの集合体でございまして、早くに亡くなってしまったパスカルに代わり遺族が編纂したものとして知られています。
現在の言葉で端的にまとめるとすれば「笑いのツボが違う」というやつでしょうか。同じものを見ても泣く人あれば笑う人がいる。いや、同じ人間でも場合によって泣く時と笑う時があるのかもしれません。笑いを始めとする感情の不思議さを表した名言と言えるのではないでしょうか。
◆ 今回の名言が載っていた書籍
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