見出し画像

芸は身を助ける、ただのお笑い好きでさえも

 お笑いが好きを何かに役立てようと思ったことがありません。かたくなに拒否しているというわけではなく、お笑い好きを駆使して何かに貢献しようとの考えに及ばないだけなんです。あくまで趣味の範囲で楽しんでるだけですので、見て笑えば満足してしまうわけです。お金や時間を使って楽しむ。私としてはこれで充分に役立ったつもりでした。

 しかし、お笑いについてのあれこれだって知識と言えば知識です。知識は、言ってしまえば考えるための道具であり、使いようによっては何かの役に立てる可能性がある。

 以前シアターDというお笑い専門の劇場にちょこちょこ通っていた時期がありました。もう10年以上前の話です。収容人数100人程度の小さな劇場で、これから世に出ようとがんばる芸人たちがメインに活動している舞台でした。残念ながら2016年に閉館してしまいますが、いろんな芸人のネタが見れた思い出深い劇場である点に変わりはありません。

 その日も私はシアターDでライブを見ておりました。その日の個人的な目玉は小島よしおさんでした。当時の小島さんはブレイク前夜の時期でして、私も「お笑いホープ大賞」と呼ばれる賞レースの決勝で初めて見たばかりでした。当時、既に「そんなの関係ねえ」という例の有名なネタをしておりまして、非常に勢いがあった時期でもあります。

 舞台に出てきた小島さんは開始10秒程度で、「何メモってんだよ」と客席の私をいじってきました。当時の私は、お笑い芸人のどこがどう面白いのかを知るのに夢中で、ライブ中もちょくちょくメモを取っていました。お笑いライブに行くと、ひとりメモを取りまくる観客が何人かいるものですが、その中のひとりだったんです。

 私はお笑いが好きでしたけど、芸人にいじられる機会なんてまずありません。おまけに天性の恥ずかしがり屋もあって、気の利いた返しなんて何もできませんでした。しかし、相手はプロです。客の反応が悪い場合のくだりだって、小島さんは当然ながら用意していたのでしょう。特に空気を悪くすることもなく、例のネタへと移行します。

 ネタを楽しみながら私の頭にはひとつの考えがじわじわと浮かんできました。「もう1回、何か自分にくるだろう」と。お笑いホープ大賞の時もそうでしたけど、当時の小島さんは客いじりをかなりよくしていました。「そんなの関係ねえ」のネタ中もまた同様で、どんな反応をされようと、うまくリアクションをしてネタを継続する。「ライブに来てわざわざメモを取るようなやつは絶対に俺のネタがどういうものか知っている」と小島さんが考えても不思議ではありません。場合によっては「こいつにもう1回振ってみよう」と思うかもしれない。

 かくしてその時は来ました。小島さん独自のギャグ「オッパッピー」を言うところで、小島さんがいきなり私へマイクを向けてきました。ええ、無事に言えましたよ、「オッパッピー」。恥ずかしがり屋だって準備ができていれば、どうにかなるものです。その後、小島さんは無事にネタを終え、舞台を去ってゆきました。

 先ほども書きました通り、小島さんはプロですから、私が言えなかった場合のくだりについても当然ながら用意していたでしょう。ひと笑い叩き出すくらい簡単にできたに違いない。ただ、私はうまく言えなかったことで3日は引きずる可能性があったわけで、そんな事故を防いだだけでも十二分に「芸は身を助けた」のかもしれません。

 「こんなもんに詳しくなって何になるんだ」と自虐的に思っている方がいらっしゃいましたら、私のこの体験でちょっとでも元気になってくだされば。いや、そんな大したエピソードではありませんか。失礼しました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?