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覚えのない寄贈品

 学校に行ってふと脇を見ると「〇〇年度卒業生寄贈」という看板なり立札なりが確認できる場合が往々にしてございます。大体寄贈されているのは構内に生えいている木だったり、何らかの銅像だったり、屋外イベントで使われるテントだったりするイメージです。小学生の頃から気にはなっていたんです。「これは何だろう」と。学年が上になり、いろんな言葉を覚え、漢字を覚え、「卒業生寄贈」という言葉の意味をおおよそ把握すると私の疑問は次の段階に移りました。「自分が卒業する時は何を寄贈するのだろう」と。そんな私の疑問を月日は微塵も気にせず流れていき、寄贈するものを選ぶ場面に巡り合うことなく卒業式の当日を迎えてしまいました。

 前々からグラウンドと体育館の間で何か工事しているなあとは思っていたんです。それが卒業式当日、明らかになりました。長さ30メートル程度の小川でした。最上流にはコンクリート製の小さな建物があり、上部には当時としてはまだ珍しかった太陽電池が備えつけられていました。どうやらその建物はポンプ室のようで、下流に至った水を上流まで持っていくためのポンプが設置されているとのこと。動力は太陽電池から得た電気なんだそうです。

 私たちの代の卒業生寄贈品は、そんなちょっとした公共事業みたいなもの一式だったんです。いやいやいやいや、決めてない決めてない。選ぶ会議にも出てないし、工事費も払ってない。私の戸惑いに全然気づいていない先生方は、粛々と贈呈式を進行してゆきます。

 今になって考えれば、こういうものは大人が決めるはずなんです。子供の案で決まるなら、もっと訳の分らん寄贈品が学校中に転がってて然るべきです。テントとか植樹なんて発想に至る小学生がいたら親御さんは「小6でこんな成熟した精神性になっちゃって、大人になったらどうなってしまうんだろう」と心配になるでしょう。

 検索したら案の定、決めているのはPTAを始めとする卒業生の親御さんという情報が簡単に出てきました。何ならランキングまで見つけてしまいました。

https://www.trade-sign.com/magazine/6680/

 とは言え、小学校を卒業してしまいますと、寄贈品の疑問なんかすっかり忘れ、興味は日々の生活に向いてゆきました。気づけば大学も卒業してしまいまして、私は地元を離れて働くようになりました。実家に帰るのは年に数回あればいいほうです。小学校なんてもう滅多に近づかなくなってしまいました。

 だから、気づかなかったんです。ある日、帰省していた私は地元でジョギングをしておりました。たまたま近くを通りかかったので、久々に小学校へ立ち寄ったんです。ビックリしました。あの公共事業もどきの小川もどきがあった場所には、それとは比べ物にならないほどデカい建物がドーンと鎮座していたんです。

 帰宅した私は早速、母に尋ねましたところ、数年前に完成した新校舎のようです。代わりにあの小川やポンプ室は完全に解体されてしまったとのこと。まあ、小川が作られたのはだいぶ昔ですから仕方がないとは言え、もう本当に跡形もありません。校舎を使っている生徒はもちろん、先生方も存在を知らないでしょう。卒業生寄贈品って割と簡単に消滅するものなのかと私、大層意外に思いました。

 私のあずかり知らないところで生まれ、あずかり知らないところで消えてゆく。私の寄贈品経験はそんな感じです。

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