財布が盗まれたと思っていたんです

 高校生だった頃、学校で財布泥棒が発生していました。体育などで教室に誰もいなくなった時を見計らって盗んでいるとされ、学生に注意喚起がされていました。

 心配性の私は注意喚起する前から窃盗犯には備えていたつもりでしたが、泥棒発生の一報を受けて防犯に一層力を入れることにしました。なるべく貴重品は肌身離さずを基本とし、もし貴重品を置いて教室を離れる際はカバンの奥底の更に奥底へ突っ込むなどして泥棒に見つからないようにしていました。

 そんなある日のことです。その日は体育館で全校集会があるということで、私はカバンから財布を取り出し、ポケットに入れて体育館に行こうとしました。しかし、財布がないんです。カバンに両手を突っ込み、奥の方まであさったんですが、財布がどこにもありません。心臓が大きく脈打ち、身体はスッと冷たくなり、指先は細かく震えるようになりました。とりあえず、担任の仮名・松橋先生に財布がなくなった旨を報告すると、先生は深刻そうな表情を浮かべ、「分かった。あまり人に言わないように」とだけ言いました。

 全校集会では教頭先生が登壇し、先週にまた生徒の財布が盗まれたと怒りを押し殺した様子で話し始めました。すると舞台袖から松橋先生が現れ、壇上の教頭先生に耳打ちしました。松橋先生が舞台袖に消えると、教頭先生はもう勘弁ならんとばかりに肩をわなわなと震わせ、怒鳴るように言いました。

「今日もまた生徒の財布がなくなった」

 教頭先生は財布が盗まれるたび、「そっと返してくれたらこれ以上は追及しない」と温情を見せていました。この時も温情メッセージを口にしてはいましたが、何しろ般若の形相で怒鳴りながらの発言でしたから、「そっと返してくれたら勘弁してやるよ、首をちぎるぐらいでな」と言ってるようにしか聞こえませんでした。

 先生がバックについてくれた点は心強く思いましたが、財布がないのに変わりはありません。財布自体は安物ですし、所詮は高校生ですから大した額が入ったわけでもなく、ましてやクレジットカードのような盗まれたらヤバいものがあるわけでもありません。それでも「盗まれた」という事実は私の心に重くのしかかります。端的に言ってへこみました。

 全校集会から戻った私、心なしか軽く感じるカバンを机の上に置くと、普段は全く使わないカバンの内ポケットに何気なく手を突っ込みました。すると指先に触れるものがありました。内ポケットにあるものを取り出すと盗まれたはずの財布が出てくるではありませんか。いや、盗まれていなかったんです。窃盗犯の目につかないようにと、普段は持ち主の私ですら存在を忘れるマイナーな内ポケットの奥に財布を突っ込んでいたんです。お陰で、確かに財布は盗まれませんでしたが、私も財布を見失ってしまってたんです。つまり、全校集会での教頭先生は完全に怒り損ということになります。

 あまりに申し訳なくて私、担任の先生に「財布が見つかりました」という勇気が出ませんでした。正直に申し出たら私が教頭先生によって首をちぎられそうだったからです。あの時の教頭先生はそれくらい怒っていました。

 ただ、あの全校集会を境に財布の盗難がなくなり、全校集会で教頭先生が怒ることもなくなりました。私がうっかり虚偽の窃盗を報告したせいで本物の窃盗犯が密かに「やべえ、俺以外の盗みも俺のせいにされる」と思い、盗みをやめたに違いありません。当時の私はそう思い込むことによって自分のミスから目をそらしていましたし、今でもちょっとはそう思っています。

 今になって思い返してみても、心臓がキュッとなる思い出です。

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