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動物で行く先を決める人

 ペットとしていろんな動物を飼ってらっしゃる方は今も多いとは思うんですけれども、住宅が密集しているところですと、散歩などごく一部の場面を除けば見かける機会はほとんどございません。室内で飼う習慣が広まっているんでしょう。

 やっぱり外で飼うと近隣住民の迷惑になるのではないかと心配されるのでしょう。一昔前は番犬なんて呼ばれていた犬も、視界に入った人間を次々に吠えて回っていたら、そりゃあ室内に持っていきたくなる飼い主の気持ちは分かります。サイレントか時報のチャイムでは遠吠えとかしますし。何であんなワオワオ吠えんのかと思って検索したら、どうも「遠吠えの周波数に似ているから反応しているのでは」との説があるようです。

 サイレンはともかく、時報のチャイムはとても遠吠えと同じに思えないんですが、周波数とか出されちゃうと「じゃあ、そうなのかな」と思うしかありません。とにかく、そういうことのようです。

 外に出して大変なのは犬に限った話ではありません。猫だって外に出していたら、どこで何をするか分かったもんじゃありませんし、鳥を窓から放った日には下手すりゃ二度と戻ってきません。大蛇をウッカリ逃がしたなんてことになれば警察が出動する騒ぎになります。いろんな状況を踏まえた結果、「やっぱ室内だな」との考えが広がっていったのだと思います。

 そんなわけで、獣の咆哮が飛び交わない閑静な住宅地が実現したんですけれども、動物が好きな私としてはちょっと淋しい気もするんです。もちろん、全ての動物が私に好意的とは限りませんし、何ならジョギング中に出会う散歩犬にはなぜか軒並み敵意をむき出しにされますけれども、でも、やっぱり動物は小さいものを中心に可愛らしいですし、たまに思いもよらぬ動きをしますから見ていて楽しい。全く出会わないのは、ちょっと人生に潤いが足りない。

 皆さんも出勤とか買い物とか散歩とか、どこかへ出歩く時は大体決まったルートを使うと思うんです。私も同様です。何なら道路の右側を歩くか左側を歩くか、中心を堂々と歩くかまで決まっている。特別な理由がなければルートの変更はしないんですけれども、私にとってその「特別な理由」の中で最もゆるいのが動物なんです。

 例えば、ちょうど私が勤務先から家へ帰る時間に、窓から外を眺める子犬のいる家があります。窓枠に前足をかけて、吠えるでもなくただ静かに景色を見ている。鳥に夢中の時もあれば、私をガン見している時もある。私は周囲に誰もいない時を見計らって子犬に手を振って見たり反復横跳びをしてみたりしましたが、無反応でした。ただ眺めるのが好きなんだと思います。

 ジョギングコースの周辺には屋根にやたらとシラサギが止まる家がございます。他にも家がいっぱいあるのに、何がシラサギの心をとらえたのか、高確率でシラサギが羽を休める屋根があるんです。瓦ぶきの屋根なんですが、瓦に点々と白いものが見えます。どう考えても糞です。その量から考えて、どうやらマジでシラサギがその屋根を憩いの場にしているようです。シラサギが見たい私、当然の判断としてその屋根が見える道を走るようになりました。

 ただし、たまには何となく知らない道を通る時もあります。ジョギングでもそうです。そうしたら、草生した空き地に1匹の山羊がいたんです。山羊はのんびりと草を食べていました。山羊による除草をしているところはちょこちょこ見かけてきましたけれども、ついに我が家の近所にも進出してきたようです。次の日も、そのまた次の日もジョギングで近くに立ち寄りますと、やっぱり山羊がいる。もちろん、ジョギングコースは山羊ルートに変更いたしました。結局、草が生えなくなる涼しい季節に移るまで山羊は居続け、その間、ジョギングコースは山羊ルートで固定されました。

 こうやって書いていくと、お菓子で釣れば平気でついていく子供のエピソードにも読めますが、どれも思いっきり大人になってからの出来事です。

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