見出し画像

出窓を開けていたばっかりに

 以前に住んでいたアパートでの話です。私が住んでいたのは1回の角部屋で、出窓がついていました。出窓は両脇がパカッと開くタイプで、ちょっと暑い日には換気に重宝しておりました。

 しかし、そこは角部屋です。狭い土地にどうにか詰め込んだようなアパートでしたから、出窓のすぐ先は隣のお宅の庭という環境でした。だから、ちょっとした棒があれば隣の家の物置をペチペチ叩けましたし、何だったら隣の庭に植えられた木の枝が出窓に迫ることも多々ありました。

 そんなある日のことです。季節はちょうど初夏、窓を開ければ外の涼しい空気を取り入れられる、1年で最も出窓が役に立つ季節でございます。季節柄、お隣の庭の木も青々とした葉を生やしておりました。とその時、枝がガサガサ揺れるのが出窓から見えたんです。

 最初は猫の仕業かと思いました。アパートの周辺は猫の通り道になっていて、私もいろんな猫を目撃しては、友達になろうと近づき、例外なく逃げられて参りました。だから、きっと私を振った猫の誰かがまた木の辺りを歩き回っているに違いない。

 猫ならそのうちどこかに行ってしまい、枝ガサガサも止むだろうと思っていたんですが、いくら待ってもガサガサが止む気配がございません。一体どういうことだろう。何が枝をガサガサ揺らしているのだろうと思いました。出窓から直に外を見る勇気がなかった私は、別の窓から隣の家の様子をコッソリうかがったところ、そのお宅の住民と思われる女性が高枝切りばさみで枝を切り落とそうとしているところでした。

 ただし、その表情は非常に険しいんです。コーヒーの苦いところだけを口の中に詰め込んだような顔でした。最初は何でわざわざそんな顔で仕事をしているのかと思いましたけれども、そう言えば出窓が開けっ放しだったんです。

 女性はいつも隣のアパート住民に迷惑をかけないよう、コッソリと枝を切り落として来たに違いありません。ですが、この年は出窓が開いている。あんまり騒がしく枝を切り落としていればアパートの住民に迷惑をかけてしまうと考えても不思議ではありません。些細なことでご近所トラブルを起こしたくないと思ったのでしょう。私にもその気持ちはよく分かります。

 枝は切りたい。だがトラブルはごめんだ。女性は考えた末、いつもより更にコッソリと枝を切り落とそうとしたんでしょう。枝がガサガサ言うたびに、「ああまた音がなってしまった」などとビクビクしていた違いない。その結果が、あの激烈に苦々しい表情を生み出したのだと思います。

 そんな顔をされるくらいならば、私としては今すぐにでも出窓を閉じたい気持ちでいっぱいだったんですけれども、女性が枝を切っている最中に出窓を閉じたら、女性に「うるせえな、この野郎」というメッセージだと受け止められかねません。だったら、ここは女性が苦々しい顔で枝を切り落とし、どこかへ行ってしまうのを待ってから、ゆっくり出窓を閉じた方がいいに決まっている。そう判断いたしまして、私は女性が枝を切り落とすのを待ってから、こっそり出窓を閉じました。

 いや、しかし女性のあの表情は本当にすごかったです。しばらく出窓を開けられなくなったほどです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?