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あまりにも桁違いな死後再評価

 どういうわけか多くの人に備わっているのが名誉欲なんです。名誉欲なんてオーバーな表現にしなくても、「注目されたい」とか「有名になりたい」とか「ちやほやされたい」とか、そんな欲望が一度は心をよぎった人が大半だと思います。大勢の聴衆に拍手喝采で迎えられたり、自分の活躍が歴史の教科書に載ったりしたところを想像して、何とも言えない半笑いを浮かべたとしても、人として仕方がないことだと思っています。

 しかし、圧倒的大多数の人は名誉欲をほとんど満たせぬまま一生を終えます。「有名にはなれなかったけど、自分はこの人生に満足している」と言いながら臨終の時を迎えられれば立派なのですが、なぜか人間は立派になるのが難しくなるようにできていますし、最期の時だって「今ならいい感じで旅立てるから今来てくれ臨終」と言っても希望通りやってくるものではありません。ですから、多かれ少なかれ後悔を抱えて亡くなるのは、仕方がないことだとは申しませんが、もしそうなったとしても「だから自分の人生はダメだった」と言い切れない要素は人生にたくさんあるんじゃないかと思います。

 いずれにしろ、生きている間に名誉欲を満たせなかったとしても諦めるのは早いんです。皆さんご存じの通り、死後に再評価される方がいらっしゃるからです。生前は無名だったのに、亡くなってからグッと知名度が上がり、その名が歴史に刻まれた例は探せば意外とあるようです。

 死後の再評価に託す最大の難点は、再評価されても評価された本人が認識できるのかよく分からないことです。なかなかあの世をチラ見できない私たちには、そもそもあの世があるかどうかもよく分からない。あの世からこの世を認識できるかどうかなんて、輪をかけてよく分かりません。ただ、名誉欲が満たされずに臨終の時を迎えてしまっても、「死後の再評価でワンチャンあるか」と思えれば、ちょっとは希望を持ってあの世というネクストステージへ踏み出せると思うんです。

 もちろん、死後に再評価はあくまでワンチャンです。しかも、死後ともなれば本人はネクストステージの住民になってますから、もう自分の力ではどうにもできない。そのせいか多くの方は大きく再評価されることなく、やがて忘れ去られてしまう。では、そうなったら人は終わりか。いや、チャンスはまだ残されています。骨です。

 例えば、国内で発見された最も古い人骨は約2万7千年前のものだそうです。

 世界基準だと更にさかのぼれます。古い人骨と言えばアフリカの独壇場だろうと思ったら案の定で、アフリカ中央部に位置する内陸国チャドで発見された人骨は約700万年前とのこと。

https://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000485973.pdf

 彼らがどんな人だったのか、今となってはほとんど分からないですけれども、少なくとも研究者の注目を浴びることは確かです。場合によっては教科書に載ったり、町おこしに役立てられたりするかもしれない。本人にとっては死後、何万年も経ってからの、まさかの急展開です。

 ドラマや小説などで、不遇だらけの人生を送り、死後に再評価された人物のところへ、タイムマシン的なものに乗って未来から現れた人が「あなた未来じゃ超有名人だから」と伝える物語をたまに見かけます。大体は実在していた人物で、例えば芸術家だったら「作品が将来、物凄く評価される」なんて言うわけですね。言われたほうは信じたり信じなかったりと、反応は物語によって様々です。「死後に再評価された人」の生前もどうにかしてあげたいという作者の心意気がうかがえます。

 しかし、これが骨になると、だいぶ様子が変わってきます。自分事として考えれば微妙さがすぐに分かります。数万年先の世界から来たという人が私に「あなたの骨は私の時代では歴史を知る上で非常に貴重な資料となっています」と言われたところで、困惑しかできないでしょう。しかも、数万年ともなりますと、骨が全部残ってる方が珍しい。大体は一部分だけだったりするわけで、それでも貴重な資料なんです。つまり、数万年後の未来人は高確率で「あなたの鎖骨が発見された時は世界中の考古学者が驚きまして」とか、「その独特な形の座骨が当時の人類の特徴を物語っていて」とか、褒めてるのかどうかも疑わしい褒め言葉を投げかけられる羽目になるんです。言われたほうとしては「いやあ、自分はただ死んでただけだし、何なら全身バラバラになってるし」と答えるしかないでしょう。

 あんまり長い時を経てブレイクするのも考え物かもしれません。

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