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説教を創意工夫する

 けなそうと思えば何でもけなせるように、褒めようと思えば何でも褒められるものなんです。特に幼い子供相手ですと、大人はとにかく褒める傾向があります。

 褒められた子供はどういう気持ちなのでしょう。他人のことは分かりませんが、自分のことなら分かります。幼少期の私は「無理矢理に褒めてるな」と思っていました。

 そう書くと、他人の心の機微が分かる子供のように思われるかもしれません。逆なんです。だから、「他人は分かりません」と書いたんです。そんな私でも、両親や祖父母が無理に褒めている、もしくはオーバーに褒めていると分かる。それくらい、私の家族は大根役者だったんです。

 役者の才能がない大人に囲まれて育ったためか、大人は子供を無理に褒めるものだという先入観が人生の序盤でしっかり根付いてしまいました。中にはマジで褒めてくれた人がいたかもしれませんが、それも一緒くたに「はいはい、またですか」と思っていました。

 だから、通知表のコメントもまた、無理して褒めるものだと思っていました。通知表を渡されるとよく友達と見せ合ったものですけれども、誰の通知表も先生のコメントは褒め中心だったんです。そういうものなんだとすぐに察しました。

 しかし、お世辞と分かっていながら言われると嬉しくなってしまうのが、私のちょろいところでございます。だから、どこが褒められたのかはよく覚えています。それは「創意工夫」でございました。つまり、いろいろな方法を考えるやつだと先生からお褒めにあずかったわけです。

 ただ、褒められて嬉しくは思いましたが、「はて創意工夫?」とも思いました。自分の生活をいくら顧みても、創意工夫していた記憶がないんです。

 そこで私は思ったんです。私は月曜日の次に火曜日が来ることを忘れて水曜日の時間割で教科書を揃えて登校するような、忘れ物の名手でございました。忘れ物が先生にバレれば怒られますし、自分から報告しても怒られる。だから、怒られたくない私としては黙って誤魔化す道を進もうと腹を括ったわけです。

 例えば、箸を忘れたとします。その場合、先生に言って割り箸をもらうのが王道ルートでしたが、少しでも怒られるのが嫌な私にそんな道を選ぶ勇気はありません。かと言って、手づかみで給食を食べるワイルドスタイルは目立ちすぎる。先生にバレて、箸を忘れたこととワイルドスタイルを選んだこと、ダブルで怒られるに決まっています。

 そこで私は脳をフル回転させ、代替案を考えるんです。そう言えば、先ほど図工の授業で作った作品は割り箸が使われたはずだ。天啓を受けた私は教室の後ろに飾ってある我が芸術作品から割り箸を2本引っこ抜き、任務達成となりました。私の作品はちょっと変な形になってしまいましたが、先生に怒られず飯を食うためには仕方がありません。一応、証拠を隠滅するため、昼食後は割り箸を洗い、再び作品の一部にしておきました。

 今から考えれば、こういう私の小癪なところを最大限いい風に解釈して「創意工夫」と書いていたのかもしれません。大いに皮肉を利かせていた可能性があるわけです。

 皮肉なのかマジ褒めなのかは分かりませんが、そんな創意工夫は小学生の間、ずっと言われ続けていました。そこで思ったんです。小学校の6年間、私の中で最も創意工夫だったのは何だったのだろうかと。

 思いついたのは、私が先生に説教されている時でした。給食の話でもお分かりの通り、小学生の私は怒られたくない一心で、やらかしを隠蔽する傾向にありました。しかし、そこは所詮小学生、隠蔽が先生にバレてしまい、かえって怒られるという失敗を繰り返しておりました。

 その時も、詳細は忘れましたが、何らかの隠蔽がバレてゴリゴリに怒られているところでございました。私は「面倒な時に説教をされたな」と思いました。なぜなら私はその時、ちょうど奥歯の乳歯が抜けそうになっており、かなりガタガタしていたんです。抜けそうな歯は歯茎を刺激して地味に痛い。私としてはこっちを早く何とかしたいのに、隠蔽がバレて怒られてもいる。面倒なことがふたつ重なってしまったんです。

 怒られてるストレスでつい歯を食いしばる私。そうすると、抜けそうな乳歯が歯茎を刺激する。踏んだり蹴ったりです。でも、怒られている中で思ったんです。このストレスによる食いしばりの力をうまいこと使えないかと。

 私の予想は当たっていました。抜けそうな歯を敢えて傾けて食いしばったところ、口の中でプツンという音を立てて乳歯が抜けたんです。私は怒られていることを忘れて喜びそうになりましたが、口から乳歯を吐き出して喜んでも説教が長引くだけだと分かっていましたから、黙って口の中で抜けた乳歯を転がしていました。

 これは先生にバレていないはずなので、通知表の創意工夫には入っていないと思うんです。ただ、私にとっては説教のストレスという、マイナスでしかなさそうなものをうまいことプラスに使った点において、小学校時代で最も創意工夫を発揮した瞬間だと信じています。

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