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意図せぬ主従関係

 知人から聞いた話です。ここでは一ノ瀬さんとしておきます。

 一ノ瀬さんは女性なんですが、まあ幼馴染がいたわけです。幼馴染を仮に山田さんとしておきましょう。知人と山田さんは家が近く、小学校に入ってばかりの頃からの知り合いです。必然的にあだ名で呼び合う形となり、そのあだ名もとにかく可愛らしい呼び方で、ふたりの距離の近さを感じさせるものでした。

 そのままふたりとも特に何事もなく中学校へ進学するわけですが、そこでふたりの関係性に若干の変化が訪れます。中学生になって間もないある日、放課後に一ノ瀬さんは山田さんと教室でふたりきりになったんですが、その際にこんなことを言われたそうです。

「あのさ、呼び方を変えてくれない?」

 一ノ瀬さんは、山田さんが何を言っているのか理解できなかったそうです。

「は?どういうこと?」
「お互いの呼び方だよ。変えようよ」
「なんで?面倒くさい」
「頼むよ、恥ずかしいんだよ」

 思春期ならではの要望と言うべきか。女子と親し気な名前で呼び合っているとと他の男子に冷やかされかねない。それを恐れて先手を打ったつもりなんでしょう。一ノ瀬さんは全然納得できていなかったようですが、山田さんがあまりに頼み込むので提案を受け入れる判断をしました。

「で、何て呼べばいいの」
「『山田』でいいよ」
「ああ、そう。分かった。じゃあね」
「ちょっと待てって。そっちも何て呼んでほしいか決めろよ」

 さっさと家に帰りたい一ノ瀬さんとしては、こんなくだらない話に付き合ってられないと思ったそうです。何なら、もうこの時点で片足は教室から出ていました。

「めんどくさい。何それ」
「いいじゃん。何でもいいから決めてよ」
「じゃあ、『一ノ瀬様』で」

 かくして互いの呼び名はふたりの意志によって変更されました。一ノ瀬さんは山田さんを「山田」と呼び、山田さんは一ノ瀬さんを「一ノ瀬様」と呼ぶ。一ノ瀬さんとしては誰が誰を何と呼ぼうがどうでもよかったそうですが、山田さんは自分から提案した手前、律儀に「一ノ瀬様」と呼んでいたそうです。

 一ノ瀬さんは、ふたりの呼び方の変化にいち早く気づいた友人にこう言われたそうです。

「山田君を手下にしたの?」

 まるで落語レベルに綺麗な話なんですけれども、事実だろうがなかろうがよくできた話だと思いましたので、一ノ瀬さんの許可を得てこうやって載せてみた次第です。

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