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笑いに関する名言集――皮肉っぽい笑い

 名言集は多いけど、お笑いに関する名言集はあまりないようです。だったら、自分で作ればいいじゃないかと思い、現在、少しずつ載せている状態です。

 ここでは笑いの名言を以下のみっつのどれかに当てはまるものとしました。

・笑いに関係する言葉が入っている名言
・笑いに関係する仕事をした人の名言
・笑う余地がある名言

 前回はその中でも「笑う余地がある名言」をまとめましたけれども、今回はもう少し皮肉な笑いを誘いそうな名言を集めてみました。では参ります。

誰にとっても己の糞は匂いがいい。
デジデリウス・エラスムス(1466-1536)、「痴愚神礼讃」

世界名言大辞典 新装版(明治書院、2018)

 いきなりのご挨拶な名言で失礼いたします。エラスムスは現在のオランダで生まれた人文主義者で、近代自由主義の先駆者として後世に大きな影響を与えた人物とのことです。

 出典元の「痴愚神礼讃(ちぐしんらいさん)」はエラスムスが1週間で書き上げたとされる諷刺にまみれた作品で、その対象は君主や教皇といった偉い人にまで当然のように及んでいます。上の名言からも察するように、内容はなかなか過激だったようで、教会や聖職者から問題視され、発禁処分を受けたこともあったそうです。

 しかし、何と申しますか、名言にうんこが出てくるからかもしれませんが、理屈というよりは本能で「分かるわあ」となったり「嫌なこと言うな」となったりする名言のように見えます。

人生は短いが、それでも人間は退屈する。
ジュール・ルナール(1884-1910)、「日記」

世界名言大辞典 新装版(明治書院、2018)

 ルナールはフランスの小説家であり、代表作として「にんじん」が知られています。また、熱心に日記を書いていたことでも知られ、死後には「ルナールの日記」として出版されています。観察眼の鋭さで知られており、それがふんだんに作品へ活かされていると評されています。

 だから、上記のような名言が出てくるんでしょう。「人生は短い」なんて、今まで膨大な数の人類が言ったり思ったりしていましたし、実際に短いものではございますけれども、それでも暇を持て余す時がある。ひょっとすると、ご自身の経験によるものかもしれません。そんなルナールは46歳と、どちらかと言えば短い人生だったようです。

貧乏人の写真が新聞に載るのは、犯罪を犯したときに限られる。
マクシム・ゴーリキー(1868-1936)

名言 人生を豊かにするために(里文出版、2011)

 「何てこと言うんだ」という感想をいち早く抱きそうな名言です。もしくは、もしくは「新聞を何だと思ってるんだ」でしょうか。

 ゴーリキーはロシア文学を代表する小説家のひとりで、社会主義国の指針に沿った表現「社会主義リアリズム」の創始者として知られています。孤児となり、困窮の中で放浪生活を送った経験があるためか、日々の生活にも苦労する「底辺」の人々を描いた戯曲「どん底」などが代表作として知られています。

 そう考えると、ゴーリキーの言う「貧乏人」は本当に苦しい立場の人々であったでしょうし、当時のロシアというかソ連というか、そっちの新聞は本当にそんな傾向があったのかも知れないなと思わせるものがあります。

おれが酒を売ると、密造と呼ばれるのに、おれのお得意の連中が高級住宅地の家で銀のお盆にのせて出すと、それは「もてなし」と呼ばれるんだ。
アル・カポネ(1899-1947)

英語名言集(岩波書店、1993)

 誰かが作ったんじゃないかと思えるくらい綺麗な皮肉でございます。

 ご存じ、カポネはアメリカの有名なギャングでございまして、映画やテレビドラマなどで彼を題材にした作品が現在に至るまで作られ続けています。カポネが主にやったこととしては、いわゆる犯罪組織の運営でありまして、資金源として売春や賭博の他に、禁酒法時代のシカゴにおける酒の密造が知られています。根城は主に高級ホテルだったそうです。

 「そりゃあ、こんな言葉も出てくるわな」と思います。カポネはギャングという、非常に分かりやすい悪役ポジションに立ってはいましたけれども、彼なりに思うことがいろいろあったんでしょう。こういう一面が、彼を題材にした作品が未だに作られる一因かもしれません。

学問は、我々がいかほどまで無知であるかを分からせることよりほかには、ほとんど役に立ってない。
フェリシテ・ロベール・ド・ラムネー(1782-1854)、「宗教無関心論」

人生の名言1500(宝島社、2018)

 ラムネーはフランスのカトリック聖職者であり、思想家としても知られています。原出典である「宗教無関心論」はカトリックに賞賛されたようですが、一方でプロテスタントとか自由主義とかフランス革命とか、いろんなものをかなり強めにいじった内容だったため、宗教界で議論を呼ぶ作品となったようです。そして、いじる対象には大学教育なんかも入っており、だから上記のような一文も書かれているんでしょう。

 「学校で学んだことは社会に出て役に立たない」なんて皮肉は、いろんな先生の口から聞いたものですけれども、少なくとも数百年前から言及されていたようです。そうやって、いろんな人々にグチグチ言われながら今に至っているわけですね。

 ただし、重要なのは「『ほとんど』役に立っていない」という点でございまして、そのわずかな例外が役立ってきた側面はございます。だから、学問は現在まで続いてきたのかもしれませんね。

「名誉を軽んぜよ」と書物に書く人も、わが名をその書物に記す。
マルクス・トゥッリウス・キケロ(BC106-BC43)、「アルキアス弁護論」

世界名言大辞典 新装版(明治書院、2018)

 キケロは古代ローマの政治家であり思想家であり、文筆家などでも知られています。ちなみに、「キケロ」で検索しようとしたところ、検索候補に「キケロガ」が出てきました。すいません、余計なことを書きました。

 ちなみに、後年になって似たような名言を残している著名人がいらっしゃいます。

栄誉に反対した論者も、よい論文だということで栄誉を得ようと欲する。
ブレーズ・パスカル(1623-1662)、「パンセ」

世界名言大辞典 新装版(明治書院、2018)

 パスカルはフランスの哲学者であり、「人間は考える葦である」などの有名な言葉を収録してあるのが「パンセ」でございます。そんなパンセでキケロとちょっとかぶったようなことが書いてある。

 我々人類は今までに膨大な方々が生まれては死んでゆきまして、その中には優秀な方々もたくさんいらっしゃいます。だから、自分が「いいこと思いついたぞ」と喜んでも、調べたらだいぶ昔の人も普通に思いついていたりするんです。そのたびに、ちょっとガッカリするんですけれども、パスカルでもそうならしょうがないかな、という気にもなってきます。

◆ その他の参考文献

◆ 今回の名言が載っていた書籍


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