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新語・流行語大賞とお笑いの関係性は徐々に変化している

 今年の新語・流行語大賞では久しぶりにお笑い関連の言葉がノミネートすらされなかったそうです。2002年以来、17年ぶりの出来事とのこと

 言われてみれば、いつの間にか流行語とお笑い芸人は切っても切れない関係とされていました。しかし、「そういうもんなんだな」と何となく思っていたところも否定できませんでしたので、もう少し詳しく調べてみました。

1.そもそも新語・流行語大賞とは

 新語・流行語大賞は「現代用語の基礎知識」を刊行している出版社「自由国民社」と賞の事務局が運営しています。1984年に始まり、毎年12月初旬に発表。2003年からは自由国民社と出版事業の提携を開始した「ユーキャン」がオフィシャル・サポーターとなっています。現在は7名程度の選考委員が最終的な判断を下しているようです。

参考
https://www.jiyu.co.jp/singo/
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E8%AA%9E%E3%83%BB%E6%B5%81%E8%A1%8C%E8%AA%9E%E5%A4%A7%E8%B3%9E

 創設当初は新語と流行語の2部門があり、それぞれに金賞・銀賞・銅賞といくつかの特別賞が設けられていました。1991年からは年間大賞が設けられ、1994年には新語と流行語の部門を統一、年間大賞の他にトップテンを選ぶ形式になりました。以降は年末の風物詩として定着し、現在に至ります。選考委員の強い意向が選定に影響を与えているのではないか、などと議論を呼ぶ場合もあるようですが、その時代の世相を反映するもののひとつとして見られているとのこと。

 当たり前と言えば当たり前なのですが、特にお笑いへ的をしぼった賞ではありません。ですから、お笑い関連の言葉がノミネートされない年があってもおかしくはない。今後もその傾向が続くならばともかく、現状ではたまたまそうなったのか否か、判断するのは難しいでしょう。

2.受賞したお笑い関係ワード

 では、お笑いと新語・流行語大賞はどういう関係性を築いてきたのでしょうか。第1回の1984年から最新の2021年まで、お笑い芸人とそれに近い方々による受賞ワードをまとめてみました。受賞者名は敬称略です。

1984年 流行語 大衆賞 す・ご・い・で・す・ネッ(所ジョージ)
1985年 流行語 特別功労賞 テレビ番組「ひょうきん族」から発する各種流行語(横澤彪)
1986年 流行語 大衆賞 プッツン(片岡鶴太郎)
1987年 新語 表現賞 ノリサメ(高田純次 ※1)
1991年 年間大賞 …じゃあ~りませんか(チャーリー浜)
1993年 大衆語 銀賞 聞いてないよォ(ダチョウ倶楽部)
1995年 年間大賞 無党派(青島幸男)
1998年 年間大賞 だっちゅーの(パイレーツ)
2001年 トップテン 明日があるさ(Re:Japan)
2003年 年間大賞 なんでだろ~(テツandトモ)
2004年 トップテン …って言うじゃない…○○斬り!…残念!!(波田陽区)
2005年 トップテン フォーー!(レイザーラモンHG)
2007年 年間大賞 どげんかせんといかん(東国原英夫)
2007年 トップテン そんなの関係ねぇ(小島よしお)
2008年 年間大賞 グ~!(エド・はるみ)
2010年 トップテン ととのいました(Wコロン)
2011年 トップテン ラブ注入(楽しんご)
2012年 年間大賞 ワイルドだろぉ(スギちゃん)
2014年 年間大賞 ダメよ~ダメダメ(日本エレキテル連合)
2015年 トップテン 安心して下さい、穿いてますよ。(とにかく明るい安村)
2016年 トップテン PPAP(ピコ太郎)
2017年 トップテン 35億(ブルゾンちえみ ※2)
2018年 トップテン ボーっと生きてんじゃねーよ!(NHK番組「チコちゃんに叱られる!」チコちゃん)
2019年 トップテン 闇営業(宮迫博之)
2020年 トップテン ソロキャンプ(ヒロシ)
2020年 トップテン フワちゃん(フワちゃん)

※1:兵頭ゆきと共同受賞 ※2:現・藤原史織

 今でこそ芸人が新語・流行語大賞を取ると一発屋になるなんて言われていますが、初期の受賞者にはその傾向が見られません。それどころか、お笑いに関わってはいるものの、現在で言うところのお笑い芸人ではない人が見られます。

 一発屋っぽい受賞者のパイオニアは1998年のパイレーツでしょう。「ボキャブラ天国」でブレイクしたこのコンビはグラビアアイドルとお笑いコンビの中間に位置するコンビで、「だっちゅーの」は彼女らを代表するギャグという、現在の一発屋芸人に近い状況となっています。ただ、当時は一発屋と関連付けて語られていなかったように思います。

 お笑い芸人の受賞頻度が高まると共に、受賞者の一発屋傾向がより強まるのは2003年頃でしょう。すっかり政治家になった東国原さんの真面目な発言も混じってはいますが、基本的には各芸人の代表的なギャグが受賞しています。

 一発屋傾向に変化が訪れるのは、2016年でしょうか。ピコ太郎さん、ヒロシさん、フワちゃんというYoutubeで売れた方々が選ばれるようになります。また、宮迫さんやヒロシさんのように、代表的持ちギャグではなく、自らがしてきた行動そのものが選ばれるようにもなりました。

3.どうしてこのような変化の道を辿ったのか

 先ほど書いたように、新語・流行語大賞とお笑いとの関係には大きな変化が2度あったようです。原因はいろいろあるのでしょうが、客観的に確認できる事実から考察できるものにしぼって書いて参ります。

 2003年から始まる「一発屋期」ですが、この時期はいわゆる2000年代のお笑いブームとほぼ重なっています。この時期のブームを牽引した番組として主に以下のようなものがあげられます。

爆笑オンエアバトル(1999~2014)※「オンバト+」の放送期間を含む
エンタの神様(2003~2010)※2012より特番として放送
笑いの金メダル(2004~2007)
爆笑レッドカーペット(2008~2010)※初回特番は2007

 ブームならばお笑い芸人が新語・流行語大賞にも食い込んでくるのも自然の流れでしょう。そして、ブームはいつか終わる。当時は景気の良かった芸人たちもひとつのピークが過ぎ、結果的に一発屋と呼ばれてしまうのは、当然とまでは言えなくとも、自然な流れではあると思います。

 ブームを過ぎてもしばらくは受賞者が続きます。日本エレキテル連合やブルゾンちえみさんは「ぐるナイおもしろ荘」がきっかけとなり、スギちゃんはR-1準優勝がブレイクに繋がっています。しかし、確実に変化は起き始めていたと考えられます。

 私はYoutuberに詳しくありませんが、小学生のなりたい職業に初めて登場したのは2017年とのことです。少なくともこの前後くらいには職業として認知されてきたことになり、偶然にもピコ太郎がYoutubeでブレイクした2016年と時期が似通っています。

 ちなみに、Youtubeでの活動が受賞に繋がった芸人3名のチャンネル設立年月日は以下の通りです。

ヒロシちゃんねる 2015/03/03
PIKOTARO OFFICIAL CHANNEL 2016/08/24
フワちゃんTV 2018/04/17

 著名な芸人が本格的にYoutubeに入り始めたのが2020年頃である点を考えても、彼らはかなり早くから活動していたことが分かります。時間をかけて実績を重ねた結果、受賞に繋がったのでしょう。とは言え、この傾向が出てきたのは最近の話であり、今後どうなるかは不透明です。

4.つまりどういうことか改めてまとめると

 新語・流行語大賞とお笑いの関係について簡単に書いて参りました。改めてまとめると次のようになります。

 新語・流行語大賞にお笑いがよく絡むようになったのはお笑いブームが到来した2000年代序盤からで、それ以前にも受賞自体はあったが頻度が低く、取った人間が一発屋になることもあまりなかったと考えられます。その後、ブームが下火になると一発屋傾向も徐々になくなってゆき、近年はYoutubeで活躍した芸人が目立つようになってきた。だが、今後もその傾向が続くかどうかは未知数といったところです。

 他にも芸人が一発屋を嫌がって印象的なギャグで売れようとしなくなった、みたいな説を確認していますが、客観的な事実としての確認が難しそうだったので、今回は考察を見送りました。ただ、ブームの前後に多くの「一発屋」と呼ばれる芸人が生み出されたのを今の芸人も当然ながら見てきているはずで、全く見当違いの説というわけでもなさそうに見えました。

 ひとまず今回はこんなところで。ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

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