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笑いに関する名言集――辞世の言葉

 笑いに関する名言集がない。なら自分で作ってしまえ。そんな軽い気持ちで笑いに関する名言を集めては、忘れた頃にコッソリ載せている次第です。

 ここでは笑いの名言を以下のみっつのどれかに当てはまるものとしました。

・笑いに関係する言葉が入っている名言
・笑いに関係する仕事をした人の名言
・笑う余地がある名言

 今回は辞世の言葉、すなわち亡くなる直前の言葉から笑いに関する名言を選んでみました。

 辞世の言葉と笑い。一見すると相容れないものにも見えますが、意外と笑いに関するものがございます。もちろん、真面目に語ったにもかかわらず、「笑い」という単語が入ってしまったばかりにピックアップされてしまったものもございますけれども、湿っぽい葬儀を嫌がって敢えて明るくさせようとした方、職業上・性格上の都合からラストまで笑いを貫いた方、結果的に辞世の言葉となってしまった方など、いろいろな方がいらっしゃいます。

 例えば、有名なところで今の林家三平さんのお父様、つまり先代の林家三平さんの有名なエピソードなんかもそうです。臨終の時が近づき、意識が混濁しているであろう三平さん。早速、医師がやってきて尋ねました。

医師「しっかりして下さい。あなたのお名前は?」
三平「加山雄三です」

出典:ウィキペディア

 当時の加山さんをよく知らない私ではありますが、軽く調べてみた結果、今で言うなら「歌もできるイケメン俳優」の代表格だったと思われます。最後まで芸人を貫いた人生と言えるのかもしれません。

 このような感じでいくつか紹介して参ります。まずはこちら。

柩(ひつぎ)の前にて通夜すること無用に候 通夜するとも代わりあひて可致(いたすべく)候
柩の前にて空涙(そらなみだ)は無用に候 談笑平生(へいぜい)の如くあるべく候

正岡子規(1867-1902)、「仰臥漫録」

出典:世界名言集(岩波書店、2002)

 正岡子規は明示を代表する文学者のひとりであり、日本の近代文学に多大な影響を及ぼした日本文学史のビッグネームでございます。

 原出典の仰臥漫録ぎょうがまんろくは病床で書かれた日記として知られています。「別にお通夜はいらないし、泣いてもらわなくて大丈夫。棺の前ではいつも通り談笑してくれればいいっすよ」ってところでしょうか。

 自分のお葬式を湿っぽくしてほしくないと考える方は著名人と限らず一定数いらっしゃるようです。もちろん、そうでない方もいらっしゃいますし、悲しみはゼロにならないでしょうけれども、笑って個人の思い出を談笑できる葬式には気楽さがあって、個人的には好みです。私もネクストステージに向けて出発する際には談笑可能のほうが助かります。

 続いてはこちらです。

善もせず悪もつくらず死ぬる身は地蔵もほめず閻魔叱らず
式亭三馬(1776-1822)

出典:辞世の歌(笠間書院、2011) 原出典:岩本活東子「戯作六家撰」

 式亭三馬は江戸時代後期の作家であり、浮世絵師でございます。代表作として滑稽本「浮世風呂」などがございます。

 上の句を現代語訳すると、「私の作品は、人の為になる善を勧めたのでもなければ悪を勧めたものでもない。死んであの世へ行ったとしても、地蔵菩薩に誉められもしなければ、閻魔大王に叱られもしないだろうよ」ということで、この時代にありがちな勧善懲悪を皮肉った句とされています。

 死に際に勧善懲悪をいじる根性もすごいですけれども、この頃でも勧善懲悪が王道と申しますかベタだなんて、勧善懲悪の歴史は一体どこまで遡れば源流が見えてくるのか。ベタの底力を見せつけられた気分です。

 続いてこちら。

老いたるエイブラハムは、この石の下に横たわる。だれも笑わず、だれも泣かない。どこに去ったか。どうしているか。だれも知らず、だれも気にせず。
エイブラハム・ニューランド(c.1730-1807)、「自選の墓碑銘」

出典:名言 人生を豊かにするために(里文出版、2011)

 ニューランドはイギリスの銀行家でありまして、彼の名前が紙幣を意味する時代があったほど、一時は影響力が強かったとされています。

 ただし、彼の中で最も有名なのがなぜかこの自選の墓碑銘なんだそうです。確かに、墓碑銘にしては何とも特徴的と申しますか、自分なんて知らなくても別にいいよ感が強いです。生前の知名度を実は嫌がっていたのか、亡くなればみんな忘れ去られてゆくという事実を皮肉ったのか、とにかく気になる書き方です。

宗鑑はどちへと人の問ふならばちと用ありてあの世へと云へ
山崎宗鑑(1465?-1554?)

出典:辞世の歌(笠間書院、2011) 原出典:狂言撰修「古今夷曲集」巻九・哀傷

 山崎宗鑑は戦国時代の禅僧であり連歌れんが師であり、俳諧作者です。連歌とは5・7・5と7・7の歌を複数人で繋げていくものだそうで、それに遊戯性を高めたのが俳諧とのこと。

 辞世の句を現代語訳すると「宗鑑殿はどちらへお出かけかと誰かに訊ねられたら、ちょっと用があってあの世まで行きましたと返事をしなさい」とのことです。ちなみに、死因はようと呼ばれる腫れ物とされており、「用あり」の部分は癰にかけているとされています。歌に強い宗鑑ならではの、辞世の言葉でございます。

 続いては、海外の著名人から。

諸君、喝采を。喜劇は終わったのだ。
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770-1827)

出典:偉人名言迷言事典(笠間書院、2021)

 ご存じベートーヴェンは音楽史でも重要な人物のひとりであり、日本でも有名な作曲家でございます。

 有名人ゆえに臨終の言葉も比較的よく知られています。音楽家らしい最期と感じられる一言です。

 ただ、調べたところ、似たようなことを言ってる人がベートーヴェンよりも昔にいたようです。

カーテンをおろせ、道化芝居は終わった。 
フランソワ・ラブレー(1483?-1553)

出典:世界名言辞典(明治書院、1966)

 ラブレーはフランスのルネサンス時代を代表する作家であり、騎士道物語のパロディ「ガルガンチュアとパンダグリュエル」で知られています。

 上記名言は、言ってることがベートーヴェンと似通っています。何なら、コトバンクにもっと似てる訳を見つけました。

喜劇は終わった、幕を引け。

出典:コトバンク

 ドイツのベートーヴェンがフランスのラブレーを知っていた可能性は充分にございますが、知らなかった可能性も考えれます。喜劇の幕引きと人生の幕引きをかけるというのは、こう言っては何ですが、喜劇についてあれこれ考えてきた人ならばそこそこ思いつきそうな発想でございますから、かぶってしまっても仕方がないとは思います。

 ただ、今のところは知名度でベートーヴェンが圧倒しているため、似たような最期の言葉を残していることはそこまで知られていないようです。ベートーヴェンが今後いじられるかどうかは、ラブレーの今後の頑張りにかかっています。

 続いてはフランス繋がりでこちら。

ビアン=ション、ビアン=ションを呼んでくれ、あいつがいたら俺を救ってくれる。
オノレ・ド・バルザック(1799-1850)

出典:世界名言辞典(明治書院、1966)

 バルザックは19世紀フランスを代表する小説家であり、90篇の長編・短編からなる小説群「人間喜劇」で知られています。

 そして、ビアン=ションはその「人間喜劇」に登場する、奇跡を成し遂げる医者とのことです。冗談で言ったのか、それとも臨終が近づき混濁した意識がそう言わせたのか。いずれにしろ、彼の生前の功績もあって、「作家らしい最期」を思わせる一言です。

 続いては日本に戻ってこちら。

家もなく妻なく子なく版木なく金もなければ死にたくもなし
林子平(1738-1793)

出典:世界名言辞典(明治書院、1966)、辞世の歌(笠間書院、2011) 原出典:自筆本「籠居百首」六無斎遺詠

 林子平は江戸時代後期の思想家で、六無斎の号でも知られます。

 版木とは本を印刷する時に使うものだそうで、つまり、家も妻も子も、印刷に使う版木も金もなく、死にたくもないというわけです。この6つがないため、六無斎という名ができたようです。短い言葉でここまでさらけ出すとかえって清々しい感じがしますね。

 続いてはこちら。

朦々淡々として三十年、朦々淡々六十年、末期に糞をさらして梵天に捧ぐ。
一休宗純(1394-1481)

出典:世界名言辞典(明治書院、1966)

 一休さんとして今なお親しまれている一休宗純の言葉です。

 一休の臨終の言葉としては「死にとうない」というストレートなものが有名でございますが、辞世の句としては上記のもののようです。発言やエピソードにちょこちょこうんこが出てくる一休ですが、ここでもうんこが出てきました。

 続いてはこちら。

磯の鰒(あわび)に望みを問へばわたしゃ真珠を孕みたい 
黒岩涙香(1862-1920)

出典:辞世の歌(笠間書院、2011) 原出典:大正十一年扶桑社刊資料集「黒岩涙香」

 黒岩は日本のジャーナリストであり、翻訳家や小説家としての活動でも知られています。本名は周六で、執拗な取材姿勢から「マムシの周六」とも呼ばれていたそうです。

 誰かを笑わそうとしているかのようにも見える言葉でございますが、それもそのはずで、亡くなる2ヶ月ほど前にやってきた記者に対し冗談で詠んだ都々逸だったそうです。それがそのまま絶筆になってしまったため、結果的に最期の言葉となってしったとのこと。

 最後はこちら。

この世をばどりゃお暇(いとま)と線香の煙とともにはい左様なら
十返舎一九(1765-1831)

出典:辞世の歌(笠間書院、2011) 原出典:向島長命寺の一九墓碑、関根正直「小説史稿」

 十返舎一九は江戸時代後期の戯作者、いわゆる作家でございまして、代表作「東海道中膝栗毛」で知られています。

 この辞世の句は現代語訳しなくても分かることもあってか、十返舎一九の中でも有名な言葉のようです。一応、線香繋がりで「はい」は「灰」とかかっているようです。これもまた死の深刻さを感じさせないどころか、笑わせにかかっているかのような辞世の句です。

 十返舎一九の最期と言えば「あらかじめ身体に花火を仕込んで亡くなり、火葬の際に大騒ぎとなった」というエピソードがございますが、これは初代林屋正蔵(1781-1842)の創作であるとする説が有力のようです。「こういう句を残す人だし、これくらいするだろ」と思って作ったらしいとのこと。臨終の際にも冗談を織り交ぜるタイプに魅力を感じる人はいつの時代にもいらっしゃるようです。

◆ 今回の名言が載っていた書籍


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