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ただ嵐に見舞われただけで喜ばれた話

 「多様性」なんて言葉が今更に感じるくらいには、人の価値観は多彩だと思っています。誰もが我先に奪い合うはずのものに見向きもしない人が普通にいる。そうかと思えば、みんなスルーしてきたものに目を輝かせる人もいる。多彩すぎてよく分からない。それが価値観だと勝手に考えています。

 その昔、とある大学のオープンキャンパスに行ったことがあります。主に想定している来訪者はもちろん学生ではございますが、それ以外の人が来ても別にいいらしいと聞きまして、友人と一緒に見学へ行きました。いろんな研究者が素人でも分かる説明で自分たちの最先端な研究を説明してくれるため、すげーすげー言ってるだけで1日が終わっていました。

 そんな中、気象学の研究室がやっている催し物がございました。好きな日を言ってもらえれば、その日の日本の天気図を出してくれるというものです。20世紀以降ならばどの日を言っても天気図が出せるという何だか物凄いシステムで、50音どれでも言ってもらえればその文字から始まる一発ギャグをするCOWCOW多田さんを彷彿とさせます。

 ちなみに、天気図を出してもらうと学生の方がその天気図について解説してくれるサービスが自動的についてきます。とは言え、人類は「その日の天気図を出すので1900年以降で好きな日を言ってください」と提案されるのに慣れていません。だから、そんなこといきなり言われても何日を言えばいいのか困ってしまいます。研究室側もそれは充分に理解しているようで、大抵は自分の生まれた日なんかを提案してきます。これならば、泉重千代級の猛者でも問題なく天気図を出せるわけです。

 私も自分の生まれた日の天気図を出してもらいました。すると、解説役の学生ふたりが「おっ!」とにわかに色めき立つんです。私は意味が分からず首をかしげておりますと、学生は「台風が上陸してますね、珍しい」と嬉しそうです。私は思わず尋ねました。

「台風は珍しいんですか?」
「少なくとも今日は初めてですね。日本から離れた場所にあるのは見ましたけれど、上陸した天気図はかなりレアです」

 日本人としては台風なんて毎年のようにバンバン来ては、あの川が氾濫しただのこの山が崩壊しただのと、あちこちに災害をもたらして消えてゆくようなイメージですけれども、確かに台風で大騒ぎするのは1年のうち数日から数週間とかそんなところでしょうし、上陸となるともっと少ないでしょう。そういう意味では台風が上陸した日はレアと言えばレアです。

 もちろん、私は母から聞いて知っていました。ちょうど出産した辺りで台風が通り過ぎたため、「嵐が産み落とした子供だと思った」とのことです。言わんとしていることは何となく分かりますが、それでも「産んだ本人が何を言っているのか」というツッコミを禁じ得ない感想です。

 当然ながら産まれて来た私はそんな嵐の日なんて記憶にありませんし、特別ネタになりそうなエピソードでもなければ、誰かの役に立つような話とも思えませんでした。それに、その台風で被害に遭われた人がいるかもしれない。だから、ほとんど誰にも言わぬまま今まで生きてきたわけですが、四六時中、気象学の勉強をしている学生にとっては興奮さえ覚えるような歓喜の激レア案件だったようです。人の価値観というのは本当に多彩でよく分かりません。

 ただ、お陰で私もこうやってネタにすることができたわけで、そう考えると多様性を維持したくなる人の気持ちが何となく分かってきます。価値観が多彩ということは言い換えればみんなバラバラということでもあり、それは時に共同作業に支障をきたしますけれども、バラバラゆえにいい効果をもたらす場合もある。こう書くとすごく当たり前の話な気もします。

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