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急にお笑いライブに同僚が出てきたら

 お笑い芸人のライブを見ているうち、観客と舞台との間には随分と距離があると思い込んでいました。もちろん、物理的には物を放れば舞台に届く距離なんですが、精神的にはもう完全な別世界の出来事だと考えていたんです。友人知人にお笑い芸人をしている人がいない私にとってお笑いは見て楽しむだけのものである。その程度の接点でした。

 だから、意外と身近にお笑い芸人がいると判明すると妙にビックリしてしまいます。例えば、私は大学まで通っていたわけですが、私の通っていた大学と高校に芸人の卒業者が存在するんです。どちらも何の変哲もない、地方の学校だと侮っていました。まだ同じ中学校、小学校、幼稚園出身の芸人は存在が確認されていませんけれども、芸人になる人はこれからも現れ続けるでしょうから、新たに母校出身芸人が出てくる可能性は充分にある。芸人と同じ学校出身になるのは別にいいんです。ただ、いきなり近場に現れると驚くってだけなんです。

 さて、その昔、私が友人と小さなお笑いライブを見に行った時の話です。出てくる芸人の多くはこれから売れようとしている方々で、世間的には無名に等しい状態でした。

 しっかりすべり倒した人から、爆笑をかっさらった人までいろいろいましたが、ライブ自体は何の問題もなく進みました。そして、また1組のネタが終わり、舞台は暗転と共に出囃子の音楽が鳴り出します。

 舞台が明転し、袖から真ん中に置かれたマイクに向かって歩いてきた男女コンビを見て私、固まりました。女性の方が職場の同僚に激似だったからです。何ならしゃべりも仕草もそっくりなんです。

 私は思いました。世の中には副業をしている人がいる。趣味が転じてお金を稼ぐようになった人から、会社員を仮の身分にして副業で一発当てようと夢見てる人まで、副業従事者はそれなりに幅広くいるようです。副業をしていると本業の会社に申告している人もいれば、様々な理由でひた隠しにしている人も当然いるでしょう。

 私は職場の同僚がひた隠しにしていた副業を掘り当ててしまったのだと恐怖におののきました。私、別に隠してるんじゃないんですけど、お笑い好きなことはあまり公言していません。だって聞かれないから。私だってクソ忙しい時に同僚へ「好きなお笑い芸人っているんですか」なんて聞く勇気はありません。キーボードでも投げつけられるに決まってます。つまり、私がお笑い好きだと知らなかったから、同僚も安心して副業に勤しんでいたわけです。こんな地下ライブに来るような人間なんかうちに職場にはいないだろうと思ってたはずです。しかし期待は裏切られた。全て私のせいです。私が一方的に裏切ったんです。不運なことに、次の日も仕事です。平静を装って同僚と仕事をする必要がある。ライブが終わってから出社するまでの12時間、いかに精神を立て直すかが勝負の分かれ目となるでしょう。

 友人が私の冷や汗なんかに気にしないタイプの人だったのは助かりました。特に何事もなくライブが終わり、駅で別れた友人は満足そうな顔でした。

 ひとりになってもまだ動揺が収まらない私、それでもだいぶ冷静に思考を巡らせられるようになりました。そこでようやく疑問に思い至ったんです。「あれは本当に同僚だったのか?」という疑問です。

 幸い、コンビ名は押さえていましたから、あとはそこから同僚と思しき女性芸人の芸名を探り出し、公式サイトなりSNSなりでプロフィールを収集、あとは同僚のプロフィールと比較するだけです。「こうやってストーカーってのは生まれるのかな」という罪悪感と戦いながら芸人のプロフィールを調べると、見れば見るほど違和感が増すんです。年齢、出身地、趣味、どれも私が同僚から聞いたものと違います。よく見たらプロフィール写真も同僚と微妙に違って見える。

 お陰でだいぶ落ち着いたんですが、私は万一に備えました。人は必ずしも正直なプロフィールを披露するとは限りませんし、外見に関しては衣装やメイクでかなり印象が変わります。本業と副業をキッチリ分けているタイプならば、外見もプロフィールも仕事によってガラリと変えている可能性は否定できない。

 違うと確定したのは同僚が髪を切った日でした。その日のうちに私は例の芸人のSNSをチェックしたら芸人の方の髪型は変わらずでした。ウィッグという可能性も否定はできませんが、それこそ疑い出したらキリがない。私としては心の平穏が保てればいいわけで、別にストーカーみたいな調査がしたいわけじゃないんです。同僚は芸人を副業にしていない。それだけ分かればいいんです。

 とりあえず、今後はどれだけ友人知人と似てる人が芸人として舞台に現れても他人の空似と思い込む能力をつけたいと思います。

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