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カニとの戦いに備える人

 エビやカニが嫌いな友人がいるんです。ここでは蟹江さんとしておきます。蟹江さんがエビやカニを嫌う理由はアレルギーだからではなく、見た目が気持ち悪いからなんだそうです。蟹江さんが言うには「虫が食べられないのにカニを食べられる人がなぜこんなにも大勢いるのか理解できない」とのことです。

 ネットで軽く検索したら、蟹江さんのような方は他にもいらっしゃるようです。そう言われてみればカニやエビは不気味な外見に見えなくもありません。甲殻類は昆虫などと同じ節足動物ですから、虫みたいと言われたらそんな気も致します。

 そんな蟹江さんにとって鬼門は水族館です。私も蟹江さんも大半の生き物が好きですから、一緒に水族館へ遊びに行ったりするんですけれども、ご存じの通り水族館は水生の生物を主に展示している施設でございますから、当然エビカニの類が高確率で飼育されているんです。中でも蟹江さんの天敵は世界最大のカニどころか世界最大の節足動物であるタカアシガニでございます。甲羅は最大で幅40センチメートル、足を広げた大きさは最大3.8メートルと、さすが世界最大なだけはあります。

 蟹江さんは数メートル先からタカアシガニの水槽を認識すると、「うわ、気持ち悪」と言ってタカアシガニ水槽に背を向けて通りすぎます。カニは襲ってくるわけではありませんが、何しろ見た目がダメなので、とにかく視界に入れないこと以外に対策らしい対策がないんです。

 そんなある日のことです。とある私は蟹江さんと某水族館に行ったんですけれども、たまたまその日は生物の専門家を招いて講演をするイベントがございました。早速、私は蟹江さんを連れ立って会場へ向かったんですが、講演をするのはカニの専門家で、内容はタカアシガニの生態という、蟹江さんにとっては地獄のラインナップでございました。

 あまりに心配になった私は蟹江さんに言いました。

「やめよっか」
「いや、いい。敵を知ることも大切だからな」

 まるでタカアシガニと戦争する計画でもあるかのようなセリフです。

「でも、きっとタカアシガニのスライドがたくさんあると思うぞ」
「見るわけないじゃん。当然だろ。今日は耳だけで学ぶよ」

 私の予想通り、講演はタカアシガニのスライドショーでした。解剖図まで見せる徹底ぶりでございまして、講師の方が「ここに大量のカニ味噌が確認できますけれども」と説明すると、蟹江さんは見てないのに何かを感じ取ったのか、小声で「うわあ」と嫌そうに呟いておりました。

 講義が終わると質疑応答に入ります。耳だけでタカアシガニを存分に学んだ蟹江さんは真っ先に挙手をし、講師の方にこう質問しました。

「水中でタカアシガニと出会っても襲われたりしないですか」

 会場はにわかにざわつきますが、蟹江さんはお構いなしです。何しろ、蟹江さんにとってタカアシガニは恐怖の対象でしかありませんから、対策に繋がりそうな知識は少しでも多く得ておきたいわけです。

 講師の方はさすが専門家、冷静に答えてくださいました。

「人のような生き物には襲い掛からないです。ただし性質上、突然しがみつかれる可能性はあるでしょうね。例えば背後からとか」

 蟹江さんは思わず「恐ろしい」と言い、講師の方を苦笑させておりました。

 講義が終了してからも、蟹江さんはタカアシガニにバックを取られるところを想像してはひとり恐怖におののいておりました。「なんて恐ろしいんだ、タカアシガニ。やつのいるところを出歩くのは絶対にやめよう」と真剣な様子で私に語りかけてきます。

 ただですね、私もその講義で学んだことなんですが、タカアシガニが主に生息するのは水深200~500メートルと、いわゆる深海に属する海域の底なんです。人がウッカリ出歩けるような場所ではない。その事実を蟹江さんに伝えても、「いやいや、暗い深海を歩いている時に背後からタカアシガニが覆いかぶさってきたらどうするんだ」と聞く耳を持ちません。

 私はいらない心配をするのが得意で、車に乗るたび「事故るんじゃないか」と不安になっては蟹江さんに「心配しすぎだよ」と笑われてきました。それがタカアシガニに限っては立場が逆転したことになります。どちらにしろ、間抜けなやり取りである点に変わりはありませんが。

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