見出し画像

基準とかいうあやふやなもの

 冬は身体を壊しやすいと言います。寒いし乾燥してるし日照時間は短いし、気分だって憂鬱になりがちです。じゃあ、夏はいいのかというと、夏は夏で身体を壊しやすいと言います。暑いし湿気てるし日照時間は長いし、油断したら熱中症まっしぐらです。春や秋は季節の変わり目とか言って身体を壊しやすい時期とされています。前日との気温差が激しいため身体に負担がかかり、体調管理が大変です。

 母親が季節に応じてそんなことを言っていたんで、私は子供の頃に思ったんです。それはもうオールシーズン身体を壊しやすいじゃないかと。どの季節も調子が悪いなら、もうその状態がデフォルトで、調子がいいとされる時が特殊なんじゃないかと。

 大人になってもその主張は変わりません。人はいつでも身体を壊すことができるのだと痛感もしております。ただ、「基準を設けるのは難しいんだな」とも思うようになりました。

 例えば、冬の寒さで調子がすぐれないとします。肩はこるし関節は痛いし全体的になんかだるい。でも、ここでいきなり入院レベルの重めの病気なり怪我なりをゲットしてしまうと、あのだるい日々がいかに幸せだったのかを思い知ることになります。

 じゃあ、だるい日々を過ごしていた頃は幸福だったのかというと、そうではないでしょう。その時はその時でつらかったはずです。重めの病気とか怪我とか、そういう物凄くつらいものがいきなりバチーンと来たからつらさの基準が大きく変化し、だるい日々が幸福に見えてきただけなんだと思います。では、つらさの基準をどこに設けたらいいのか。だるい日々を「つらい」に入れるべきか、重めの病気や怪我をゲットして初めて「つらい」にするのか、どちらが正しいのは判断が難しいでしょう。

 私は大学時代に教官から聞いた言葉を思い出しました。「異常を定義するには、まず正常を定義しなければならない」。物事が異常かどうか判断するためには、まず正常がどういう状態なのか決めなければいけない。正常の範囲が決まれば、そこから外れたものが異常ということになるわけですね。一見すると理にかなっているんですが、ひとつの強力な疑問が湧きあがります。「その正常は本当に正常なのか?」。

 「正常」も「異常」も、人はその言葉を使う時、無意識のうちに何かと比べているはずです。「(あれと比べて)正常」「(これと比べて)異常」みたいな感じですね。比べ方が正しければいいんですが、正しいかどうかの判断が難しい。自分の感覚で勝手に正常や異常を決めたところで合っている保証はないんです。そもそも人は自分のことを意外と分かってなかったりする。

 私もまた冬は心身ともに重くなりがちで、だるいし眠いし調子がすぐれないなとすぐ思ってしまいます。逆に春が近づき、寒さが緩んでくると気分が良くなってきてテンションが上がります。怪我をするのは往々にしてそういう時なんです。テンションに任せて階段を下りながら不思議な踊りをしたがために、腕を手すりに激しくぶつけて激痛のあまりうずくまるなんてのも、春ならではの現象です。仕事も寒い冬のほうがミスは少なく、春になってヘラヘラし始めたところで訳の分からない失敗を叩き出すんです。

 何なら状況が悪いとうまくいく場合があるんです。私、大学入試では、万全の状態で解いた問題よりも、おしっこを我慢して解いた問題のほうが正答率が高かったんです。思わぬ尿意で判断力が高まったのか、記憶力が増大したのかは知りませんが、「こりゃやべえな」と必死になったのがいいほうに働いたようです。だからと言ってわざと膀胱パンパンの状態で試験に挑むと点数は悪くなるでしょうし替えのパンツも必要になるでしょう。難しいところです。

 基準というものは本当にあやふやです。あるいは、あやふやなものを基準にしているのかもしれません。だからこそ、環境が恵まれていないからと諦めてはいけないんだと思います。自分を追い込めば万事解決だと言い切れはしませんが、「諦めるな」というよくあるアドバイスのちょっとした根拠にはなっているようです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?