風刺はお笑いか
風刺というものは昔からあるようで、歴史の授業で世の中を風刺する文や絵が出てきます。そして、「昔の人はこうやって社会の不満を笑っていた」みたいな解説をされた記憶があります。
風刺で不満を笑い飛ばしていたのは分かるんです。世の中の不満を訴えたい人がいるというのも分かる。ただ、学生だった私は「これ笑えるの?」という、素朴でありながらも、なんか根底的な部分に揺さぶりをかけるような疑問を抱いてしまったんです。
例えば、「風刺画」で検索してみると、いろんな作品が出てはくるんですが、個人的には笑えるものがほとんどないんです。何を風刺しているのか分からないから笑えないものもあるにはあるんですが、意味が分かってても「これで笑う人っているの?」と単純に思ってしまう。何だったら、「これを考えた人は本当に笑いを取りに行っているのか?」という疑問を抱かせるものもありました。これはどういうことなのか、ずっと気になっていました。
そもそも風刺って何なんでしょう。とりあえず、辞書で調べてみました。
特定の社会や人物に対して不満を持つ人はいつの世もいらっしゃいますが、直接言ったんじゃ角が立ちます。だから、遠回しに言う「風刺」という手法が生まれたのかなあと思わせるような説明です。そして、その遠回しの手段として笑いも用いているらしい。
何かを悪く言うという意味では、似た言葉として「毒舌」があります。こちらも辞書で意味を調べてみました。
どちらも似たような意味に見えます。でも、お笑い番組を見ていると「毒舌キャラ」とは言いますが「風刺キャラ」とはまず言いません。みんな風刺と毒舌を辞書に載っていないレベルの、ニュアンスの違いで明確な区別をしているようです。では、その違いとは何なのか。
ウィキペディアにあった「毒舌」の項目にヒントとなりそうな記述がありました。
発言された方は小沢昭一さんで、役者やタレント、エッセイスト、研究者など多方面で活躍され、大学在学中に日本で初めて学校に落語研究会を創設したり、漫談をおこなったりしているなど、演芸の分野での足跡も残しています。
日本のお笑いは演芸と深いかかわりを持っていると申しますか、むしろ母体くらいの勢いなので、小沢さんは今でいうお笑い寄りの方だったのではないかと推測します。そんな方が毒舌には笑いが必要というようなことをおっしゃっている。毒舌本来の意味に合致しているかどうかはともかく、多くの日本人が何となく抱いている「毒舌観」を言い表しているよう見えます。
小沢さんの見解を「風刺」の辞書的な意味と比べると、風刺と毒舌は目的に大きな違いがあるように思えます。風刺が特定の社会や人物を批判するのが目的なのに対し、毒舌が目指しているのはとにかく笑いのようです。
昨年のM-1グランプリで優勝したウエストランドはそれこそ毒舌漫才と評されていますが、優勝後に出演された動画で毒舌に関して気になるやり取りがありました。
上の動画の1分01秒辺りから抜粋します。読みやすさを重視するため、カッコ書きで言葉を補ったり、発言の細部を変えております。また、お名前は敬称略となっております。
笑いあっての毒舌だということがよく分かる内容かと存じます。個人名を出してしまうと、その人のファンは笑いづらくなる可能性がありますし、そうでなくても「ファンは笑えないだろうな」という感想が頭をよぎると、これまた笑いづらくなるかもしれません。罪悪感が笑いを抑える危険があるわけです。だから、ネタの微調整を繰り返した結果、漫才から個人名が次々となくなった。そして、佐久間さんの名前だけは本人を直接攻撃する目的で使っていないためか、ウケがよかった。その結果、決勝でも使うに至ったのでしょう。
ただの悪口は毒舌ではない。笑いを取るためにきちんと考えられたものである必要がある。少なくともお笑い的な毒舌はそうなんだと思います。
これで少なくとも個人的には風刺が笑えない理由は分かりました。風刺は特定の社会や人物の批判が目的なので、仮にスベっても役割を果たせるのだと思います。風刺は角が立たぬよう、遠回しな表現を用いているものであり、その「遠回しな表現」のひとつとして「笑い」が採用される場合があるだけで、笑えるかどうかが主な感心ごとではない。批判を目的とした笑いですから、どうしても嘲笑的と申しますか、身も蓋もない表現をすれば「対象をバカにする笑い」が強くなる。それに罪悪感を抱く人は笑いづらくなるに違いありません。ただ、風刺の場合はそれが問題にならない。
ではお笑いに風刺的な要素がないかというと、別にそんなことはないと思います。時事ネタを題材にネタを作れば必然的に社会風刺が入ったものになるでしょうし、調べたら風刺ネタと言われている方もいれば、風刺ネタを自称する方もいらっしゃいました。それで笑いを取る方も普通にいらっしゃいます。
今のお笑いは芸人の数が増えたことでかなり多様なネタにあふれており、その中の小さな一群として時事ネタがある印象です。小さくとも古くから脈々と続いてきているとも言えます。
今後がどうなるかなんて全く分かりませんけれども、ひょっとしたら風刺ネタをする芸人が増える時代があるかもしれません。ただ、それが主流になるかどうかは微妙な感じがします。それは聞いた人が罪悪感を抱きやすいとかそういう部分よりも、今のお笑いは多様化が進んでいるという面が大きいんじゃないかと考えています。今の芸人はなるべく他の人とかぶらないよう、居場所探しのように自分独自のネタを求める方が多く、また、往々にして独自のネタを作れるような方が売れているような印象があるからです。仮に風刺ネタが流行ったとしても、水面下では「風刺ネタが流行ってんなら、自分は違う方へ行こう」という芸人が確実に現れ始めているはずです。他の人と同じことをやっても埋もれてしまうのが目に見えているからです。
今回は以上となります。ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
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