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<笑う走馬燈・2>初代・三遊亭楽大さんのこと

2021年6月13日に、三遊亭円楽師と伊集院光さんの落語会がある。
場所は有楽町よみうりホールで、親子会でなく二人会だとか。
(1ヵ月前の5月10日にも、横浜にぎわい座で催された「円楽独演会」でシークレットゲストとして伊集院さんは登場したそうな。おそらくリハーサル的な出演だったのでしょう)

私は東京在住時代かなり熱心な伊集院リスナーで、2003年4月に横浜にぎわい座の楽太郎一門会に伊集院さんが出演した際も聴きに行ったほどなのだけど、東京を離れて8年経ち、金銭的にも東京往復ができなくなった現在、行きたくてもどうにもならなかった。
ただ、心の中ではとてもホッとしていて、お祝いしたい気分ではある。

現在は削除してしまったが、2003年当時自分の落語特化サイト「落語別館」で掲載していた日記を、ホッとしたついでに再掲する(友達限定のFacebookでは既に公開済み)。基本、文章に手はつけていないけど、一部読みやすく修正し、必要な部分には校注を入れ、本編と関係ない特定人物名の出る場面はカットした。2本分の日記をジョイントしたので無闇に長いのはご了承願う。

 ~ ~ ~ ~ ~ 

三遊亭楽太郎師の元弟子、三遊亭楽大こと伊集院光さんが約10年ぶり(当方推測)に落語会の高座へ上がることになりそーだ……そう聞いたのは、昨年の秋であった。
それがこの日、つまり2003年4月8日、実現の運びとなったのである。
なんだか感慨深かった。別に身内でもなんでもない、デビュー当時からの一ファンなだけの存在なのだが。

1988年の中頃、民放ラジオの深夜放送で伊集院さんを知った時、彼の自称は「オペラ歌手」であり、私もそれをなかば信じていた。
伊集院さんのラジオはとても自分のシュミにあい、面白くて、ハマった。
当時自分の連載する4コマ雑誌連載に似顔絵を描き、読者に紹介したりするオセッカイもした。

1990年暮れに発売された『落語』30号(弘文出版)の≪最新東西 全落語家名鑑≫を見て、「なに~っ !?」と叫び腰を抜かした。
オペラ歌手だったはずの伊集院さんの顔が、三遊亭円楽師率いる「落語ベアーズ」(現・円楽一門会)のメンバーの中にあったのである。
“三遊亭楽大”という名前で、レッキとした二ツ目。
同誌掲載の中では唯一の、三遊亭楽太郎師の弟子。
「そーいえば以前ラジオで、所属事務所が『星企画』だって言ってたなぁ……。星企画ってたしか……」
かつてそんな疑問がフッと沸き、すぐ消えたことを、その時改めて思い出した。もちろん、だからってファンをヤメたわけではなかったが。
(注・星企画は五代目三遊亭円楽師と一門の事務所)

その後伊集院さんは、TV畑にもちょいちょい登場するようになる。
この段階では、“楽大”と“伊集院”の二足のワラジは続けつつ、ラジオのレギュラーなど“伊集院”の立場からは、まだ落語家であることはナイショにしていたはず。

ある年、名古屋の中京テレビで、中日ドラゴンズ応援番組の司会を勤めた伊集院さん。
で、その番組にある時、なんと私がゲスト出演することになった。と言っても、ロケ取材のみ。顔合わせも無く、会話のカラミも無し。
(注・当時の私は中日ドラゴンズの4コマ漫画でそれなりにお仕事を頂いていて、ドラゴンズや野球4コマの単行本もちょいちょい出していた)
中京テレビの取材クルーが、当時ワタシが住んでいたマンションにやって来て、ビデオを回す。何をしゃべったかは全然覚えてない。
取材終了後、全員が雑談している時に、ここぞとばかりに私は嬉々として切り出した。

「伊集院さんて、ホントは落語家なんですよね~!」

取材クルーはなぜか誰一人、リアクションなし。
ウケるかな~と思って話したのに、その時、沈黙の意味が私には判らなかった。
その後、番組からオンエアビデオは送ってこないし出演料も入らなかったので、出演自体、無かったことになってると思う。

その数ヵ月後だったかに、ラジオで「事務所を移籍した」と話していた。つまり、落語家を辞めた、ということを暗に漏らしたわけ。
極度に自意識過剰だった当時の私は、「ひょっとして私の責任……?(冷汗)」と密かにドギマギした。

今みたいに、ナマ落語通いが自分の生活の一部になっているならともかく、当時はフシギと、“三遊亭楽大”の高座を追っかけようとはまったく思わなかった。
演芸情報誌「東京かわら版」さえ知らず、ネットもやらず(やってても今ほど落語情報サイトは無い)、放送媒体と雑誌からしか落語業界知識を得なかったせいかもしれない。
したがって、事務所が代わった件のドギマギはあったものの、
「イジューインは素性が何だろーが、ラジオトークが面白けりゃそれでいーじゃん!」
そう考えていたフシがある。

移籍前後の頃、ラジオの高田文夫さんや浅草キッドの番組で、「伊集院は元落語家だ」てなカンジの暴露チックなトークを何度も聴いた。
TVの帯レギュラーを勤めたりして露出も増えた頃には、次第に自分からもその過去を話すようになった。
正直、このカムアウトにはホッとした。なんでだろ。
それでも、やはりラジオの深夜番組で電気グルーヴのピエール瀧さんが
「伊集院の落語を飲んだ席で聴いたよ。やっぱ上手いわ!」
なんて話していたのを聞いた時などは、なんつーか、切ねェ~気分になったっけ……。

で、おととしだったか先おととしだったか(マジ忘れ)に現在もレギュラーオンエア中の深夜ラジオ番組で、ドッキリ企画として楽太郎師と(ムリヤリ)再会を果たし、さらに昨年取材先でまたまた再会、酒席で「来年4月の一門会(つまり今回の会)に出ろ」とのオファー。
そして本日……というのが、一門会出演までの経緯である。


そんなわけで京浜東北線に乗って桜木町へ。初めての横浜にぎわい座。
永田町の官公庁街にある国立演芸場とは違い、街の真ん中にふつーにあるのが好印象。
前夜、伊集院さん本人が生放送のラジオで落語会のことを話したせいか、入口付近には「いかにも深夜ラジオ好きそう」な若い男性が数名、入り待ち?していた。
まぁ、ワタシも齢40にしてイマダに深夜ラジオ大好きですがね。
入口でもらったパンフレットに、こんなタイトル。

「開場一周年記念特別公演 三遊亭楽太郎新旧一門会
 ~やめた弟子とやめさせられそうな弟子を集めて~」

キレイな会場内は全410席。すわった席は、列の間、足の置き場がずいぶん広くて快適。
前列の椅子の背についたテーブルも、幅が必要最小限。しかもマグネットでピタッと静かに閉まる。
これほど快適な演芸場は初体験だが、売店で缶コーヒーが売ってないのは永田町と同じだった。
客層の方は、地元のご常連さんとおぼしき高齢の方が1階席には多め。
当日客のラジオ連は2階席。これも助かった。会の“空気”がヘンな方向にイジられないで済んだ。
(以下、当日の高座の内容や感想は有料ゾーンにて公開)

 ~ ~ ~ ~ ~ 

6月13日の師弟二人会を前に、18年前以上に積年の肩の荷が下りた思いがするので、今回一般公開もしているnoteの方でも改めて公開させていただいた。やれやれ。
これからは伊集院さんの落語姿、テレビでも見られるかな?
快哉快哉。(第2回・了)

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