置き去りシクラメン
清掃中の給湯室に入ってきた先生が、花瓶の水を替えながら言った。
「これ、邪魔よね。たぶん〇〇先生だと思うわ。声かけてみます」
「これ」とはシンクの上に置かれた2鉢のシクラメンのことだ。
ひとつ目のシクラメンの鉢が給湯室に置かれたのは、2月の末辺りだった。萎れた花が数本、葉はだいぶ減って黄色がかり、鉢を持ち上げると水を含んだ土の重さを感じた。このフロアの先生が、水やりのあと置き忘れてしまったのだろう。
しかし、誰も鉢を迎えに来なかった。次に見た時には、株は萎れから枯れに移行しつつあったが、土の表面はまだ湿っていた。これまで、鉢植えの植物を捨ててほしいと直接手渡されたことも、「処分してください」と書かれた紙が添えられてゴミ箱のそばに置かれていたこともあるが、これはどういうことだろう。窓も無いこんな所に置いたまま面倒をみるつもりなのか。そもそも鉢を置いていった人と水をやった人は同一人物なのか。置き去りシクラメンを眺めるうちに、ついガーデナーの習性で枯れた花茎と葉を取り除いてしまった。持ち主に無断で。
そのせいではないと思いたいが、数日後、鉢が2つに増えていた。
葉が茂ったまま花期の終わりを迎えている紫のシクラメンだ。ここに置けば、誰かが世話をすると思われてしまったのだろうか。これ以上、給湯室がシクラメンの墓場になってはいけない。ふたつ目の鉢には手出しをしないことを誓い、上司に鉢の存在と私の所業を報告した。
しかし、私が何もしなくても、枯れた花や葉を取り除く誰かや、水をやる誰かが存在した。また、給湯室のシクラメンについては他の清掃員達にも共有されたが、持ち主の情報は入ってこなかった。
そのうち、2つの鉢は給湯室の風景となり、土は乾き、葉は枯れたり完全に無くなったりした。ここでそのまま夏越しに成功して、秋にひょろっと新芽が出てきたりしたら面白いなと思うようにさえなっていた。
男性の先生に声をかけられた。
「長いこと置きっぱなしですみません、給湯室の鉢処分してもらえますか?」
持ち主はこの人だったのか。そうだ、聞きたいことがある。
「鉢は2つとも先生のものですか?」
「そうです」
時々、水をやったり、枯れ葉を取り除いていたのも先生ですか?と問いたかったが、それはちょっとハードルが高かった。
「あの・・・この鉢、私がもらってもいいですか?」
先生は少し怪訝な顔をしたが、処分でもどちらでもいいです と仰ったので、また上司に報告して了承を得、持って帰ってきた。
夏越しの結果を見届けようか。枯れた花や葉を摘み取ってしまったことも、あのフロアを私が担当した日に置き去りシクラメンの主が判明したことも、縁と呼びたい気分なのだ。
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