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コミュニティFMに手を振って 第3話

 会社には9時までに出社するように。私への連絡はこれだけ。スーツを身に纏い、社会人生活第一歩が始まる。不本意な就職先ではあるが、そうはいってもラジオ局。それにここで頑張ればもしかしたら…。私は諦めの悪い女。次のステップのためにFMビートを踏み台にしてやる。
 気合満々というわけではないが、30分も前に会社へ到着してしまう。早く着いて怒られることはないだろうと私は局に足を踏み入れる。去年の11月、両親に無理やり連れられた面接試験から4か月。
局に入ると、ものすごい形相で掃除をする男性が2人いる。一人は40代前半くらいの細身の男性。もう一人は…局長だ。2人は私に気づかず掃除を続ける。一人はモップ掛け、もう一人は雑巾掛け。その行動は一生懸命を超えて殺気まで感じる。
「あの…」
 私が声を掛けると、局長がやっと私の存在に気づく。鬼の形相のまま声の主を睨み、私だとわかった途端、表情が初めて会った時の温和な笑顔に変わる。
「あぁ、安原常務の…。早かったね。9時にはミーティング始めるので、中で待っていて下さい」
 と言い、鬼顔に戻り再び掃除に取り掛かる。私の頭に掃除ロボットという言葉が浮かぶ。ロボットのような姿を見ていると、手伝いましょうかなどと気軽に言える雰囲気じゃない。その言葉を発した瞬間、私も掃除ロボットに変身させられそうで、2人の横を抜けオフィスへ向かう。
 掃除ロボットを抜け局内に入ると、今度はお喋りロボットに遭遇する。
「そんなこと実際にあるの?」
「本当なのよ」
「私だったら怒るな」
「よく我慢したわね」
「私だって怒ったわよ。柿ピーもう一袋いる?」
「ありがとう」
「私も」
「もっと腹が立ったのがね…」
 面接の時は電気がついていなかったオフィス。テーブル、椅子、それからキャビネットがあちこちに散乱している。そのテーブルの1つにたくさんのお菓子とペッドボトルが置かれそれを囲むように3人の女性…女性というかおばさん。私の母より若いと思うがお姉さんじゃなくておばさんだ。誰だろう?アナウンサーには見えない。掃除のおばさんかな?いや、掃除をするどころか、さっきからお菓子の食べかすを巻き散らかしている。しばらく立ち尽くしていると、ようやく私の存在に気付く。
「あなた誰?」
「今日からFMビートでお世話になります安原みちるです」
 私が挨拶すると少しの間の後、あぁ、とほぼ同時に3人が声を出す。
それきり3人は私を無視してさっきの話の続きを始める。
「それはあなた気が長いからよ~」
「大人って呼んで」
「そんなことより、わさピー食べない?」
「わさピー?」
「わさび入りの柿ピーなの」
「辛くない?」
「そこがいいのよ。辛い辛いともがきながら喉元通り過ぎる快感さ」
「あんた相変わらずMねぇ」
「どれどれ一口、頂戴。わっ辛い」
「そんなオーバーな…わっ、ゴホッゴホッ。むせた…」
 右も左もわからない場所にやって来た私に対して、掃除ロボは「中に入って」と言い、中のお喋りロボは「あぁ…」で終了。このまま帰っても気づかれないのでは?その時、オフィスに一人の女性が入ってきた。すらっとした長身で痩せ形の女性。女性は何も言わず空いているテーブルに自分の鞄を置く。お喋りロボットは一瞬女性を見たが、何も言わずお喋りを続けたまま。挨拶しようとしたが、それより速いスピードで奥の部屋へ。あの奥は確かトイレと休憩室。どっちにしても挨拶は後だな。しかたなく私は空いている椅子に座る。時計を見ると8時45分。入口の方からは、チャカチャカと音が聞こえる。局長は本当にロボットに変身していたりして。ついでにうるさいお喋りロボも掃除してくれないだろうか。唯一まともそうだった女性は奥に入ったきり戻ってこない。私はお喋りロボから一番離れた椅子に座る。あと15分。我慢だ…。
 本当に我慢の15分が続く。お喋りロボットは、韓国のお土産だといい、キムチのパックを開けだした。
「あなたはドMねえ。辛い~辛いって涙流して喜んで」
入社式10分前にキムチの匂いが充満するオフィスに一人佇む22歳。どこかのラジオ局にこのエピソード送ったらトークのネタに紹介してもらえるかも。番組特製のタオルくらいもらえるかな。そのタオルでお喋りロボの首を一人一人絞めつけたい。そして倒れたロボは、掃除ロボに片付けてもらって…。私は何を考えているんだ?時計を見ると8時55分。するとお喋りロボ達が突然立ち上がり、スタジオに向かって歩く。
「匂いきついからキムチ蓋してよ、」
「それよりさっき話してた店って競馬場通りだったわよね」
「違うわよ、白樺通り。相変わらず人の話いい加減に聞いているわねぇ」
 お菓子や飲み物などを抱えた3人はスタジオに。
あの人達出演者だったの?
スタジオのドアを閉める大きな音が響く。3人の口は動いているが防音設備のおかげで何も聞こえない。ようやくオフィスが静かになったと思ったらお掃除ロボの二人がやって来る。ジムで筋トレでもしてきたかのような汗まみれで疲れ切った顔。これから仕事だというのに大丈夫なのかこの二人。
「じゃあ朝のミーティング始めるか」
 9時になり局長が言い、テーブルを囲む。気づいたら長身の女性もその輪の中にいた。
「おはようございます」
 局長の挨拶に我々3人が続く。そして局長が私の紹介を始める。学生時代から放送局で東京の大学でもアナウンス研究会で活躍して、即戦力の加入は我が社にとって喜ばしい…と言う歯が浮きまくりの激褒めぶりだったのだが、実は局長の言葉がほとんど頭に入ってこなかった。というのも…。
「帯城市の皆さんおはようございます。4月1日月曜日朝9時になりました。FMビートモーニングシャウト。今日の担当は、那波真由美と」
「藤城美也子」
「ケイタンです」
「皆さん聞いてくださいよ。本番前にケイタンがキムチを食べ始めて、それが臭い臭い」
「臭くないよ、辛かったよ」
「そうじゃなくて臭い」
「まぁキムチだからね、ギャハハッ」
 お喋りロボは、オフィスでのトーンのまま電波で喋る。キムチが臭いの辛いのとラジオから流れるお喋りロボの拙い話、そして何度も噛んだり言い直したり、会話の中身も支離滅裂。あまりにもひどい内容に局長の話がちっとも身に入らない。
「ギャハハー」
 たいして面白くもない話で3人そろって大笑い。音割れていますよ…。さすがにミーティングの邪魔になると判断したのか、掃除ロボの片割れがラジオのボリュームを下げた。
「では、安原さん。自己紹介を」
 ここに着いて30分ちょっと。何もしてないのに疲れているが、今からだ。私は立ち上がり、私を凝視する3人に挨拶をする。
「安原みちるです。局長からも紹介ありましたが、帯城市生まれ帯城市育ち。高校卒業後、青智大学に入学し、4年間アナウンス研究会に所属していました。今回縁があってFMビートで働くことになりました。放送局キャリアは中学から10年ありますが、プロとしてのキャリアはもちろんありません。ラジオも不慣れですしいろいろとご迷惑をかけることもあるかと思いますが、よろしくお願いします」
「それでは次、先日完成したタイムテーブルの配布先の件ですが…」
 あれ?普通は自己紹介が終わったら拍手があったり、激励の言葉があったりするのでは?まるで私の挨拶が一つの連絡事項のように流れてしまう。
 ミーティングは30分ほど。私の自己紹介以外は局長が一方的に喋り、他の二人は頷いたりメモをするだけ。その内容もタイムテーブルをクライアントやお店に配布しましょうや、局内の掃除と節電は徹底しましょう、タイムカードの押し忘れが最近多いとか、放送局らしい話が一切出てこないままミーティングは終了した。
「お疲れ様でした」
 ミーティングが終わると、また長身の女性は奥へ引っ込む。そして局長はホワイトボードに営業と一言書き、忙しそうに局を出た。ホワイトボードには、上から沢村、長内、野本、そして安原の名も書かれている。沢村は局長だから、年齢順を考えたら掃除ロボが長内で長身女が野本だろう。
「メール待ってます。差し入れも、ギャハハッ」
 スタジオの中でしょうもないトークをしている、3人の名前はホワイトボードにない。
「安原さん東高の放送局出身だって?」
 掃除ロボ…多分長内が私に話しかける。掃除の時の鬼の形相とも会議中の死んだ魚のような眼とも違う、血が通った人間のような…ようなじゃない人間だ。
「俺も東高の放送局OB。ちょうど20年先輩になるから接点の欠片もないけどね。俺、長内信孝。一応制作部長。4人しかスタッフいないから部長なんて名ばかりだけど、よろしくね」
 やっぱり長内だった。
「わからないことあったら何でも聞いてね。というか、わからないことだらけか」
 聞きたいことはたくさんあったが、私はスタジオの中の3人の事を聞く。
「ボランティアパーソナリティ」
「ボランティアですか?」
「うちってスタッフ少ないから、ボランティアに番組ごと任せる時間帯が結構あるんだ。挨拶した?」
「いえ。3人でずっと喋ってて話できる雰囲気じゃなかったので」
「そうなんだよな。あいつら自分の家にいるかのようにリラックスしやがって」
 スタジオの中のお喋りロボは、さらにリラックスして喋っている。
「ねえ、昨日のドラマ見た」
「見た見た!ラブシーンキュンとしちゃった」
「私も~」
「ひどいトークだろ」
と長内。
「本人達はタレントのつもりなんだ。ボランティアのくせに。こんな放送だとますます誰もうちの局なんて聞いてくれなくなるよ」
 演技がかった口調で言う。長内はその口調のまま、ボランティアの本来の役割とFMビートのボランティアの現実と語り始めた。結構長い時間喋っていたが、簡単に言うとボランティアはサポートの役割なのに主役だと勘違いしている。長内の言うボランティア論が合っているかはわからないが、お喋りロボの中身はないのに態度だけは堂々としている話し方は、自分が主役だと微塵の疑いも感じていない様子だ。京平からもコミュニティFMはボランティアによって番組が成り立っている局が多いとは聞いていた。局によっては、社員は営業だけでパーソナリティが全員ボランティアというところも。だから長内から聞いた説明も驚くよりもやっぱりという気持ちの方が強い。しかし、それにしてもひとつ気になることがあり、私は長内に聞いてみる。
「長内さんはそれ、あの方達に言ったことあるんですか?」
 私は軽い気持ちで聞いた。ところが長内は予想以上に動揺している。聞いてはいけなかったのか?何かを言おうとしているが、言葉にならずスタジオの方を振り向きそして私を見て…こんなに動揺すると思わなかったので、私にも動揺が移ってしまう。
「そんなこと言えませんよね、天下のボランティア様に」
 後ろから女性の声。振り返ると野本。いつの間にか戻ってきていたようだ。長内は舌打ちをして、何も言わずに奥へ行ってしまう。仲悪そう。空気悪いなぁ。
「よろしくね。野本です」
 すごい。この空気の中爽やかな笑顔で私に挨拶してきた。私も今できる限りの笑顔で、こちらこそ、と挨拶した。そしてその数秒後には長内がオフィスに戻ってくる。
「野本さん、ビートインフォメーションの時、安原さん一緒にスタジオ連れてってくれる」
「わかりました。内容いつもの感じでいいですか?」
「いつもの以外、何かあるの?」
「ありませんよー」
 そう野本が言うと2人は楽しそうに笑う。つい1分ほど前、嫌味と舌打ちのキャッチボールを交わした人とは思えない。
私の頭の中の整理が終わる前に、長内が番組の説明をする。
「10時からビートインフォメーションという番組が始まります。これは月曜から金曜まで、毎日10時から18時まで。偶数時間00分からの10分番組。帯城市や十勝のニュースにイベント情報。警察や自治体からの話題や交通情報などを伝えるプログラムです。今は僕と野本さんが交代で喋っていますが、安原さんにも担当してもらいますので、そのつもりで聞いてください」
 長内の話を聞きながら私は思っていた。ラジオ局みたい!ここに来て1時間ちょっと。掃除とお喋りとキムチと意味のない会議と不穏な空気で、ラジオ局にいることを忘れかけていた。
10時少し前。野本の後に続き、私もスタジオに入る。番組は音楽が流れていてお喋りロボは、ドラマに自分が出たら誰とキスシーンをしたいかと、放送中の話の続きに没頭している。この人達はオンマイクもオフマイクも関係ないのか?野本は3人と目すら合わせず空いている席に座る。3人も目を合わせない。まるでお互いここにいない人同士のようだ。
「まもなく10時。帯城デパート開店の時間です」
 今日から毎日飽きるほど聞くことになる地元デパートのCMが終わり、BGMが流れる。
「午前10時になりました。帯城市や十勝の話題をお届けするビートインフォメーション。この番組は、帯満亭の提供でお送りします」
 父の勤める会社のCMが終わると、野本が喋り始める。まず先日の土曜日に帯城市体育館で行われた卓球大会の結果と児童館祭りの話題。今週土曜、日曜に実施される中古車フェアの告知と市役所の臨時職員の募集。さらに「車上荒らしに注意しましょう」という警察からのお知らせと市民ギャラリーの今月の予定。5月開催の親子ふれあいコンサートを紹介した。
「帯城市や十勝の話題をお届けしたビートインフォメーション。この番組は、帯満亭の提供でお送りしました」
 BGMがフェイドアウトされ再び帯満亭のCMが流れる。時間にして10分。野本は卒なくこなし、そしてお喋りロボと目を合わすこともなくスタジオを後にした。オフィスに戻ると長内は録音室で何やら作業をしている。野本は肩が凝ったのか首を一回まわして、また奥へと入る。私はオフィスでひとりぼっち。何をしていいかわからず、とりあえず椅子に座りラジオに耳を傾ける。
「今度フリーマーケットに出店しようと思っているの」
「何出すの?」
「要らなくなった子供服とかベビーチェアとか」
「うちも出そうかな。次いつだっけ?」
「4月の…あれ、いつだったかな?知っている人いたらメールください。ギャハハッ」
 ビートインフォメーションの野本。その第一声を聞いた時、「うまい」と最初は思った。だけど2本目、3本目と情報を読むごと、「まぁまぁか」に感想が変わり、最後の方は聞き飽きていた。アクセントは乱れていないし声も出ている。トチリやどもりもなくスラスラ喋れてはいたが、耳に入ってこない。そんな印象だった。第一声がうまいと思った理由は、今わかった。お喋りロボのド素人放送を1時間聞いたあと耳にしたから。アナウンス研究会に野本がいたら、「もっと自分を出して」と先輩から注意されるだろう。野本は自分を殺して喋っている。
「あぁ、お疲れ」
 録音室から長内が出てくる。
「局長から業務内容とか聞いた?」
「いえ、何も」
 長内は「困ったなぁ」とオーバーなリアクションをして、「あの人はいつも…」とか「結局全部俺に…」と独り言を続け、気の済んだところで私の仕事について説明が始まった。
「うちの局は平日朝9時から夜7時まで10時間放送を流しています。我々の勤務時間はフレックス制ですがこの10時間は必ず誰かがいないといけません。3人いるので早番遅番、休憩時間は相談して決めましょう」
 アバウト。それで、いいんだ。
「土日は休みです。たまにイベントが入ったりしますが、まぁだいたい休み」
土日が休みの週休2日。ラジオ局ですよね?
「そして番組ですが、4月からのタイムテーブル。見た?」
「いえ」
「何だよ局長何もやって…」
 また全部聞こえる独り言を言いながら、私にタイムテーブルを渡す。月曜から金曜まで朝9時からはモーニングシャウト。今流れているお喋りロボの番組だ。出演者名を見ると那波ら9人の名が書かれている。
「あれ、9人もいますね」
「15人くらいいた時もあったんだよね。この時間はビートファンクラブっていう地元の支援ボランティアによる番組で、その時によって人数が違うんだ」
 リーダーは、那波真由美。今日も中心になっているおばさんだ。出演日は特に決まっておらず、多い日は6、7人スタジオに入る時もあるし、少ない日は0人の日も。
「0人の時はどうするんですか?」
「俺達社員が喋る」
 アバウトすぎる。その後、ビートインフォメーションが12時に入り、12時10分からはミュージックライン。
「ミュージックラインってどんな番組ですか?」
「音楽番組…ってか番組じゃない。ただ音楽流しっぱなし」
 14時からビートインフォメーションで14時10分からはミュージックライン。まただ。そして15時からはアフタヌーンシャウト。パーソナリティは月曜火曜が長内、水曜木曜が野本、金曜が安原みちる…みちる…え!
「長内さん。これ…私が喋るってことですか?」
「局長から聞いてない?」
「はい」
「何だよ局長は…」
 もういいよ、聞こえる独り言は…。そんな事より、まだ入社したばかりで3時間の番組を持たせるって、コミュニティFMアバウトすぎる!そして18時からまたまたビートインフォメーションが入り、18時10分からは、ビートニックアワー。
「ここもボランティア枠。CDショップの店長とか女子高生なんかが日替わりで番組担当。ここについては追々説明します」
 19時からはミュージックライン。朝の9時までひたすら音楽が流れる。これがFMビートの番組ラインナップ。これはコミュニティFMとして番組が多いのか少ないのかわからないが、この人数なら仕方ないかも。
「それで私は、まずなにをやればいいですか?」
「俺達の仕事見ていて。わからない時はその都度聞いて」
 アバウトすぎる。マニュアルも指導も何もありゃしない。
「営業先回るんでランチ挟んで2時過ぎに戻ります」
 長内はそう言い残し外出する。「営業」と書かれたままの局長は戻ってくる気配無いし、何も書いていない野本さんは奥に入ったまま。奥…休憩室。面接の時には入ったが今日はまだ行っていない。やることも特にないので奥の間に入る。6畳ほどのスペースには流しとキッチン、テーブルとイスが4脚。窓はない。そして換気扇が回っているとはいえ、煙草臭い。ここに野本がいた。というか…寝てた。椅子を並べ、器用に体を横たわらせている。バランスを崩したら床に落ちそうだが、そこは慣れているとばかりに安定感があり、たとえ地震が起きても椅子から落ちないような、そんな不安定な安定感を保っている。10時に野本はビートインフォメーションを無難にこなした。奥の部屋で原稿書きや読みの練習をしていると思っていた私の予想、大外れ。せっかくこの部屋に来たので、私はお湯を沸かしコーヒーを入れる。コーヒーの香りで目が覚めたのか、野本がムクッと起き上がる。
「私もコーヒー」
 一言だけ言い、また眠りにつく。夜明けのコーヒーは聞いたことがあるが、寝言のコーヒーか?
「コーヒー置いておきます」
 何も言わない。私が部屋を出ようとすると、野本が呟く。
「後悔してるんじゃないの?」
 小さな声だが、その言葉の矛先は間違いなく私。私に聞いている。ここに来たこと。FMビートに就職したこと。
「そんなことありませんよ」とか「まだ初日なのでわかりません」と無難な答えを返して誤魔化すのは簡単だが、心にもないことを口に出すのは好きじゃない。何と言っていいか迷ったが、今の正直な気持ちを言葉にする。
「後悔するほどここにいませんし、まだ楽しくもなければ辛くもないです」
 私が言うと、しばらく黙ってから野本は大きな伸びをする。
「まだ入社3時間だもんね」
 そう言って野本は笑う。その笑顔は年下の私から見てもチャーミングで、これまでのブスッとした表情はカモフラージュなのではと思ってしまう。いや、この笑顔の方がカモフラージュの可能性も…。
「それではそろそろお別れです。今日最後の曲は、ラジオネーム・ボイスリンさんからのリクエスト。まぁボイスリンってうちの夫なんですけど、ギャハ。夫のリクエストでお別れです。また明日バイバーイ」
 最後まで校内放送からフレッシュさと緊張感を失ったモーニングシャウトが終了した。そして正午になりビートインフォメーション。担当はまた野本。
「4月1日正午になりました。ここからの時間は、帯城市や十勝の話題をお届けするビートインフォメーション。この番組は、焼肉平和館の提供でお送りします」
 帯城市内に4店舗を持つ人気焼肉屋のCMが終わると、野本が再び喋り始める。まず先日の土曜日に帯城市体育館で行われた卓球大会の結果と児童館祭りの話題。今週土曜、日曜に実施される中古車フェアの告知と市役所の臨時職員の募集。さらに「車上荒らしに注意しましょう」という警察からのお知らせと市民ギャラリーの今月の予定。5月開催の親子ふれあいコンサートを紹介…。あれ?
「帯城市や十勝の話題をお届けしたビートインフォメーション。この番組は、焼肉平和館の提供でお送りしました」
 時間にして10分。野本は卒なくこなし、そして局のステーションジングルが流れ、聞いたことのあるヒット曲が流れる。ミュージックラインという番組が予告もなく始まった。
「お疲れ」
疲れた様子を見せていない野本が言い、お昼食べに行こうか、と私を誘う。
「局に誰もいなくていいんですか?」
「2時まで放送ないし、誰も訪ねて来ないから」
 先輩に言われちゃ私がどうこう言える立場ではない。野本と私は局から歩いてすぐの蕎麦屋に入る。野本はたぬきそば、私は卵とじそばを注文した。奥の部屋で笑顔を見せてくれた。昼も誘ってくれた。少なくても野本は私に敵意を感じてはいないはずだ。聞きたいことがたくさんある。
「聞きたいことあるんですが」
「じゃあ3つまで。それ以上聞いたら蕎麦が不味くなる」
 ミーティングの時の表情だ。この人は表情が顔に出る人だ。私は頭の中で質問の優劣をつける。
「じゃあ1つ目。ビートインフォメーションですが、2回とも同じ原稿でしたよね。どうしてですか」
「誰も聞いてないから。はい、1つ目終了」
答えになっていない。どうして誰も聞いていないと思うんですかと聞きたかったが2つ目にカウントされそうなので、別の質問をする。
「朝の放送…私ラジオは素人ですが私が聞いても…」
「酷かったでしょ」
「はい」
「聞きにくいでしょ」
「はい」
「消したくなるでしょ」
「はい」
質問3つまでと言いながら野本の3連続質問。私は「はい」としか答えられない。
「長内さんから聞いた?あの人達ボランティアだって」
「はい。ビートファンクラブでしたっけ?」
「ファンでもなんでもない。ただ自分達が好きなだけ」
 野本は、主力メンバーである那波真由美について話し始める。
「那波のおばちゃんは、確か38歳で子供が3人いたはず。帯城芸術観光協会の会長と十勝児童文学協会の事務局長と、そんな肩書が5.6個ある」
「すごいですね」
「全部ボランティア。あの人専業主婦だし旦那さん自衛隊員で生活のこと考えなくていいから。子育てしながら帯城の未来、地域の事を考えていますって活動して、うちの局を最大限利用している。自分の関係する団体のイベントの事を番組でずっと宣伝したりやりたい放題」
 蕎麦が不味くなると言いながら、食べる暇も惜しみ喋り倒す野本。
「何かって言えば地域貢献、地方の文化をって言うけど、何の主体性も無いのよ。市なり自治体なりから助成金や広報資金もらって利益も出ないイベントしたり。この前も北海道の助成金でふれあいカフェをオープンしたのはいいけど、内輪で盛り上がるだけの茶飲み場で助成金の援助が終わった2年で当たり前のように閉店させたの」
 ほかにも自分が好きなジャズミュージシャンを呼ぶために肩書きをフル回転させて広告を集めた話や、市議会議員に立候補する噂がある話などを捲し立てる。
「あの女は自分の私利私欲のためにラジオを利用しているの」
 そこまで言って野本は自分の声が大きかったことに気づき一瞬回りをキョロキョロと見回す。
「彼女だけじゃないわ」
 それでも話足りない野本は、声を潜めて話を続ける。
「ボランティアDJなんて、みんな自分のためにラジオやってるの。どうしてみんな無報酬で喋ると思う?」
「ラジオが好きだから」
 私が苦し紛れに言うと、野本はわざとらしく笑う。
「私利私欲なのは那波だけじゃないわ。自分のPRのために喋る人、趣味を公共の電波使って勝手に喋る人、自称DJ、自称タレント。みんなプチ有名人になるのに酔ってるのよ。喋りは下手で内容空っぽ。誰も聞いてないけどね」
私はさっきまで聞いていた「モーニングシャウト」を思い出す。確かに自称DJが、自分達の面白い事だけを喋る拙すぎる番組だった。まるで学芸会。いや、学芸会ならその拙い演技を両親や祖父母が満足するというターゲットが出来上がっている。だけど那波達のお喋りは喋っている本人達以外誰も幸せになっていない。
「そもそもなんでボランティアに番組を任せちゃうんですか?」
「仕方ないじゃない。スタッフの人数が少ないんだから」
 FMビートは、今から19年前に開局した。開局当初の社員は4名。ほかにアルバイトが6名いたそうだ。
「長内さんは開局からのスタッフ。私まだ9歳だったけど、親に連れられてFMビートに来たことあるんだよね」
 19年前に9歳ってことは28歳か…。もっと年上かと思っていた。
「番組の内容はあまり覚えていないけど、今より活気があった。私のお母さんリクエスト読まれてFMビートのノベルティグッズ貰ったことあったわ」
 野本の話によると、開局から1年また1年と経つうちにスタッフが減り、ボランティア番組とノンストップの音楽番組が増え、局にどんどん活気がなくなってきた。
「私が高校生の時なんて、クラスでFMビート聞いている人いなかったんじゃないかな。スカイエフエムは結構人気あったけど」
 スカイエフエム?初めて聞くキーワード。スカイエフエムって何だ?でも質問はあと一つしかできないし、この話まだ続きそうだからスカイエフエムの事はとりあえず置いておこう。
「親会社が帯城電力と帯満亭。クライアントのおかげで形の上は黒字だけど、実際は大赤字。私が入社してから広告が減る月はあっても増えることなんてほぼ無し。もしこの2社が経営から手引いたら、FMビートなんて一塊もなくなるんじゃない」
 収入が無いから人が雇えない。人が雇えないからボランティアに頼る。ボランティアはプロじゃないから番組がつまらない。でもタダで喋ってくれるボランティアに番組内容の注文はしづらい。つまらない番組にはスポンサーがつかない。スポンサーがつかないから人が雇えない。完全な負の連鎖だ。
「安原さんは、何でここに入ったの?」
 何と答えてもハナで笑われるだろうと思ったが、ここは正直に答えておこう。
「アナウンサーになりたくて…」
「そう」
 野本は笑わなかった。それどころか優しい表情で私を見ている。その表情につられ私は正直に話す。大学で放送研究会に入っていたこと、アナウンサーになりたかったが全て落ちたこと、自分の意志と関係なく父のコネで入社したこと。私の話を聞き終えた後、少しの間があって野本は言った。
「だったら長くいない方がいい。腐るわよ…私のように」
 どうして野本さんは腐ったんですか?と質問をしようと思ったが、野本が席を立ったので聞けなかった。蕎麦代は野本が奢ってくれた。
 局に戻ると、長内がいた。
2時からのビートインフォメーションの担当のようだ。
「4月1日午後2時になりました。帯城市や十勝の話題をお届けするビートインフォメーション。この番組は、居酒屋チェーンつぼっこグループの提供でお送りします」
児童館祭りと市役所の臨時職員募集、親子ふれあいコンサート…。10時と正午と同じ情報を長内が紹介し、またまたミュージックラインに突入した。3時からの番組は「アフタヌーンシャウト」。何をシャウトするのかもわからない3時間番組の金曜日担当が私らしい。いくらアバウトとはいえ、3時間を一人で喋るのは簡単ではない。今日の担当の長内の番組を見学させてもらおうかなと考えていると、局長が戻ってきた。
「じゃあ安原さん、出かけようか」
 反射的に「はい」と答えたものの、どこに出かけるのか何も聞かされていない。目的地も告げず車は動き出す。カーラジオからはミュージックラインが流れている。局長は何も話さない。とても厳しい表情。掃除ロボの時と一緒だ。しばらく助手席でおとなしく座っていると、車は帯城市役所に到着した。何も言わず車を降りる局長の後を着いて行くと、2階の広報課へ。広報課長の飯野という男性が笑顔で迎えてくれる。
「はじめまして。FMビートに本日入社しました安原と申します」
私が名刺を差し出すと
「聞いていますよ。安原常務の…。お父様には大変お世話になっています」と飯野が勝手に喋りだす。その後は局長と飯野が今年の春は寒いだ、景気がどうしたと世間話。私は横でただ微笑むだけだ。続いて4階の観光協会へ。ここでも「安原常務の…」と言われた以外は私の出番はない。5階の地域振興課でも同じ流れが続いた。
「安原さんもラジオで喋るんですか?」
帰り際に先方から聞かれると、
「はい。金曜日午後3時からですので是非聞いてください」
と前のめりに局長が言う。番組の事、長内からは聞いたが局長からは聞かされていない。この後、市役所の隣の図書館、そして市民会館の長い肩書のいかにも偉そうな人と名刺交換し、局長が一方的に喋り、私は愛想笑いを振りまいた。会う人みんな「安原常務の…」という。まるで二世タレントにでもなった気分だ。もっとも父は田舎のお菓子屋の常務に過ぎないけど。
「今日はこんなもんでいいだろう」
 局長が独り言のように呟き、車に乗り込む。終わったようだ。私は今会った人達と局長の会話を頭の中で思い返す。新入社員の私の紹介と、新しいタイムテーブルの配布と、今日の天気と最近の話題と…。こういう場面が大人には大事なのかなとぼんやりと考えていると、局長が私に言う。
「安原さんも、営業やってもらいますからね」
「営業…ですか?」
 営業。放送局がスポンサー収入で成り立っていることは、私だってわかっている。だけど私が本来行きたかった放送局は、制作部やアナウンス部、営業部が分かれている。ローカル局は兼務のところもあるが、アナウンサーとして入ったはずの私にも、営業の仕事が与えられた。
「営業って何するんですか?」
「番組のスポンサーやイベント先、ゲストに出てくれる人や情報提供してくれる人。それにボランティアでラジオに出てくれる人。それらをひっくるめての営業だ」
 ひっくるめすぎて、何が何だかわからない。
「おいおい長内君から説明受けてくれ」
 長内の「困ったなぁ、あの人はいつも…」の口調が頭の中に浮かぶ。カーラジオからは長内の声が聞こえる。
「毎日子供達が家にいて春休みは大変。早く学校が始まってほしいです。という、リュークママさんからのリクエスト曲をお送りします」
 移動中でちょっとしか聞けなかったが、トークとメッセージとリクエスト。たまに地元のお店やイベントの情報を紹介している。番組に真新しさは感じられないが、少なくてもギャハハと騒ぐだけのモーニングシャウトよりはまともな放送だ。5時半過ぎに局へ戻ると、一人の男がオフィスにいた。
「あぁ君かい、安原さんって」
まだ4月だというのにアロハシャツ。それもド派手なピンク。下はボロボロのジーンズ。本人はオシャレのつもりだろうが、私が服飾評論家なら頭の先からつま先まで全否定したくなる。
「椎村さんいらしてたんですね。すみませんお茶も出さず」
那波達には目も合わせなかった局長が、この男には満面の笑み。
「珈琲でよろしいですか?」
「すみません局長、お気を遣わないで」
男の名は椎村幸彦。駅前にある帯城楽器店の店長だった。
「安原さん、東校なんだって?」
「はい」
「今年大卒だったら加山君と同級かな?」
「はい。学年一緒です」
「加山君、うちのイオン店で働いているよ」
「そうですか」
「それから2個下の井上さんは…」
椎村店長は、東校のOBやOG、私の中学時代の知り合いの近況を次々と喋り出す。帯城楽器店はCUグループの系列会社。CUグループは楽器店のほか、書店にドラッグストア、ガソリンスタンド、スポーツジムも経営。地元ではそれなりに有名で店舗数も多い。
「あぁそうなんですかぁ」
と一応答えてはいるが、何年も会っていない知人の近況を聞いたところで、何一つ楽しくもない。
「さすがCUグループさんは、若い人を多く雇っているんですね」
 局長は私の隣に座り、店長が話す私の同級生情報に私以上に大きなリアクションをする。
「うちの会長が3年以内にグループを100店舗まで増やすと言ってるんで、若い力はどんどんウエルカムなんです」
「それは素晴らしいですねえ」
 局長は満面の笑み。そうか。局長は椎村店長の話に興味があるのではなく、CUグループの予算に興味がある。あとで長内に聞いた話では、CUグループの協賛金が今年度から急激に増えたらしい。その分週末にガソリンスタンドやオープンハウスのフェアなどへの中継が増えたとぼやいている。
「ガソリンスタンドで10リットル以上の給油で卵1パックプレゼントしますと、ラジオで中継して聞いている人、楽しいと思う?」
 思わない。
「それもノンストップで流れている音楽をブツッと途切れさせてまでガソリンスタンドから中継っておかしいだろ」
 おかしい。
「音楽聞きたくてラジオ聞いている人は、突然ガソリンスタンドから中継です。卵1パックもらえますなんて情報いらないだろ」
 いらない。
「歌聞きたい人は、チャンネル替える人もいると思わない?」
 長内の言っていることは正論だと思う。だけど局長に反論しない。音楽を中断し、ガソリンスタンドからの中継を流すと会社に売り上げが入る。広告収入がないと会社は成り立たないのだから…。
「今度うちの店に演歌歌手の東郷博が来るんです」
 東郷博?聞いたことない。CDジャケットの顔写真を見ても誰だかわからない。着物を着て、曲のタイトルはど演歌だが、写真を見る限り私と同じ年くらいに見える。
「店内にミニステージ作ってCD即売会と握手会するんですが、FMビートで紹介してくれませんか?」
 椎村が言い終わる前に「喜んで」と食い気味に答える局長。FMビートで演歌流すの?放送時間は今週の金曜日のアフタヌーンシャウト。あれ、金曜は私の番組?
「イベントは5時からですので、その前に出していただけますか?」
「喜んで」
 喜ぶなぁ…!ゲスト時間は3時半。私の記念すべき第一回放送の最初のゲストが、演歌歌手の東郷博に決定した。
 
「4月1日午後6時になりました。ここからの時間は、帯城市や十勝の話題をお届けするビートインフォメーション。この番組は、フイットネス十勝西帯城店の提供でお送りします」
スタジオでは、長内が児童館祭りと市役所の臨時職員募集、親子ふれあいコンサートの話題を飽きもせず読んでいる。その姿を私はなぜかスタジオの中で見ている。
「安原さん勉強のために椎村店長の番組を見学しなさい。他の人の番組を見ることが勉強になるから」
「いえいえ私の番組なんて、所詮素人ですから」
「何言ってますか。椎村店長の番組は評判ですよ」
 局長がひたすら番組を褒め、椎村も満更でもない表情で、「私帰ります」なんて絶対に言えず、椎村店長の番組を見学させられる羽目になった。スタジオからオフィスを覗くと、すでに局長の姿はなかった。
「あの人は残業しない。6時に必ず帰るんだ」
 長内にあとから教えてもらった。
「番組前のCM終わりとジングルを入れるタイミング。この間を微妙に詰めると、かっこよくなるんだよ」
 素人ですからと謙遜していた椎村は、局長と長内の姿が見えなくなると、突然私の師匠になったかの如くレクチャーを始める。CMが終わり、FMビートのジングルが流れる。
「ほらね」
 間を詰めたらしいジングルが流れると、得意顔で椎村は私に言うが、何が「ほら」なのか全くわからない。番組のテーマ音楽が流れる。番組名は帯城サウンドステーション。7時までの生放送だ。リズムの良い音楽に合わせ椎村が喋る。流暢に…と言いたいところだが、途中何度もつっかえたり呂律が回らなかったり、それでも喫茶店でのお茶飲み話レベルでしかない朝のサンババの番組よりは十分にラジオだ。
帯城サウンドステーションは、音楽番組。CDショップの店長だけあって音楽知識も豊富で選曲もなかなかいい。喋りは拙く聞きづらい部分も多いが、それでも今日一日聞いていて、一番まともな番組に感じた。
 6時50分を過ぎた。番組はまもなくエンディング。その時…。
「番組も間もなく終了ですが、今日はスタジオに可愛いゲストが来ています」
 椎村が私を見つめる。
「自己紹介どうぞ」
 椎村に促される。考えてみればさっきから何度かスタジオには入ったが、マイクの前では一言も発していない。
「あっ、皆さんこんばんは」
 自分でも驚くほど声が裏返る。さっき噛み噛みだった椎村の喋りを 「下手くそ」と心の中で毒づいていた自分を懺悔する。
「はじめまして。今日からFMビートに入りました安原みちるです」
「何って呼んだらいいかな?みちる?みちるちゃん?みっちー?」
「あぁ、じゃあ、みっちーで?」
何でみっちーを選択してしまったんだと思う暇もないほど、椎村は矢継ぎ早に私へ質問をする。
年齢は?
生い立ちは?
好きな食べ物は?
恋人は?
好きな性感帯は?
後半の方はノーコメントを通したが、私が話すたびに椎村が笑ったり頷いたり驚いたりとオーバーなリアクションをする。
「あ、ラジオみたい」
 私は心の中で思った。ラジオなんだけどね。
「それではまた来週、同じ時間にお会いしましょう。帯城サウンドステーション。ディスクジョッキーは椎村幸彦。そして特別ゲストは」
「安原みちるでした」
「それではさようなら」
「さよならー」
 時間にして5分程度だったが、私にはとても長く感じ、そして終わった今は数秒程度のあっという間の出来事にも感じる。まだ心臓は爆音を鳴らしている。手は汗でぐっしょり。まるで階段を全速力で駆け上がったように呼吸が苦しい。だけど…ちょっとした爽快感もある。私今喋ったんだ。電波に私の声、乗ったんだ。スタジオを出ると、長内がいた。局長と野本はいなかった。
「2人とも月曜7時過ぎにいたためしがない。CUグループと長く付き合いたいなら、番組終わりだって見送るべきなのに」
 長内は愚痴りながら録音室に入っていく。録音室からは那波の声が流れる。
「先日オープンしたママカエカフェクルムに来ています」
 ママカフェクルムは那波の仲間が地域町おこし基金という助成金を使いオープンしたそうだ。
「どうせ。助成金期間が終われば撤退するくせにさ」
 長内は文句を言いながら編集している。那波とババ仲間達は、飲食店や団体、サークルなどあちこちで取材をし、その録音データを長内に渡す。
「来週火曜日使うから」
「10分くらいに編集しておいて」
「最後の挨拶言い直した方使ってね」
 それを編集するのが長内の役目だそうだ。
「自分で取材したものくらい自分で編集しろ。こっちはこうやって残業して編集してやっているのに、あいつらはありがとうの一言もいいやしない。そのくせ編集で気に入らない部分があると文句を言うんだ。何様だよ」
 ボランティア様なのだろう。長内は文句を言いながらも、編集を進める。
「これも自分がやらなければ…」
「局長が何もしないから」
「野本は使えないから」
 録音室で作業と愚痴を同時進行する長内。時計を見ると7時15分。
 私は意を決して言う。
「今日8時から用事がありまして…」
「そうなんだ。帰っていいですよ。俺はあと2時間くらい帰れないけど」
長内は帰りづらい空気満々の言葉を発したが、これ以上いても愚痴を言われる局長と野本、それと長内も全員大嫌いになりそうだったので深々と例をして局を後にした。
「フーッ」
 4月の帯城の夜は、まだまだ寒い。日陰の部分は、雪が残っている。雪が全部溶けたら春になるのか。だったらまだ冬。雪が溶ける前に逃げたら、私も東京に戻れるのかな?こうしてFMビート入社一日目は無事(?)終了した。
 
#創作大賞2024 #お仕事小説部門

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