人は見たいようにものを見る。

うーん。

 たとえば、「人の結婚を悲報扱いするのは失礼だ」と、結婚したその人のファンの群れに言ったとしましょう。

 そしたらファンたちは口々に言います。

「今そんな正論いらない。私たちは傷付いてるんだ。」

 それだけじゃありませんよね。

「傷付いてる人達、自分が悪いと思わないで。」なんていうどっかの有名人のツイートをリツイートします。
そんで、ファン同士で傷の舐め合い。
「推しが結婚して可哀想な私たち」の傷の舐め合い。まるで被害者面です。

 みーんなそうです。誰一人「心の中に留めて言わないように…」なんてやつはいません。集団で唱えることで揃って自分たちを正当化します。


 気持ち悪くて、結婚を祝福した反面 ファンの方々との繋がりが無理になって、降りました。


 たとえば、高卒を否定する人とか。
 似たようなので言うと、指定校で進学する人を否定する人とか、大学進学のためにとった奨学金を後悔してる…なんて言う人にブチギレる人達とか。

 自分とは違うだけなのになんでそんなにキレているかというと、おそらくは否定しないとやってらんないんですよね。

 自分や自分の努力が否定されたような気になるのが、こわいのです。

 つまり、「正しいことを言っている」ように見せかけて…いや、本人は正しいことを言っているつもりなのかもしれませんが、
 結局、「自分が見たいようにものを見ている」だけなのです。

 で、それって一人の話ならまだいいんですが、
それが集団になると、本当にタチが悪い。

 さっきのファンの話のように、なんか自信がついてきちゃうんです。「自分は正しい」と。
 本当は、自分は正しいと思いたい人達が寄せ集まってるだけなのに。


 でもね、こんな話しても無駄なんですよね。

 だって結局、この話を見た図星な人は、この話が正しいとは思いたくないから、誰ひとりとして賛同しないわけです。そして、「この話には誰も賛同してないから、私は正しいんだ!」と思い直すわけです。

 こんなこと言ってますが、全ての事象を偏った目線なく見ることは難しいですし、私にだってそんなこと到底できません。

 それでも、見つめ返してみるといいなと思います。多数派が単に正しいことだってありますが、ときに、非常にタチの悪い自己正当化人間の集団になっているということもあるのですから。

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