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カマトトと覗き見系バラエティ

知らないのに知っているようなフリをすることを「知ったかぶり」という。ではその逆で知っているけど知らないフリをすることは何というのだろうか。調べた結果近そうだったのがカマトトという言葉だった(※今回は知っているけど知らないフリをすることをカマトトと表すことにする)

前に傍観者のことについて書いたが衝突が面倒くさいから自分は傍観者になることがある。だが一方で「知りたい」という知識欲みたいなものも辛うじて少しは残っている。しかしながら悲しいかな知りたいと思って情報を持ってそうな人に聞いても「芋の煮えたもご存じない」みたいなマウントを取ってくる人間というのが一定数は存在する。正直マウントを取ってくる人間は面倒である。

だからインターネット上である程度情報を仕入れる。これは生兵法(自虐の意味も込めて)である。生兵法という自覚を持ちつつ詳しい人に聞くときは「別の詳しい人がそんなこと言ってたような」みたいなうろ覚えの架空の人物を作って他所で知った情報の所在をぼかして聞くことがある。そして望んでいた情報が手に入ったら「さすがですね」と持ち上げてようやっと情報を割と精神的負荷が少ない状態で情報が手に入って情報の摂取が完了する。

正直面倒くさい作業である。一方でテレビでは『マツコの知らない世界』や『アメトーーク』のような特定の何かにハマっている人を半ば講義・レクチャーのような形式で伝える番組がある。今回はそういった番組を覗き見系バラエティ(仮)と呼ぶことにしてみる。

自分が単純な人間ということもあるのかも知れないがそういった覗き見系バラエティ番組を見てプレゼンターの話を聞いて「へぇそうなんだ」と思っている自分がいる。そして番組が終わった後に「そういやあの時擬似的にマツコや蛍原(の気分)になっていたのかも知れない」と思うことがある。嫌な言い方をすればテレビ制作陣側の思うつぼである。

そしてプレゼンターの「特定ジャンルあるある」や「特定ジャンルにかける熱量」の話をするところを見て「すごい」「そこまでやるか」「いやあたかも当たり前のように言われても」といった感じの畏怖、尊敬、ドン引きの混じってよく分からない感情になることがある。

正直、ああいった覗き見系バラエティのような形式で色々なことが脳内に入ったらそれはさぞ楽しいだろうなと思うことがある。しかし現実はそういかないこともある。自分の性分が面倒くさいというのもあるし世の中が生きづらいような気もする。

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