M-1準決勝が来たる

準決勝が開催されるということで大盛り上がりだ。もちろん、盛り上がっているのはお笑いが好きな一部の人間に限られるのだが、皆さんはこの「準決勝」で一喜一憂している私たちのことをどう思っているのだろうか。私は正直「わけがわからない」と思われているような気がしてならない。

スポーツ観戦を趣味としている人間を見ていると、手前の段階での熱量でファンとしての度合いが変化している。高校野球を愛してやまない人間は、一定のレベルまで行くと地方予選に足を運び、涙を流す。

私は野球が好きだが、そこまでの愛を見せつけられると、「私などは野球好きではない」と首を横に振りたくなる。こたつに入ってビールを飲みながら、のん気に応援をするだけの存在なのだ。なんなら合間に皿洗いに席を立ったりさえする。パジャマでうたた寝しながら野球を見ている私をひっぱたきたくなるのが真の野球ファンなのだろう。

好きなものが同じでも熱量にはここまでの差がある。まして、国民栄誉賞をもらったりすることがごく稀なお笑いの世界だ。お笑いに興味がない人間からすると、M-1の準決勝でお笑いファン達が悲喜こもごもの投稿をSNSに寄せているのをみると、とても不思議な現象に映ていることだろう。

M-1では準決勝の段階でやれ誰が決勝に行くだろうだの、今年はこいつらが”仕上がっている”という、お笑いファン達の謎の情報が飛び交い始める。これも恒例行事だ。

悲しいかな、M-1の予選は概ね平日開催だ。社会人はおろか大学生でも都合が合う人は限られる。準決勝まで来るとチケットは今やプラチナ化しており、日常の都合だけでなく運にも恵まれなければ見に行けない。在京の私は知らなかったが、大阪で開催されているパブリックビューイングすら抽選でチケットを取るらしい。20年の時を経て、いよいよ一大イベントに成長してしまったなと感慨深い。

つまり、M-1というコンテンツを綿密に追いかけている人間は、お笑いファンの羨望を集める存在なのである。お笑いファンはその選ばれた存在によるSNSへの投稿を、蜘蛛の糸を手繰り寄せるようにかき集め、どこにも行けずに燻っている熱量を消化させている。

もちろん、情報の信憑性はめいっぱいの主観に寄ったものに違いない。客観性を持ってお笑いを見ている人間などいないのだ。それでも、それでも信じるしかない。「さっきとの打席とは目つきが違う」と言い切る解説者の弁に、頷きながら祈るときと心境は似ている。

そんなM-1も日程が進み、いよいよ今日行われる準決勝と、12/19の決勝の2つの闘いを残すのみとなった。お笑いファンにとっての大きな変化は、昨年よりも準決勝についての配信範囲が狭まったことだろう。

昨年は全国の映画館で放映を行い、後出しの発表だったことで炎上騒ぎとなったが動画配信も行われた。それらは全てなくなり、会場での観劇と、大阪でのパブリックビューイングの2択のみに限られている。動画配信は今日ではなく、明日からの配信となった。

準決勝のドキドキ感を味わえないことを嘆くお笑いファンは多いが、背景にはネタバレの問題などがあるのだろう。SNSが発達したことで、お笑いファンは限りなく情報を集め、発信するという行為に熱心な存在になった。少し名が知れている芸人はみな「〇〇情報まとめ」という類のアカウントが存在し、あらゆる媒体への出演情報がスケジューリングされている。ラジオで一言話題に出たというレベルのものまで収集されるのだから、当然、どんなネタをやったのかということは出回る。

野球の場合は、2割5分25本のバッターで内角が苦手なバッターという情報が出回ったところで、試合に支障もなければファンのテンションにも影響しない。1人のファンが得られる情報には限界があり、情報戦はあくまで球団同士で行うものでしかない。時代が進んで、データ分析を限りなく綿密に行う素人が出てきたりもしているが、技術が一層進んで観戦スタイルが変わったりしない限りは、ファンの情報は野球というエンタメの維持には関わらないだろう。

M-1はスポーツとは、当然もちろんものすごく話が違う。近しいのは映画祭で、カンヌ映画祭に出る映画が既に見たものとなってしまうと、やはり評価軸がブレてしまうわけだ。何度見ても面白いものをじっくり評価するのか、初めて見た時の新鮮さを評価するのかというのは比較が難しい。

ただでさえ、テレビでの露出が多い芸人と、伸びしろを残した芸人とでは、客や審査員の受け止め方が大きく変わってしまう。そこにさらに、ネタの既視性という要素まで加わってしまうと、いよいよ大会としての基準が設けにくかろう。あくまで漫才という縛りはあれど、「ショーシャンクの空に」と「男はつらいよ」を比較するような大会なのだ。これ以上、複雑化してしまうわけにはいかない。

とはいえ、お笑いファンのための事前情報というのは、商売になるコンテンツであり、求める声も大きい。翌日に配信するというのは、商売っ気と大会の魅力維持のバランスを取ろうとした結果なのだろう。見たい人はライブではないけど見ると良いし、見なければネタバレ無しも味わえるよ――と、選択権を客に委ねた格好だ。来年どうなるかはわからないが、今年はそういうスタイルとなった。

YouTubeでネタが披露され始めたのが昨年のことだが、準決勝でYouTubeで配信済のネタを選ぶかどうかというのも、参加芸人にとっては悩みどころとなっているだろう。GYAOでの配信は2015年から始まっていたが、媒体のパワーを考えると、YouTubeの配信でかなり広い層にネタが見られることになった。

有名なネタだからと落胆する層は計算してもしょうがないが、やはり視聴者や会場の観覧客に、新鮮に映ることは意識せざるを得ない。M-1に出場して出る芸人というのは、もはやネタを研ぎ澄ますだけではなく、セルフプロデュース力も持ち合わせていなければいけなくなった。とはいえ、キングオブコントもYouTubeの動画を出し始めたり、ABCグランプリがAbemaで配信されるようになったりと、SNSを活用する大会は増えている。そこへの対応というのは、今後のお笑い芸人にとって重要なものになってくるのだろう。

昨年、優勝したマヂカルラブリーは、上沼恵美子氏との因縁が毎年発信されていたことで、M-1決勝の舞台が盤外での伏線が回収されるためのステージに仕上がっていた。彼らはその直後のSNSで話題となった「漫才じゃない」論争も、トークのネタに取り込み自分たちのものに昇華している。世間からの目線を把握して、カウンターパンチを打ち込むが上手いのだ。

多くの芸人が多様な価値観や世間の目に対応していくなかで、総合力が問われる大会になっているのは当然の変化なのだろう。個人的には打率は低いがやたらホームランを打つ選手や、コントロールは悪いけど異常に球速がある選手のような、能力のデコボコが激しい芸人が獲る年があっても面白いだろうと感じている。最も、そんなことになったらMVP大谷翔平の比ではなく、張本氏に喝を入れられてしまうだろうが。

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