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ここで、ありがとうの気持ちを伝えさせてください

うちから歩いて数分のところにその診療所はある。
今はまだ、こうやってその診療所と先生のことを思うと
ちょっと目のあたりがじわっと熱くなる。


さよならだけが人生だ

なんて歌詞の一節もあるけど、人間だれしも出会いがあれば別れがあり、
はじまりがあれば、終わりがある。

それはだいたいにして、突然やってくる。私にもそればやってきた。

今日もいつものように、
日が暮れてから、その診療所の前を自転車で爆走していた。
週に2度ほど、仕事帰りにその道を通る。

たまたま、今日は、
その診療所の前の道を挟んで反対側を走っていたからだろうか、

いつもとちがうなにかが視界の端っこに飛び込んできた。

えっ、なんだろう?小さな違和感を感じた。

その違和感のする方向には、いつも見慣れた診療所があった。
うすい水色の壁の診療所。
ちょっとこじんまりした入口。
そしてその入口の横には、ちょっと古びた水色のベンチ。

いつもの景色。

でも・・・

その入口の横にある看板は、
わたしが知っているいつもの診療所の名前では、なかった。

薄暗いなかで思わず自転車を止め、二度見、三度見、ガン見した。

えっ???マジですか???

その診療所整形外科で、わたしがいまの家に越してから、
そして子供が生まれてからも突き指しただの、脱臼しただの、それ注射だのと折に触れてお世話になっていた。


診ていただくようになってから、もう15年ほどになるのか。

はじめて診てもらったときには、すでに、
初老に差し掛かりつつあるベテランのお医者さまだった。
先生の物腰がやわらかく、また話しやすい雰囲気に触れると、なんだかほっこりした気分になり嬉しかった。

この3月にひさしぶりに診てもらったときも、お変わりなく元気なご様子で、先生は歳をとった感じがしないのは不思議ですごいと思っていたのに。

家に帰るなりすぐさま、ネットで検索した。

いつものように、その診療所のホームページはあった。
でも、そこに、さよならの言葉はかかれておらず、
まるでこれまでと変わらず、
明日も診察しますよと言ってるかのようだった。

もう少し調べると、
さっき見たばかりの新しくなった診療所のホームページも見つかった。

6月からこれまでの診療所を継承し、あらたにスタートします
そう記されていた。

どうやら診療所ごと譲渡する準備は4月くらいから
いつも通院する患者さんには、その旨を伝えられていたようだった。

診療所ごと譲渡。

先生には、お身内に診療所を跡ぐような方は
いらっしゃらなかったのだろう。
同じ診療科目を診られる別の先生に、
スタッフも含めて診療所ごと譲られたようだった。

そうだったのか。

たまに診てもらうだけの患者だったけど
ただ、
わたしのこの街で過ごした年月のあいだ
その先生にお世話になっただけに、
さびしい気持ちが染み出るようにわきあがる。

あぁ、さびしいなぁ
子供が成長し、大人も齢を重ねるのは自然の流れだとはいえ。


いつもの診療所のホームページは、
いつ最後に更新されたのかわからないが、そこに書かれていたのは、
この診療所がここに開業して30年と記されていた。
30年かそれ以上の年月、過ごしたご自分の病院を手放す決断された先生の
気持ちも勝手に推し量るとますます切なくなるし、さびしくなる。

おそらく直接お目にかかってお礼を言えないだろうな。
だからせめて、ここで感謝のきもちをつたえたい。
noteは、先生のお目に触れることはきっとないだろうけど。
わたし自身の気持ちを整理するためにも。

先生、いままでありがとうございました。
そして、これからの先生のあたらしい日々が、
また、あらたな素敵で彩られますように。





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