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久しぶりのカシマスタジアム

ジュビロライブスペシャルの実況に復帰してからは初めて。
その前は…、14年ぶり、だと思う。
その時は、松原良香さんの解説だった。



鹿島アントラーズと言えば、Jリーグ発足当時に始まった場内FMで、最初に担当したチーム。
93年のファーストステージは鹿島のホームゲームを全て担当した。
フォークソングのオールドファンの方なら、フォーセインツというグループの「小さな日記」という曲をご存知かと思う。
そのボーカルを担当していたダニー石尾さんがバイリンガルのDJを、私は総合司会と実況や場内放送などを分担した。

事前の顔合わせなどはなく、現場で初めてお目にかかり、そこで初めて共演者がいることが判った。
とても気さくでフレンドリーな方だったが、ご多忙なようで、試合が終わるや駐車場の出口が混まないうちにと速攻で?お帰りになっていたので、放送以外の場ではなかなかお話をすることがなかった。

アントラーズが初代のステージチャンピオンとなり、 チェアマンズトロフィーの授与式の司会も担当させて頂いたが、 その後、担当替えになり、ダニーさんと共演の機会はなくなってしまった。
因みに、授与式の司会については、現場に着いてから、というより、試合が終わったらピッチに下りてきて欲しいと言われ、下りてみたら、司会をすることになっていたように記憶しているが、
どんな格好をしていたのか?記憶にない…。

それでも、テレビ中継の仕事でスタジアムを訪れたときには、必ず放送室に顔を出して、ダニーさんへ挨拶に行ったものだったが、今回は放送ブースでの実況ではなかったので、当時からいるスタッフに会うことも出来なかった。

また、当時はスタジアムに着いたら、トイレ以外は放送ブースから出ることがなかったので、
売店で買い物をしたり、買い食いをしたりする機会がなかったけれど、今回は初めて、昼食を売店で買い求めた。
客席の雰囲気を味わうのも必要かな…。

ところが、今回の放送席と売店との移動が大変だった。
まず、放送席に行くには、エレベーターで4階まで上がり、そこで観客ゾーンの通路から2層スタンドに出て、最上段まで階段を上がったところに、クラブから指定された記者席があって、そこに放送機材を設営した。

そして、売店に行こうとなって、4階の通路まで下りたら、観客ゾーンの階段を2階まで下りて、昼食を買い求めた。
途中の日当たりの良いベンチに座って頂いたが、設営した放送席は、もし、エレベーターがあったなら、7階位?の高さ。
5階建てのビルを、階段で上り下りしたのと同じくらい。
いい運動になったなぁ~!

カシマスタジアムの構造を簡単に説明すると、W杯仕様に改築する際、当時にあった屋根を取り払い、スタンドの周囲に柱を巡らせて、その上に通路や2層スタンドを設置して波形の屋根を取り付けている。
元々から、改築を想定して作られたらしい。
改築前は、等々力スタジアムのバックスタンドと同じ屋根が付いていた。

リーグ発足時、オリジナル10を決める際に、鹿島がこの屋根を四方に付けたことで磐田が逆転負けして、オリジナル10に入れなかった、という話を、当時に雑誌で読んだ記憶がある。

さて、ダニーさんの話に戻ろう。
体調を崩してプライベートタイムが増えてからは、 代々木のライブハウスなどへ歌を聴きに行った。
かつてのヒット曲「小さな日記」は勿論、 クィーンの「ホテルカリフォルニア」も定番だった。
歌っている時は、とても楽しそうだったけど、スタジアムDJをしていた時は、いつも真剣な目をしていた。 笑顔を見た記憶が殆どない。

「自宅に遊びに来いよー」「草野球やらないか?」などと、お声を掛けて下さったが、その機会は訪れなかった。
顔の広い人気者で、私の何倍も長い付き合いをしてきた方々の前では、なかなか話しかけるのも難しかった。

気が付けば、ダニーさんに会いに来た私がいた。



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