鬼滅の刃に「優しさ」を見た
もはや国民的漫画とさえ呼ばれそうなタイトルである。今回はこの超有名作品について、おっかなびっくり語ろうかと思う。
私がこの作品に初めて触れたのは、アニメが始まる2年くらい前かと思う。webでやたらめったら流行っていて読んでみた。一番面白かったのは「面白い部分のみを収集したファンのwiki」の存在である。ユニークな場面やセリフをひたすら収集していたそのwikiの一角には、「作者萌え」の特化したページすらあった。そんなものを見たことが無かったので、なかなか衝撃的だった。
実際に読んでみたらものの見事にはまった。私は、この作品で表現される「優しさ」に泣いた。
どんなお話か(作品概要)
「鬼」という人間を食らう化物に家族を殺されてしまった主人公が、仇の鬼を追う復讐の物語である。
生き残ったのは主人公の他にもう一人、実の妹が存在する。ところがこの妹、「鬼」の仕業で人間から「鬼」に変わってしまっていたのである。
「鬼」は強力な身体能力を持つ代わりに、人の肉しか食べられない。そんな鬼の対峙を専門とする剣士が主人公の前に現れる。剣士は鬼と化した妹を斬るというのだが、主人公は必死になって止めようとする。主人公の思いを汲み、剣士は自らの師を紹介する。
そこで主人公が突き付けられたのは、「妹を守ること」「鬼となった妹の責任を負うこと」の覚悟であった。妹を元に戻す唯一の希望を「仇の鬼」に求める為、兄は鬼を滅ぼす剣士として旅に出るのである。
うん、普通の少年漫画だ!!!
主人公が持つ優しさと暖かさ
主人公は鬼と化した妹を救いたいと願う心の持ち主である。妹もその心を察することができ、なんとかして「人を食らわずに」頑張っているのである。
さて、この段階で主人公が「優しい系」の人であることはなんとなくわかるかと思う。世にやさしい系主人公や登場人物は多い。この主人公を私が特別に気に入っているのは、その優しさが「心の美しさ」と重なって見え、「とても優しい」からなのである。
主人公の優しさが際立って描かれる最初の場面は、おそらく第8話である。軽くネタバレします。ごめんなさい。
主人公(竈門炭治郎)は剣士になる試験の中で、受験者を次々と食らっていた鬼を退治することに成功する。人食いを悦んでいた鬼だったが、主人公に敗れ、消滅する間際に「自分が鬼に成った時のこと」を思い出すのである。
鬼(どうせアイツも汚いものを見るような目をするんだろう)
(蔑んだ目で俺を見るんだ)
(中略)
鬼(兄ちゃん怖いよ 夜に独りぼっちだ)
鬼(俺の手を握ってくれよ いつものように)
鬼(どうして俺は兄ちゃんを咬み殺したんだ)
鬼(……あれ? 兄ちゃんって誰だっけ?)
(崩れていく鬼の手を見ながら)
炭治郎(悲しい匂い……)
(崩れていく鬼の手を握って)
炭治郎「神様どうか この人が今度生まれてくるときは」
炭治郎「鬼になんてなりませんように」
「兄ちゃん」を思い出していた鬼の心の声が、主人公(炭治郎)に伝わったのかどうかはわからない。鬼に成った妹をもった主人公だから、鬼になった「人」に対して特別な感情があるのは間違いない。だが、この鬼は多くの犠牲者を生んだ怪物であり、悪である。しかし、それでも、かつては化物などではない「人」であった。主人公はそれに思いを馳せ、悼み、当たり前のように祈りの言葉を告げたのだろうと思う。それは、今目の前で死んだ「人」が、平穏に生きられればさぞ良かっただろうと願う、無償の優しさなのだと思う。
そんな感じで優しさを当たり前のように表現する主人公は、物語の最期までそんな態度を貫いていく。
主人公の純粋さ、温かな気持ちがさりげなく描かれる場面も序盤から登場する。物凄くさりげないが、彼の人間性が如実に描かれているのが、第27話で仲間にかける感謝の言葉である。
仲間(我妻善逸)「誰も聞かないから俺が聞くけどさ」
善逸「鬼を連れているのはどういうことなんだ?」
炭治郎「!! 善逸……わかっててかばってくれたんだな……」
炭治郎「善逸は本当にいい奴だな ありがとう」
善逸「おまっ! そんな褒めても仕方ねえぞ!! うふふっ」
言及されているとおり、仲間(我妻善逸)は「鬼」を退治しようとする他の剣士から身を挺して妹が隠れる箱を守ったのである。善逸はそれ以前から「鬼」が入った箱であること、炭治郎が鬼を連れていることを察していた。しかし、善逸は炭治郎を信用して、「何か理由がある筈なのだから、この鬼を守らなくてはいけない」と身を挺してくれたのである。
そんな善逸の行動に主人公(炭治郎)が返した言葉が上記のセリフである。一見ありきたりで当たり障りない普通の感謝の言葉であるが、私には「善逸の行動」よりも、「善逸の心配り」に感心して、感謝の言葉を述べているように見える。「ただ守った」のではなく、「信じてくれた」ことに感謝し、「信じてくれる善逸の人柄」に感心し、その善意に感謝しているのである。だから、言われた善逸は「褒め過ぎだろ」と喜んでいるのである。まあ、結果や主人公の気持ちを想えば、全く褒め過ぎてはいない、それだけのことをしてくれたのだと思えるのだが、なるほど、確かにそこまで褒めてくれるのは「褒める側も」いいやつだからであろう。
普通、これくらいのことはフィクションの世界ではよく見る光景である。この主人公は優しい系の人物であるので、こういう場面がしょっちゅう現れる。他の作品にみる「すごく優しい系」の人物同様、とにかく優しく、温かい人柄が特徴的な人物なのである。
そして、この主人公、炭治郎の温かさが最高潮に至る場面がこのしばらく後に登場する。この作品の人気を決定的にしたエピソードの一場面である。残念ながら、TVアニメシリーズでは描かれず、劇場版でないと見られなかった。何故残念なのかというと、劇場版は元から興味がある人しか見られないからである。炭治郎の温かさ、この作品を包む優しさの片鱗を示す、当該の場面は、この作品を知らない人にこそ見せたい場面であった。残念至極。
あまりにも美しいその表現に、私は泣いた。この作品をお勧めしたいと思う最大の理由なのです。
主人公と作品全体を包む優しさ
主人公が優しいことは散々述べた。まだ足りていないが。だが、主人公のあたたかさを読者に紹介してくれる仲間(善逸)の存在をはじめ、主人公も多くの優しさに包まれ、救われていることを読者は様々な場面で知ることが出来るようになっている。
物語の最初から、主人公を思い遣る優しさが表されている場面がある。主人公が初めてであった鬼殺しの剣士、富岡義勇との対峙である。彼は鬼となった妹を殺さないでくれと懇願する主人公に対し、「甘い」と一蹴するのだが……
義勇「なぜさっきお前は妹に覆いかぶさった」
義勇「あんなことで守ったつもりか!?」
義勇「なぜ斧を振らなかった なぜ俺に背中を見せた!!」
義勇「そのしくじりで妹を取られている」
義勇「お前ごと妹を串刺しにしてもよかったんだぞ」
義勇(泣くな 絶望するな そんなのは今することじゃない)
義勇(お前が打ちのめされているのはわかってる)
義勇(家族を殺され 妹は鬼になり)
義勇(つらいだろう 叫びだしたいだろう)
義勇(わかるよ)
実は鬼殺しの剣士達、鬼殺隊の隊員たちはみな、「鬼」を仇とする復讐者である。だから、剣士(富岡義勇)には、「妹を奪わないでくれ」と懇願する主人公の気持ちが理解できるのである。
だが、現実としてそれではいけない。鬼は人を食うからである。残酷だが、例外を許しては、悲劇を見過ごすことにもなりかねない。「鬼に大切な人を奪われた者」である限り、その悲劇を他人に経験させるのはとても許すことが出来ない話なのである。
義勇のセリフは主人公への共感と同情に溢れている。鬼だからという理由で妹を殺そうとする義勇の姿は、主人公にとって鬼そのものである。社会的正義という理屈を振りかざした人間なのだから、残酷極まりない。だが、読者が知る義勇の本心は主人公への思いやりに溢れたものなのである。残酷な物語なのだが、優しさを感じる作品に見えてくるのである。
富岡義勇という人物は、その後あまりにも意外なタイミングで、しかしとても得心のいく形で、主人公達を暖かく包み込むことになる。とても感動的な場面なので、言及は避けておく。
もう一つ、作品全体に暖かさがあることを表している場面を紹介したい。単行本2巻で描かれる主人公(炭治郎)の初めての「任務」での一場面である。
ネタバレします。ごめんなさい。
大切な人を鬼に奪われてしまった男(和己)に対して、
炭治郎「大丈夫ですか?」
和己「…… 婚約者を失って 大丈夫だと思うか」
炭治郎「…… 和己さん」
炭治郎「失っても 失っても 生きていくしかないです」
炭治郎「どんなに打ちのめされようと」
和己「お前に何がわかるんだ!! お前みたいな子どもに!!」
(中略)
炭治郎「俺はもう行きます これを」
炭治郎「この中に里子さんの持ち物があるといいのですが……」
炭治郎(ぺこりと頭を下げて去っていく)
和己「……!!」
和己(君も同じだったのか? そうなのか?)
和己「すまない!! 酷いことを言った!! どうか許してくれ」
和己「すまなかった……っ」
和己(痛ましい手 硬く鍛え抜かれ 分厚い)
和己(少年の手ではなかった)
大切な存在がもう二度と戻らないことを知った男(和己)は、「お前に何がわかるんだ!!」と憤りをぶつけるのだが、炭治郎の様子に「同じ境遇なのか?」と直感する。そして、去っていく炭治郎の背に大声で「酷いことを言ってすまなかった」と謝るのである。
和己の最期のセリフは炭治郎の手を見た感想で締めくくられている。そこには、炭治郎がどんな思いで鬼を追う剣士になったのかという想像がある。想像への悲しい感想がある。これは和己のセリフでもって、彼と炭治郎が思いを共有したと思える場面である。大切な人を奪われたという共通点で繋がる悲しいものであるが、お互いの悲しみ、心を想う気持ちがある。悲しみを消したりすることは出来ないものの、慰めの優しい気持ちが垣間見える名場面であるように思う。
この後、和己というキャラクターは物語からフェードアウトしていく。だが、この場面のように有名無名を問わない、キャラクター同士の思いやりが描かれる場面がいくつも登場する。そうして、この作品がもつ一種独特の存在感、空気感が顕在化していく。
あとは他のレビュワーに任せる
出来るだけネタバレを避けようと思うと、これ以上は野暮という気がした。
私がこの作品を好きな一番の理由は、「優しさ」があるからである。この作品にはヒットするに足る他の魅力があることは、少しだけ理解しているつもりだが、それは他の人が十分紹介してくれていると思うので、任せることにした。「優しさがこの作品の魅力なんだ!」と語ろうとしたレビューはほぼ見たことが無かったので、書いた。が、これ以上はちょっと難しい気がしたので、ここでおしまいということです。
終わりに
完全な思い込みであるが、この作品から感じられる優しさは作者の持つ個性というか、そんな感じのものであるように思う。ぶっちゃけ不平不満、愚痴になるのであるが、アニメ大ヒット!で紹介される「キメツ」には、それがあまり感じられない。アニメ化自体に嫌悪感は無いが、私が好きなのは原作漫画版である。アニメは頑張って作られていると思ったが、原作が大切にしているように思う「優しさ」「暖かさ」みたいなものの比重が軽く感じられて、正直「いいや」って感じであった。あまり関係は無いが、あるクイズ番組でいつもは森本レオさんがナレーションするところを、キメツ声優さんに変わって印象がガラリと変わったのが、なんとなくアニメ版に感じたニガテ感とダブった。森本レオさんはとても優しい声を持っているのだ。
なにも、優しさ等というものは、外見で決まるものではない。人間の交流で言えば、言葉だけでも感じられたり、「なんとなく」の雰囲気みたいなものでも伝わったりする。原作漫画版は、作者とそのお手伝いさん数名だけで作品を描きだすものだが、アニメ版は膨大な人数が関わって紡ぎだされる。それを考えれば、純粋性みたいなものが薄れるのは想像しやすい。
行間を開けたのに、またアニメ版の愚痴になってしまった。ならば、それを意識してあえて建設的に持っていこうとするならば、無意識の優しさはとても素晴らしいが、意識的に優しさを志すのも十分素晴らしく、とても大切だと思う。優しくあろうとする心が素晴らしいし、尊く、優しい。学生時代に「需要」という言葉を学んで以降、需要の多様化が人間社会を複雑化し、感情の交流を複雑化し、要らないストレスを生むシステムと化しているように思う。その隙間に入って、縁の下の力持ちをしているのが、優しさという思いやりなのではないか。優しさに人の社会が支えてもらっているのではないか。
優しい人がいなくなってしまったら、この世界はどうなってしまうのだろうと俗人は思うところだが、さて、作者のワニ先生は違う方向で考えたりするのだろうか。そんなことは思いもつかなかったりするのだろうか。
「鬼滅の刃に優しさを見た」。そして感じたのは、「私は優しさを大切にする作品が好き」だということであった。
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