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ビジネス歳時記 武士のおもてなし 第45話「席画」

将軍を楽しませた、御用絵師の遊び心

11月は学校では学芸会や文化祭が開かれ、美術館などでもさまざまな催事が行われる“美術の秋”。展示されている作品を鑑賞するだけではなく、芸術家たちが即興で行うパフォーマンスやインスタレーションなども興味深いものですが、それらは実は「席画」(せきが)※という絵師たちの芸術活動のひとつとして江戸時代初期から行われていました。

今回は、天皇や将軍の目の前で作品を描く彼らが、時には度肝を抜く演出で観客たちを楽しませたという、席画にまつわる話を集めてみました。

最初に席画を披露したのは、狩野探幽(かのうたんゆう)※と言われています。4歳から絵を描きはじめた探幽は、元和元年(1615)の13歳の時に、2代将軍徳川秀忠の御前で『海棠(かいどう)に猫』の席画を描き、著名な絵師だった祖父の永徳の再来と賞賛を受けたということです。その2年後には15歳で幕府の御用絵師※となっていますから、その並外れた才能はすでに幼少時代から表れていたようです。

のちに「江戸狩野派」と呼ばれて活躍することになったのは、寛永年間(1624-43)の江戸城整備にともなって京都から江戸へと活動の拠点を移したことから。その江戸で、探幽はそれぞれ鍛冶橋、駿河台、木挽町、浜町などに分かれていた狩野家の頂点に立つことになったのでした。

高名な御用絵師といっても、彼らの仕事の範囲は掛け軸や屏風絵、襖絵などの制作だけではなく、婚礼品の装飾からお姫様たちの玩具の絵付けにまで広がっていました。現代で言えば、絵が描けるだけでなく、デザインにも関わるお抱えデザイナーといった方が分かりやすいかもしれません。

御用絵師たちが一番活躍したのが、江戸時代後期、第11代将軍徳川家斉(いえなり)※が治めていた文化・文政年間(1804─29ごろ)を中心とした時代でした。この時代は、家斉の下で実質的な政権を“収賄の権化”といわれた水野忠成(ただあきら)が務めていたこともあり、武士や役人の道徳意識も変わり、風流事に金品をつぎ込むような、爛熟した町人文化が花開いたころ。

庶民も粋や流行に敏感になり、狂歌や川柳、浮世絵などがもてはやされ、滝沢馬琴や十返舎一九、“画狂老人”と自らを称した葛飾北斎※などが活躍した時代です。

家斉は文武両道を兼ね備えた将軍でした。鷹狩や馬術だけではなく、絵師の手ほどきを受けて城内の茶室には自ら描いた軸を掛けるほどの趣味人でもありました。なかでも、頻繁に出かけていた鷹狩の行き帰りの余興として行われる席画のもてなしを好み、道中の寺社仏閣などで開催されることも度々でした。

ある日、鷹狩の折に立ち寄った浅草の伝法院で、葛飾北斎を呼んで席画が行われました。北斎は、最初は無難な花鳥山水の絵などを手早く描いた後、唐紙を広げさせました。当時は襖絵などを描くことも多く、唐紙を画紙に使うことは珍しくはありませんが、そこに藍色の顔料を含ませた刷毛でさーっと一本の線を描きました。

おもむろに、籠に入っていた鶏を取り出すと、その脚に朱色の顔料をたっぷり付けた後、唐紙の上を歩かせました。北斎は青い線を川の流れ、鶏の足型を紅葉に見立てた「龍田川の風景」と説明し、家斉をはじめ見守る観客たちを驚かせたということです。

おそらく、紅葉狩りのころに行われた北斎の粋な企画だったのでしょう。しかし、それは成功せずに紅葉が川に散らなかったという話もあります。すると、北斎は筆代わりに卵の殻や徳利などで絵を描き、その場を一層沸かせたともいわれています。

このほかにも、80畳や120畳もある巨大な達磨絵を描いたなど、北斎の席画の逸話には事欠きませんが、いつでも既成概念を破り相手を驚かせて喜ばせるという、子どものような遊び心がありました。

【監修】
企画・構成 和文化ラボ
東京のグラフィックデザインオフィス 株式会社オーバル


※「席画」
宴会や集会の席で依頼に応じて即席に絵を描くこと。また、その絵の呼び名をいう。

※狩野探幽 [1602-1674]
江戸前期の画家。江戸狩野派の祖。狩野孝信の長男、永徳の孫として京都に生まれる。江戸に出て幕府御用絵師となり、江戸狩野派繁栄の基礎を築いた。代表作に『東照宮縁起絵巻』(日光東照宮)、二条城二の丸御殿障壁画、『鵜飼図屏風』(東京・大倉集古館)などがある。

※御用絵師
幕府や諸藩に仕えて、専属で仕事をする画家。特に幕府に召し抱えられた絵師をさすことが多い。そのリーダー格の絵師は、時期によって禄や扶持の変化はあったが、医師並みに扱われていた。

※徳川家斉 [1773-1841]
江戸幕府第代将軍。在職期間は1787-1837年。徳川家の親族である一橋治済の長男。15歳で10代将軍家治の養子となり、老中の松平定信の指導の下に、寛政の改革を行った。定信の失脚後はみずから政治を執り、ぜいたくな生活を好み、文化・文政期の繁栄をもたらした。17人の側室に55人もの子どもをもうけた艶福家としても有名。

※葛飾北斎 [1760 -1849]
江戸中・後期の浮世絵師。葛飾派の祖。江戸本所割下水(現在の東京の墨田区)で生まれた。幼いころから絵や版画を始め、勝川春章に学んだ後に狩野派・土佐派・琳派・南画・洋風画などを修得し、挿絵や絵本、風景画に新生面を開いた。「森羅万象を描く絵師」といわれ、『北斎漫画』や『富嶽三十六景』が有名。


参考資料
『浮世絵再発見 大名たちが愛でた逸品・絶品』(内藤正人著 小学館)
『徳川11代家斉の真実 史上最強の征夷大将軍』(小泉俊一郎著 グラフ社)
『江戸の花鳥画 博物学をめぐる文化とその表象』 ( 今橋理子著 スカイドア )
『話の大事典 第三巻』(日置昌一著 萬里閣)
『江戸時代館』(竹内 誠監修 小学館)
『詳説 日本史史料集』(笹山晴生他著 山川出版社)
『松平家忠日記』(盛本昌広著 角川選書)



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