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〔恵文社 一乗寺店/COTTAGE〕での『「ぽかん」のつどい part2』、山田稔『門司の幼少時代』刊行記念トークショウ、おわり。

前回は、澤村潤一郎さんの山田稔的門司探訪、服部滋さんの山田稔を取り巻く文芸雑誌、の話。今回も、その延長線。
ただ、トークショーも一時間を越え、正直な話、メモ書きが乱れてきている。判読できるものだけ、記す。

話は、文芸雑誌あれこれから、澤村さん進行で『門司の幼少時代』のお話。


澤村「また、『門司の幼少時代』に戻りますが、先ほど、小説風への色気の話が出ましたが、『門司の幼少時代』も後半の文章になると、小説的要素がありますね。でも、やはり最後は、何も起こらない。小説風にもエッセイ風にも読める、非常に山田さん的な文章です。
『シネマのある風景』に収録されている、「憧れと望郷」の中で、少年時代と門司に就いて書かれています。で、今回、調べたのですが、山田さんの著書の半分に、少年時代の門司或いは港町の事が書かれていました。
私事ですが、山田さんに初めてお目にかかった時、お顔の第一印象が、少年の目をしている、でした。この『門司の幼少時代』で、山田さんの中の少年が、文章として立ち上がった、と思うのですが」

山田「なんだか罪咎を告白させられているような……。編集工房ノアから出した『天野さんの傘』に、「裸の少年」という文章がありまして、少年時代からあまり発育していない、と書いています。
……ということで、いかがでしょうか」
澤村さんは、その目を、とても素敵だと思っております、と言い添えた。


服部さんから、「別れの手続き」に出てくる編集者Oさん、岡村貴千次郎さんに就いて、お話して下さい、と。
山田「Oさんというのは、岡村さん、なんですが、 VIKINGに載せる時に、Oさんにしました。その後再録(『特別な一日』)した時に、フルネームにしたのですが、岡村さんはOの方が良かった、と言ってきましたので、以後の文章では、Oさんに戻しています。

坂本一亀や寺田博がいる一方、岡村さんという、地味な人が忘れ難いです。
『幸福へのパスポート』はOさんが担当でした。以降、河出から出た単行本は、みなOさんでした。
編集者には、大きく分けて、作家を育てようとする編集者と、大げさに言うと「売り出そう」だから作家には厳しくやる編集者、2つありまして。
が、Oさんは、そういうこと、つまり干渉をしなかった。ゲラを直す程度。……坂本さんや寺田さんに比べると、ちょっと頼りなく感じたが、僕は、こういう編集者に世話になって、良かったなぁ、と思います。「別れの手続き」では、重要な登場人物。
今もフリーで、どうも全く売れそうにないものをやっているようです。「ある編集者の退職」(『あ・ぷろぽ』『山田稔自選集』所収)のOさんも、同じ人物です。
宇和島出身で、宇和島地方の人の好さが、東京でも失われていない人ですね」
服部「藤田三男さんが言うには、Oさんは完全主義者だ、そうです。川西政明さんとはどのようなお付き合いでしたか」
山田「河出で、坂本さんの後に担当してくれました。『コーマルタン界隈』は、『文藝』には向いていませんでした。
新潮社の小島千加子さんは、『再会・女ともだち』を担当してくれました。他人に比べたら、私に対しては、優しい人で、手直し無しで、ほぼ載せてくれた。これはヒガミですが、厳しくしても、もうどうにもならないだろうから、載せたのでは、と」


門司のモダニズムの話から、港町で育った作家に就いて。
澤村「港町で生まれ育った作家、長谷川四郎は函館ですね。コスモポリタンさを非常に感じますが」
山田「あんまり強く意識はしてなかったですが、長谷川四郎は大変好きな作家でした」
服部「乾いたタッチですね。神戸生まれだと、村上春樹さんとかは」
山田「あぁー、そうですねぇ。村上春樹は、港町ですが、全然親近感覚が無かった。読んだのもごく初期のものだけで、読まなくなりました」
服部「湘南育ちの石原慎太郎は?」
山田「『太陽の季節』以降読んでませんね。
そういえば、よく、阿部昭と比較されました」
服部「山田さんは、阿部昭には否定的ですね」
山田「阿部昭が晩年、小説が書けなくなった、と書いていましたが、これは当時の文学の潮流に乗れなかったのだ、と共感しました。
阿部昭は、短編はうまいけど。何か、ちょっと威張っているような所を感じて、ちょっと売れたらこうなるか、と見ていました。
『短編小説礼賛』はうまいこと言うなぁ、と感心しましたが、あの人は長編を書いたのが失敗でしたね。
しかし編集者はね、兎に角長編を喜ぶんです。長編を書くように書くように言うんですね。有名な作家ならともかく、まぁ30枚くらいではまず載らない。50枚でマアマアですね」
服部「短編は、本になりませんから」
山田「チェーホフの短編だけ宣言みたいな心飾気でおりました」


ここで質問コーナーになる。の、前に、澤村さんから、最後に。
澤村「『旅のいざない』は、ボードレールの「旅へのいざない」を意識されていましたか。その中に出てくる国に、門司を重ねられた、とか?」
山田「私のは、旅への、ではないですね。旅が、私をいざなう、、そして過去に誘われる。旅への、ではないです」


客席からの質問。
「『門司の幼少時代』に出て来られる、お姉さま方の事をお聴かせください。その後の話など」
山田「それはですネ、話さないんですね。あそこに書いてあること、だけ、です」

折角なので、質問をした。「鎌倉での、堀江敏幸さんの講演会のビデオはご覧になられましたか」
山田「ビデオは、まだ見てないんです。でも、メモをとってる人がいて、それを見せてもらいました。堀江さんのお話は、面白かったですよ」


恵文社の方にマイクが帰る。再び『門司の幼少時代』の宣伝をされ、夕四時半、これにて終了。


帰ろうとしたら、

「山田さんが見たメモは、誤解帳さんのですよ」
と、ぽかん編集室の真治彩さんに言われた。固まってしまった。
まず、真治さんが自分を覚えていて下さったことに、驚いた。去年、ここで開催された「かまくらブックフェスタ」で『ぽかん』最新号を買った時が唯一の交流だったから。
覚えてらっしゃらないと決め込んで、鎌倉でも、今日も、曖昧な、「こんにちは」を意味する会釈だけで入り口を通り抜けていたのだ。申し訳なかった。
「私もメモを取ってたんですが、早く出来上がってたから、ちょうどいい、と、お見せしました」
そんな、しかるべき人が、ちゃんと書いたメモの方が、絶対良いのに、こんな非公式な、素人のを。光栄なことです。
突然、憧れの人の目に触れた嬉しさ、よりも、申し訳なさが勝った。堀江さんにも。ファン心理。質問するのにもドキドキしていたのに。
真治さんは、会場の片付けに移られた。
ファン心理で、山田さんを見る。ちょうど自分の隣に座っていたご夫婦がお知り合いらしく、腰掛けて話し込まれていた。あ。自分が一時間半お尻で温めていた椅子に山田さんは座られていた。ヘタなメモよりかは少しだけ、申し訳なかった。


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