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最近よく聞く「ユニバース」の魅力と危うさの話

 「ユニバース」。この単語をよく聞くようになったのはいつからか。自分の記憶ではMARVEL シネマティックユニバース、いわゆるMCUが世間に浸透してきた頃からだろうか。
 なんでこんなことを書くかというと、先日購入したPS5ソフト「MARVEL スパイダーマン2」をサブクエスト含めて無事クリアし、その世界観の今後の広がりを如実に感じてしまったからである。スパイダーマンというキャラクター世界そのものが無限とも言える並行世界を描いたものであるのは割と知られているが、このゲーム版のスパイダーマンもなかなかに世界の広がりを見せている。すでにゲーム版のスパイダーマン世界は独立したユニバースであることが明かされており、プレイヤー側は既存のキャラクターの新しい描き方や、これまでと解釈の異なるゲームオリジナルの世界観をプレイすることで新鮮な体験を楽しむことができた。一方で、スパイダーマンの詳しいファンでない限り分からないであろう小ネタも随所に仕込まれており、それがゲーム内世界の奥行きと深みも与えていた。
 仮に「MARVEL スパイダーマン3」が発売されるとして(多分出る)、すでに次作の敵ヴィランや新たな仲間の登場も今作「〜2」で示唆されていたのを踏まえるとどこまでこの世界観が広がるのかが俄然気になってくる。三部作「サーガ」として終わるのか、スパイダーマン・ゲーム・ユニバース(SGU)とでも名付けて色々なスピンオフを含めて多角的に展開していくのか。
 制作サイドから見ると、長く利益を生み出せるコンテンツは一つでも多く確保したいところだろうからゲームの続編、玩具販売、コミックへの逆進出、スピンオフの展開など考えつく物は全てやりたいはず。実際、すでにいくつかのコンテンツにゲーム版スパイダーマンは進出しているし、さらに最近のMCUで賛否両論の「マルチバース」にも乗っかっているので、その広がりは計り知れない。
 一方で、あまりに風呂敷を広げると畳みきれないのが世の常で、これまでも映画を中心に「ユニバース」化を目論むも上手くいかなかったコンテンツが割とたくさんあるのも事実。MCUの成功の方がレアケースなのであり、金のかかる投資の割にヒットしなければ大惨事となるのも「ユニバース」を目論む際の大きなデメリット。
 私は「ユニバース」という世界設定が大変好きなので、勝手に言わせてもらうが、もし何かの作品を「ユニバース」展開したいならば内容に精通した制作総指揮・決定権者を1人、中心に置き続けることが必須だと思う。ただしその人物は、ストーリーや世界観のみならずファンの望む形を把握しつつも予想を裏切る展開や、制作サイドの事情も熟知していなければならないだろう。中途半端だと、自分の作りたい世界を構築するのみで世間とのズレが出てきてしまう。実際、そんな人物を見つけるのが困難だから「ユニバース」化の成功事例が少ないと思うのだが。失敗してしまうと作品そのものの価値が下がってしまい、作品世界そのもがなかったことになってしまうのが実情である。
 重ねてになるが「ユニバース」という世界設定が大好きだ。そりゃ自分の好きな作品世界が広がり、そこでの体験が続くのは面白さがずっと続くわけで最高なのである。ドラマのTOKYO MERなんかも上手に話を広げられた良い例だし。
 「ユニバース」化が魅力的なのは、作り方によって世界観を無限に広げることができるところ。一方でヒットに至らない場合は作品そのものすらなかったことにされ、暴落してしまう危うさを孕んでいるところ。個人的には、今後も魅力あるコンテンツが色々な広がりを見せてくれるのを望んでいる。次作の「スパイダーマン3」今から楽しみだ。

                                                      ではではTo be continued…

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