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『ルックバック』を観て。

なぜだかずっとチェンソーマンは避けていた。
絵柄のせいなのか、母の強すぎた勧めのせいなのか。

褒められると「でも、まだ本気ではない」と素直に受け取れず、期待されると「実は誰にも言ってないけど…」と虚言を吐く。
藤野の痛々しい言動が、とてもリアルで心の底がソワソワする。
その過剰な自信は、小学校という"小さな世界"で完結してるからうまれる。「世界の中心は私だ」とか「主人公は私だ」といった具合に。

そんな藤野に半ば狂信的に憧れる京本は、皮肉なことにその憧れから生まれた熱意から身につけた画力で、藤野の心を折ってしまう。

京本の画力は間違えなく天才だ。
それに比べると藤野は一瞬凡人のように錯覚する。しかし、高校生で漫画の賞を受賞するストーリを作れる才能は間違えなく天才だ。

藤野と京本はタックを組み漫画を描く。
そして、連載の話が一

京本は「もっと絵が上手くなりたい」と連載の作画は断り、美大進学を志す。
藤野は京本の力を知っていたから何とか引き留めようとする。変わらず「一緒に描いてくれ」とは言えず不安を煽るのだが。もし、あそこで素直な気持ちを伝えていたら京本の進路は変わったのかもしれない。

それでも藤野は連載作品を人気作にし、アニメ化まで決める。田舎暮らしから、東京に引越す余裕が出るほどに。
ある日、藤野の元にあるニュースが届く。美術大学で無差別殺人事件が発生した。

もし、京本が藤野と出会わなければ、藤野の漫画と出会わなければ死ぬ運命を避けられたのかもしれない。
けれども、ずっと部屋に閉じこもり、「絵が上手くなりたい」という夢を持つことはなかった。

藤野はずっと後悔するのかもしれないが、私は京本が幸せであったと信じたい。

何か一つを極めて生きていくのはきっと苦しい生き方だ。ずっと誰かと競い合い、寝る間も惜しんで魂を込めるのだ。
苦しいと分かっているし、私には絶対できないと思う一方で、彼らを憎みたくなるほど羨ましいと思う私がいる。何かに一生懸命になれる楽しさを私は知っている。あの時ほど自分が生きてる実感を感じる瞬間は無い。

私は、苦しさから逃げて、平穏を選んだ。
別に間違えだったとは思わない。
ただ、たまに一生懸命な世界に憧れてしまうのだ。

今度、チェンソーマンを読んでみようと思う。

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