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関西空港 幻の計画を調べる④

 後の成田空港となる首都圏新空港は一足はやく、昭和41年にその建設場所と規模が閣議決定されました。しかしながら、この建設予定地決定は、地方自治体や地権者との具体的な交渉もないままに、またその決定に至るプロセスも極めて不明瞭なものでした。そして空港建設予定地の周辺住民から強い反発を招くこととなります。また当時台頭していた新左翼勢力とも結びついたことで、後のいわゆる成田闘争へと発展、日本の開発プロジェクトの歴史においてかつてない混乱を招く結果となりました。この成田での混乱は関西新空港建設の建設予定地が具体化したタイミングと重なり、運輸省としてはこの成田の混乱の二の舞にならぬよう、関西新空港の建設地決定は慎重に議論を進めようとしていました。

 慎重な議論を行うため、地方自治体の意見を取り入れながら関西新空港の位置並びに規模を決定する審議会を設定、昭和46年から二年以上にわたり議論が行われています。この審議会では関西新空港の建設候補地を淡路島、神戸沖、泉州沖、播磨灘の四つに設定し、それぞれの候補に対して関係者の意見を取り入れながら、合計29回もの会合が開かれました。またその期間においては各建設候補地での飛行テストを行うなどの念の入れようでした。

 この議論において、計画当初最有力候補を目されていた淡路島案は早期に脱落という結果になりました。淡路島案は前に投稿した記事でも触れた通り、周辺を森林に囲まれた予定地です。しかし調査を行うと周辺地域に在住する1万人以上に騒音の影響が出るとされ、その後は神戸沖、泉州沖、播磨灘の三つに絞られ議論が進みます。

淡路島案についてはこちら↓
関西空港 幻の計画を調べる②
https://note.com/outoftheblue/n/nb98cc3b6ee05

"しかしながら、淡路島は特に騒音問題の解決が著しく困難と思われたので候補地から除き・・"(関西国際空港の位置及び規模について 昭和49年航空審議会第一次答申)

 そして昭和49年8月、この審議会において各建設候補地に対する評価が行われました。審議会の構成メンバーがそれぞれ、「利用の便利さ」、「管制・飛行」、「環境条件」、「建設」、「既存権益との調整」、「地域計画との整合」、「開発効果」の評価項目に対して各候補地に得点を投じる形で行われました。その結果、各候補地における得点順位は以下のようになりました。

各建設候補地の評価順位

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 総合的な評価は上から泉州沖→播磨灘→神戸沖の順番となり、答申(関西国際空港の位置及び規模について)では関西新空港は泉州沖での建設が妥当との内容となりました。

 この評価がどの程度妥当だったのか、また政治的なバイアスがどの程度入っていたか現在となっては知る由もありませんが、個人的にはある程度妥当な内容のように思います。現在でも語られる神戸沖の利便性については、この投票においても「利用の便利さ」で神戸沖がトップの評価を受けています。一方で、当時はまだ高度経済成長の途中であったことからも、新空港の計画は周辺地域の開発とセットで、国土開発の一環であるとの考えも強かったものと考えられます。神戸に比べ泉州地域の開発が遅れていたことは「地域計画との整合」、「開発効果」などの点で泉州沖が高く評価されることにつながったのでしょう。

 そしてここから泉州沖での関西国際空港建設に向けた動きが本格的になっていくわけですが、ここからもさらなる紆余曲折があります。この点についても後でふれたいと思いますが、次回は審議会の検討対象とならずに消えた候補地について書いていきたいと思います。

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