「怒髪天」について

インディーズで復活後の怒髪天しか知らないが、メジャーリリースしてからも知らない(少しは知ってる)
『如月ニーチェ』から『トーキョー・ロンリー・サムライマン』まではよく聴いてたしライブも近場は行ってた。
恵比寿のリキッドルームとか渋谷のO-WESTでやってった頃。横浜も観に行った。
上昇気流に乗っかってロックファンに認知されてきたし、そういえば、「ガガガSP」と対バンしたのも渋谷で観た。怒髪天も足掻いて、焦って、なんとか這い上がろうとしていた姿がバンドのカラーと合致してた。
当時の私の心情とも重なった。
好きになる時機は重要で、特に歳をくってると仕事との調整してライブにいくからバンドに対する「情熱」が必要になる。万難を排してこちらも参戦する。

売れてよかったと思う。でも楽曲は変わる。仕方ない。「ただならぬ不安」なんてなくなるから歌詞が変わるのも当然。

でも、音楽は救ってくれる。怒髪天にも相当助けられた。音源聴いている時も、ライブで汗だくになっても生き残る力をくれる。
好きな音楽でもバンドでも、人それぞれだけど私には生きることに直結している。

活字も必須だけど音の効能とは違うので、おもしろい。音楽は音が直截、感情を動かす。「悲しい旋律」はあるけれど「悲しい」という単語自体は悲しさそのものではないから。
そうなると「歌詞」の役割とはなんだと考える。

音楽の受容の仕方も変遷する。