いつでもどこでも決めたらそこが出発点の意味

人生はおそらく1度きりだと思っています。

確信に近いのですが万が一来世があったり、生まれ変わることがあると怖いのでなんとなく答えを保留していたりします。

私という存在はは過去の積み重ねでできています。

どんなに嫌でも、惨めで悲惨でも過去を無かったことにはできません。

時々忘れることはあっても確実に心と体に刻み込まれていて治すことはできません。 

いつでも出発点にできるのは、それらの過去があるからです。 

後、1年の余命でも出発点にできるのは過去の人生を加えられるからです。

過去が消去されてから後、余命1年ではなにもできないと思います。

それに記憶は自分に都合の良い偏向情報です。
意図せず偏りがあるのが記憶であり自分の過去です。
たとえ1年の余命でも未来は可能性がある分だけ不透明です。

不透明さを可能性は「必然」に変形して人の意識に入り込みます。

入り込まれた方は未来を「運命」として甘受するしかありません。

この辺りは、まだ上手く伝えられる言葉にできないのですが、私の「伝えたい」ことのひとつなので工夫しながら適切な表現を模索していきます。

過去を捨てることはできないことです。勿論経歴の詐称とかは駄目です。

急に思い出したので加えます。
「嘘」と「間違え」は別のことですが、最近「間違え」にまで「嘘」という言葉で表現しているのを見聞きします。この使い分けは重要だと思っています。
民法でいう「心理留保」でしょうか。

蛇足でした。

「ご静読?」ありがとうございました。