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最近気になる人ができた。

「かわいそうに」「大変だったでしょう」

そんな言葉 いらない。ほしくない。
わかった気にならないでよ。見てないくせに。
そうやって言いながら ほんとは 蔑んでいるんでしょう?


「つらかったね」「がんばったね」

別に 頑張ったつもりなんてない。
これが私にとっての当たり前。
気づいた時には、ここにいたんだから。


そんな目で見ないでよ。
私は可哀想な子供なんかじゃない。

これはかつて私が ずっと思っていたこと。
彼女も、そうだったのかもしれない。



最近気になる人ができた


"気になる" ってのは、恋してる、とかじゃなくて
あ、この人 素敵そうだな、仲良くなってみたいな、って思える人。


11月、参加したZOOM会議に
居合わせたのが「文ちゃん」だった。

柔らかい人だな、と思った。

気になった私は 共通の友人である彼女に「文ちゃん」について聞いてみた。


あなたにとって「文ちゃん」って、どんな存在?


私にとって文ちゃんは、弱みもひっくるめた自分を認めてくれた存在。


ほえ〜〜〜 よければ、今 頭に浮かんだエピソードを教えて。


あの日は ほんとたまたまで
文ちゃんと 作業しながら 好きな音楽の話とかしてたんです。

ひょんなことから「将来何しようね」という話になって
私が「早く家を出たい」という話をしたんです。

そこから、家族の話になって。

実は 私、家族に対してそんなにいい思い出がないんです。
正直 思い出したくないこともたくさん。

でも周りの人は「家族には感謝しなければいけない」とか「恵まれている」とか、そんな話ばかりで。

段々と、周りに家族のことを話せなくなっていたんです。


そうかそうか。でも、文ちゃんには話せたんだ。


そうなんです。

文ちゃんはその悩みを無理やり聞き出すわけでもなく、
ゆっくり、あたたかく私のペースに合わせて聞いてくれました。


どうして 文ちゃんには話せたんだろう?


なんででしょうね。

今まで家族のことは自分の駄目なところ(欠点)だと思っていたので、人に知られたくないと思っていたけれど、

文ちゃんなら聞いて受け入れてくれると、心のどこかで思っていたのかもしれません。

「この人は絶対に 否定するようなことを言わない」という確信のような。

それは今までの関わりから、文ちゃんが痛みを受け入れてくれる人だと
分かっていたからなのかなと思います。


そうかぁ〜〜〜 話を聞き終えて

文ちゃんの反応

はどうだった?


文ちゃんは
「話をしてくれてありがとう。改めて本当に素敵な子だと思ったよ。」
と言ってくれました。

私はその反応にとても驚いて。

というのも 、これまで 友達に 家族のことを話した時と全然 反応が違っていて。


これまでの友達の反応は、どんなんだったの?


これまでは「しんどいんだよね」という私に対して、労いというか、励ましというか「大変だったね」「辛かったしょ」とか、そんな言葉ばかり...

正直、苦手でした。

気を遣ってもらっているのはわかるけれど、「見てないのに簡単に言ってんなよ」って思ってしまう自分もいて。

そうやって言われるのは 苦痛で、でも「ありがとう」しか言えなくて。

「頑張ったね」とは違う反応が欲しかったんだと思います。


だから、文ちゃんに「改めて素敵な子」って言われたときに、
あぁなんて素敵な人だろうって思いました。


「改めて素敵な子」

文ちゃんから、どうしてその言葉が出たんだろう?


文ちゃんもその時に自分の環境について話してくれたんです。
似てるところもいくつかあって。

「しんどいことを 自分なりに乗り越えてきた、ってのは一緒だし、共通する部分あるね」 と言ってくれて。

その時に気づいたんです。

文ちゃんにとっては、ずっと「自分ごと」だったって。自分ごととして同じ目線から考えてくれていたんです。

反対に これまでもらってきた「大変だったね」という言葉は、ぜんぶ「他人事」で。

だから、嫌だったんだと思います。


そうか〜いい気づきだね。

それからの文ちゃんとの関わり方

はどうなった?


文ちゃんとの関わりは 特に変わることもなく
構えることも構えられることもなく、いつも通り。

それもすごく助かりました。

態度を変えられても大変ですし。


いいね〜 文ちゃん。


あと、
文ちゃんに家族のことを話したときは 支離滅裂だったんですけれど
段々と 頭の中で整理が できてきて。

こういう時、こうだったな、とか 言葉にできるようになりました。

あぁ、私 「しんどかった」というのを ただ知ってもらいたかったんだなあということにも気づきました。


言葉にできる、って本当に大事だよね。


文ちゃんで はじまったZOOMは


もし、よければ だけれど家族の話も聞いていい?


小学生の時...

「『団欒』これなに? こんな言葉知らない」

『そんなこと言っちゃダメよ』

「学校の宿題で、あなたのお家の団欒について書いてこいって...」

『みんなで テレビ見る、とか書いといて』


うんうん、うちにも団欒がなかったよ〜
(私のおうちの話はこのnoteで書いてます、よければ)


家にいたくなかった話、高卒で公務員になろうと思っていた話、行きたいと思っていた大学に願書すら出せなかった話...


「文ちゃんの話を教えて」から始まったzoomなのに、気づけば、私と彼女は自分たちのこれまでの話で 盛り上がっていた。


そして さらにお互いのパートナーも加わって。
いつのまにか2人から4人の時間になった。

さらに 広がる 価値観の話、言語の話。


気づけば、文ちゃんのことなんて すっかり忘れていた。




知らなかった。

今までは たった数回 話した程度の彼女。
こんなにも私と似たところがあったなんて。


知れてよかった。

彼女だけじゃなく、彼女の素敵なパートナーのことも。


話の後半 すっかり登場しなくなった文ちゃんだけれども、そもそも「文ちゃん」というきっかけがなかったら、この豊かな時間は存在しなかった。



文ちゃん

私は あなたのおかげで素敵な繋がりを 得ることができました。
心からありがとう。

まりい



ps. そんな文ちゃんは...


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