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東青梅駅の移り変わり

 東京の西の端を走る、JR青梅線。

 東京は東側に人口が偏っているので、都民でも「知らない」という人は多いかと思います。
 ただ、中央線に、かなりの本数が乗り入れているので、東京駅や新宿駅で「青梅行」という表示を見たことがあるという人は、けっこういるでしょう。そんな中央線の「青梅行」に乗って、1時間ほど進めば青梅線を乗り通せます。


 
 その東京のローカル線『青梅線』は、半分ほどが単線になります。
 
 青梅線の中間に青梅駅があり、現在は起点の立川発や中央線乗り入れの東京発は、この青梅が終点になります。その先は、青梅~奥多摩間の運行となっていて、4両編成と短く、本数も1時間に1本から2本となります。

 
 その青梅駅の一つ手前の東青梅駅が、複線と単線の分かれ目でした。
 
 東青梅駅を出た電車は、単線区間に入り、そして終点の青梅駅に到着するのです。
 東京駅を発着する通勤電車で、唯一単線を通るものです。
 
 
 今も複線と単線の分かれ目となっているのですが、昨年5月、とても大きな変化がありました。
 
 それは、これまでは「東青梅駅まで複線」だったのが、昨年5月から、「東青梅駅から単線」になったのです。
 
 東青梅駅が単線駅になり、駅の手前で上下線が1つになってしまうのです。
 
 これによって、東京駅を発着する通勤電車で、唯一単線駅に入線するものに変わりました。
 
 まぁこういった変化は鉄道ファンなら大問題ですが、一般の方々にはたいした違いではありませんね。
 
 でも、そのように変わったのです。
 
 
 
 東青梅駅が単線駅になったのは、間もなく中央線乗り入れの青梅線が、グリーン車導入によって10両編成から12両編成になるからです。
 
 2両分のホーム延伸ができないのです。
 
 
 東京側(河辺側)は、ホームの真横に道路が通り、踏切があります。ここはつぶせません。
 
 青梅側はさらに、直近で2本の道があって踏切があります。その踏切はカーブになって、ちょっと傾斜が付いています。また、建物も迫っています。
ホームを伸ばすとすれば、カーブに当たるし、建物にもどいてもらわなければなりません。
 
 しかも、他のところとちがって、ただホームを伸ばせばいいというものではなく、ポイントを設置して単線にしなければなりません。青梅駅までの線路用敷地が狭く、とても複線のまま青梅駅まで進めないのです。
 
 それで、東青梅駅を単線駅にしたのです。
 
 単線駅にすると列車交換ができず、そのままでは運転本数を減らさなければ運行できません。それを、両隣の駅に退避ホームを作ることによって、現状の本数を保てるようにしたのです。
 
 
 
 その単線化工事は、昨年(令和5年)の5月13日でした。

 工事の日、列車本数を減らし、また夜間に河辺~青梅間の運行を止め、代行バスを走らせました。
 
 そして一晩かけて工事が続けられ、翌日の始発には単線駅として生まれ変わったのでした。
 
 上の画像は、午前4時半くらい、工事終了間際の試運転車です。
 
 
 東青梅駅の複線化は、昭和37年のこと。その年の5月7日に、小作駅~東青梅駅で複線化されたのです。
 
 そして昨年、再び単線駅に。
 
 東青梅駅の2番線は、たった61年だけでなくなりました。
 
 東京都の駅で、単線から複線になって、また単線になるのは珍しいことです。

 こちらは、同じ青梅線の沢井駅。この駅も単線駅へと縮小されました。


 東青梅は、すぐに線路が取り除かれました。規模が縮小される駅の悲哀を、ちょっと感じるホームの眺めです。
 元から単線駅でなく、作り変えられた単線駅は、それまでの痕跡が長く残ります。
 

 沢井駅とちがって、東青梅駅は周囲の衰退がない状況での縮小です。
 
 駅からすぐの市役所は建て替えられてきれいになり、また高層マンションがいくつも並ぶようになりました。


 工事から間もなく1年で、上の画像のような応急処置的な部分も、だんだんときれいになっていっていることでしょう。
 
 
 
 工事から1年後のホームを、近いうちに見に行ってみようと思っています。

 
 


 
 
 
 
 
 

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