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忘れられない一日

ふと、忘れられない一日の記録をば。



とある日の外来で、私はいつものように教授の隣で外来見学させていただいていた。



それは、重度のもやもや病の患者さんだった。


その方は
父、母、妻と4人でいらっしゃった。





片足を引きずりながら、そして半分麻痺の残る顔で

こ ん に ち は。
よ ろ し く お 願 い し ま す。



と一言。




最近、脳梗塞を起こして、山の中の病院から紹介されてきた方だった。


その方は40を過ぎ、最近は福祉施設でアルバイトをしておられた。


もちろん呂律が回らない、手はゆっくり握れるが開けない。そんな中で仕事しておられた。



昔は、アメリカ、シンガポール、ドバイ、世界中を飛び回る商社マンだったそうだ。






もやもや病は見逃されることもしばしば。



脳のMRIを撮り、見る人が見ればすぐわかるが、初めての症状が頭痛、けいれん、の場合は精神科をかかったりするものの、てんかん薬で押さえて見逃されていたり、高血圧で腎血管性高血圧と診断されて脳外科まで行きつかない患者さんも多いのが実情だ。


そして、その患者さんもまさにその典型だった。脳に栄養を送る血管はあちこちで細くなり、脳は悲鳴を上げ、MRIを取るとところどころに脳梗塞と右の脳に大きな脳梗塞ができていた。


脳梗塞は一度できたら基本的には治らない。
その部分の領域の血管が塞がってしまっていてその先の組織がやられてしまうからだ。



先生はひとつひとつ、昔からの何か思いあたる症状はないか丁寧に聞く。



最初は思いあたらないと言っていたけれど、お母様は思いついたように、
そういえば、頭が痛くて朝起きれなくて学校に遅刻した話、血圧が高くて腎臓の血管造影をしたけれど、脳外科にはかからなかった話、をした。



人生とはどこでどうなるかわからない。
私は隣で聞いていて、運良く、早い段階で脳外科の先生に会っていたのであれば、この方の人生は大きく違っていたかもしれないと思った。



そして、いよいよお母様は


もやもや病治療の代名詞、バイパス治療ができないかと先生に問いかける。



ちょっと待ってね。


と諭す先生。



ここまで脳が死んでしまうと、基本的にバイパス治療をしても大きな変化はないかもしれません。


と先生。





その瞬間、妻の手元にあった書き溜めた血圧ノートが震え、目には大粒の涙が溢れた。




そして、それを横目で見る先生。



そしてその姿を横目で見て、妻の手を握るお母様。お母様の目にも大粒の涙が溜まっていた。



私はどうすることもできずそこに立ち尽くして見ていた。




まず、検査して、もし、まだ脳が栄養欲しがっている像などが見えたらすぐにバイパスの手術をしましょう。


これは万人に共通する話ではないけれど、ごく稀に上がらなくなった手が上がる人などがいます。

と先生。





その瞬間、家族の眼の色がすぐに変わった。



次の検査はいつしますか。と先生。


お父様は、

できるだけ早く。と即答した。








家族が今から歩む人生。
彼らは帰路でどんな話をしたのだろうか。

そして、家族の人生をここまで左右する先生のお話。

このような話ができるのはごく限られた人しかいないだろうと私は思ったのだった。






そして、その時、それと同時に、


私は人生はどこでどうなるかわからないな。とふと思ったのだった。


この日の記憶はなぜか、ずっと頭から離れない。

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