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災害時の情報について


20年以上前の昔の話。ナホトカ号重油災害ボランティアに参加していた時のこと。
テレビで「重油回収作業は終了しました!」と放送され、次の日からボランティアが全く来なくなってしまった。まだ作業は終了していないというのに。
その時に「本当に何が起きているのか知りたいなら現場に行くのが一番いい」と思った。

先日、集会所に新聞社の記者が来て残った人々にかるくインタビューをしていた。
次の日、その話が記事になっていたんだけど、本人の話した言葉がニュアンスの違う文章になっていた。インタビューを受けた本人は「オレ、こんなこと言ってないんだけど…(苦笑」と言っていた。私も前日のインタビューの場にいたから知っている。記者フィルターが入った、一般大衆が好みそうな内容になっていた。
その時に「新聞記事を鵜呑みにするのはやめよう」と思った。

地震後、「不安」や「心配」の感情を持ったメールをたくさんもらった。
ニュースを見て、とかSNSを見てとか。
無事を伝えてもなお、心配してくる人がいる。
正直そういうやり取りが一番消耗する。
フィルターのかかった偏った情報を信じて、本人の大丈夫です、普通にやってますの言葉が信じることができないのはちょっと異常な状況ではないかと思っている。

都市部と田舎。
環境が違い過ぎるので、想像できないこともたくさんあると思う。
それはどちらにも住んだことがあるからよくわかる。

引っ越してきてから七年間、自然の懐で生活してきた。
だから、地面が少し身震いして家も住める程度だった私たちにとっては今の“被災生活”はあくまでも普段の生活の延長線なのである。

情報を自分の中に取り入れる時は、
曇りなきまなこで判断できる人間になりたいと思う。
そしてその情報を確かめるのに現実的に動けない場合は、“待つ”という選択をすることも大切である。
災害時は、支援に段階があるということをこの経験を通して明確に感じた。
「困っている人にどうにかしたい!」を思った人たちは、まずは物資を運ぶことを考えたみたい。私の友人でも何人かいた。
しかしながら、自衛隊が入っている段階である。
物流も止まっている。
自力で行く!という人は控えてほしい。緊急車両が通れなくなる可能性があるから。
なので“待つ”の時間を過ごしている間は、自分の半径100mの人たちを幸せにすることに一生懸命に生きてください。

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