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児玉源太郎 出光佐三 等の 遺産 徳山コンビナート を 毛利元就 公 百万一心 による オリオン THE 周南 コンビナート経営 で 一円相 の 安定経済 へと

「コンビナート」 とは 動力・原料などを 計画的・合理的に組み合わせ 最高の生産効率を達成するために 関連産業の企業または工場が 同じ場所に集まりつくられた 企業集団の一形態 とされている

別の見方をすれば 優れた経営システム と 表現しても 良いだろう

そして 優れた経営システム は
一円相(いちえんそう)  始まりも終わりもない 安定した 経済へと導く

ところで この ロシア語で <結合> を 意味する kombinat コンビナート であるが 日本において 英語の combination コンビネーション ではなく ロシア語の 「コンビナート」 が定着しているのはなぜか? 

それは 明治37(1904)年2月6日 に勃発した 日露戦争 に対処するため 大日本帝国海軍 が 明治38(1905)年4月に 燃料技術 発祥の地として 海軍練炭製造所 の 徳山設置 を決定したのが 起源だからである 

海軍練炭製造所は 徳山出身 児玉源太郎 の尽力 と後世に伝わる

よって 周南市 は 人間魚雷 回天 だけではなく

徳山大空襲 の 史実も 平和学習 として 後世に 語り継ぐ 責務があると云える

なぜなら 徳山大空襲 の 原因は 上述のとおり 明治37(1904)年2月6日 に勃発した 日露戦争 に対処するため 大日本帝国海軍 が 明治38(1905)年4月に 燃料技術発祥の地とした 徳山設置に始まるからで さらには 児玉源太郎 の尽力が 出光佐三 出光興産 徳山製油所 そして 徳山コンビナート への 発展という 現代の繁栄の 結果を もたらしている からである

『徳山藩記』に
  天和三年下松え有之御船蔵、遠石町東端浦え引移建調成

https://www.google.com/maps/place/%E6%97%A7%E8%97%A9%E8%88%9F%E6%96%B9%E8%B7%A1/@34.0377719,131.8243542,3a,75y/data=!3m8!1e2!3m6!1sAF1QipPGOl-QYGEti7_WrraKIL1RW9CHNTk6gDBQCM84!2e10!3e12!6shttps:%2F%2Flh5.googleusercontent.com%2Fp%2FAF1QipPGOl-QYGEti7_WrraKIL1RW9CHNTk6gDBQCM84%3Dw203-h270-k-no!7i3024!8i4032!4m16!1m8!3m7!1s0x3544e6d8c45e59c5:0x35c5c4898f7c6ece!2z5rSl55Sw5oGS5a6f44Oh44Oi44Oq44Ki44Or44K544K_44K444Ki44OgKOWRqOWNl-W4gumHjueQg-WgtCk!8m2!3d34.0422694!4d131.8261002!10e5!16s%2Fg%2F121srcpm!3m6!1s0x3544e79c18b99991:0xf2af21844e549930!8m2!3d34.037676!4d131.824287!10e5!16s%2Fg%2F11tjwn51rz?hl=ja&entry=ttu


ちなみに 周南市長公舎は 大正15(1926)年に 第三海軍燃料廠の廠長官舎として建てられ 昭和20年の終戦を迎えるまで歴代の廠長が住まわれており 二度にわたる徳山大空襲を免れた この木造住宅は 戦後 徳山市が払下げを受け 市長公舎として使用されてきた 歴史あり


つまり 海軍練炭製造所にはじまる 徳山下松港の工場夜景 は 児玉源太郎 出光佐三 等の遺産であり 周防徳山藩 7代藩主 毛利就馴(もうり なりよし)の 由緒によれば 「岐山」の 鳳凰が鳴く 「鳴鳳(めいほう)」 を意味しているのだ

これらのことを 正しく理解することが 維新平和学習 なのだろう

よって 広島毛利藩 徳山藩士 児玉源太郎 陸軍大将 を 祀る
児玉神社 の 参拝は
周南市の 徳山観光 として 大変重要であることが 理解出来る


そして 市制施行 20周年を機に 改めて 周南ブランド を 確認すれば
まず 毛利元就 公 が 弘治3(1557)年 霜月25日に
TOSOH PARK 永源山 の麓
周防富田(旧・山口県 新南陽市)の 勝栄寺 で書いた
『三子教訓状』 が <地域の歴史上 最大の宝> であり
三人の子に 嚴島信仰 と 一致団結 の大切さを 説いているので

世界に通用する < 三本の矢 > を
国内外に 啓発する意味での シンボル として
TOSOH PARK 永源山 の ゆめ風車 は
三本の矢 による 「毛利風車」 に 改修工事する必要があるだろう

山口県 周南市 は 一文字三星 広島毛利藩の 城下町で
徳山 新南陽 鹿野 熊毛 による オリオン座 として
平成15(2003)年 4月21日 に 誕生している

オリオン座 の 一致団結 の 大切さ として
毛利元就 公 の 訓(おし)え < 百万一心 > も忘れてはいけない

< 百万一心 > とは
「百」の字の一画を省いて「一日」
「万」の字を書き崩して「一力」とすることで
縦書きで「一日一力一心」と読めるように書かれており
「日を同じうにし 力を同じうにし 心を同じうにして 事にあたる」
ことの大切さ つまり 全員が一致団結することの大切さ を 説いている


ところで もう 10年以上も 全国12都市で
<百万ドルの夜景> を 眺めているらしいのだが

徳山下松港 開港 100周年 周南公立大学の誕生 市制施行 20周年
を機に 周南市 は 独自性を 発揮するべきだ との 想いから
お盆に 児玉源太郎 を 祀る 児玉神社 を 参拝したところ
児玉源太郎 は 云った

「夜景 を ただ 眺めるのではなく 百万ドル を 市民ひとり一人が 手にすることを 考えなさい」

周南市には 市民憲章がある

「1. 教養を深め 自らが輝き 世界に誇れるまちをつくります」

2022年度より 高校の授業では 「資産形成」の授業がスタート

つまり 上述の 周南市の 独自性の発揮とは
毛利元就 公 百万一心 による 周南コンビナート経営 で
周南市民 が 国際拠点港湾 徳山下松港 の 地元企業
トクヤマ、東ソー、出光興産、日本ゼオン、日鉄ステンレス、日本ポリウレタン 等々の 株主になるための 勉強を
周南公立大学でしたうえで 株主となり その配当金による 「資産形成」 によって 豊かに暮らせる 好循環の経市済民 となる 地域経営の 提言なのであり 

周南市民憲章
「1. 元気に働き 豊かで活力のある まちをつくります」
「1. 教養を深め 自らが輝き 世界に誇れる まちをつくります」
「1. みんなで助け合い 安心して暮らせる まちをつくります」
の実現である

周南市民 は 長州ファイブ 鉄道の父 井上勝 に 敬意を表して
徳山駅 発着の 豪華 観光列車
TWILIGHT EXPRESS オリオン THE 周南
(トワイライトエクスプレス オリオン ザ しゅうなん)
で 鉄道の旅を 満喫するべき だと想う


令和5(2023)年 市制施行 20周年を迎える に当たって
本提言は
徳山コンビナート 周南市民 周南公立大学 による 
< 三本の矢 > と < 百万一心 > の 実践によって
周南ブランド である オリオン座 の 輝きが増す
周南再生プログラム で
オリオン THE 周南 一品
Orion The Shūnan Ippon! と呼ぶ

鳴鳳 親鸞 「南无阿彌陀佛(南無阿弥陀仏)」
極楽 浄土真宗 本願寺派 法名 釋 鯉修

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