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ニューヨークでシンディ・シャーマンに寿司を握ってみないかと誘ったら

神田・三好鮨

私は、寿司好きである。しかも、おそらく物心つく前からそうである。

父の会社が東京は神田・淡路町にあったため、私の外食文化は、淡路町、須田町界隈で形成された。「やぶそば」、甘味処の「竹むら」、鳥すきやきの「ぼたん」、いなりの「志乃多寿司」、天ぷらの「天兵」、シュークリームが絶品だった「近江屋洋菓子店」、そして今はなき「三好鮨」。

父もまた寿司好きだったため(といっても呑んべえの彼は握りはほとんど食べず、刺身をつまみながらひたすら呑んでいた)、私は幼い時から月に2、3回は父に三好鮨に連れられ、カウンターに陣取り、当たり前のように「いか」、「ひも」、「中トロ」、「あわび」などと、注文していた。記憶にあるかぎり、最も多く食べたのは、中学時代に、56カン。大将が、これ以上食べたら具合が悪くなるからやめときなさい、とたしなめられた。

人生で初めて自分で「握った」のは、大学時代。友人宅のホームパーティで、近所の寿司屋さんが握りに来ていて、教わった。大将曰く、「シャリは、丸めた掌のなかで小さい「赤ちゃん」だと思ってやさしく転がしなさい」。

ニューヨークのスシ事情

以来、折に触れ、寿司屋のまねごとをしていたが、本腰を入れ「握り」始めたのは、前述のニューヨーク滞在中だ。

アメリカでは、人々はよくスシを食べる。私が通っていたコロンビア大学の学食にあったテイクアウト用の棚も半分はサンドイッチ類で占められ、残り半分はスシ類で占められていた。興味本位で一度恐々とそのうちの一つを食してみたが、それは当時の日本のコンビニで売っていた寿司を二ランクくらい下げた代物だった。以来、二度と学食でスシを買うことはなかった。

家の周りにも何軒か「日本食」屋や「スシ」屋があったが、ほとんどが日本人以外のアジア人が経営して握っていた。当然「赤ちゃん」のように繊細な握りは期待できなく、日本の通常の握りの倍のシャリを無造作に握ったものばかりだった。ネタも、こちらの人が好むサーモンとツナばかり、それにしばしばアボガドやカニカマなどを裏巻きにしてとびっこをまぶした派手な彩りの巻物が、大量のわさびの山とともに添えられる。

それは、神田や他の下町の江戸前の握りに慣れた私には、「寿司」とは“別物”と思わないと食べられない代物であった。

ニューヨークにももちろん日本人ビジネスマンなどが御用達のまともな江戸前寿司屋は何軒もある。ただし、当時、円安で、かつニューヨークの物価は総じて高かったため(月給の半分は、たかが20平米強のワンルームの家賃に消えていた)、私には高嶺の花だった。

しかしながら、どうしても寿司を食べたかった私は、ついに本腰を入れて自分で「握り」始めた。ただ、家の周りの何軒かのスーパーでは(ニューヨークにはほとんど「魚屋」というものがない)、生で食べられるほど新鮮な魚は回転のいいサーモン以外手に入らないので(一度、家から9ブロックほど北にあるこの界隈では最も高級なスーパーであるZABAR'Sで塩焼き用にイワシを買ったが、家に帰って捌いたら、内臓が完全に腐っていた!)、握るときは面倒でも32丁目のコリアンタウンのスーパーにある魚屋に行き、新鮮で安価なマグロやヒラメを手に入れていた。

私は夜な夜な、古米を炊き、魚の切り身の代わりに、それによく似た質感と弾力を備えたレーヨン製の給水クロスをネタ大に切り、握りの練習をした。凝りだすと、時間も忘れ、納得のいく「握り」になるまで何度も何度も練習した。

時折、私は、(ホーム)パーティなどに呼ばれ、握った。一度などは、30〜40人のパーティで握ることになり、必要な量のシャリを確保するために、日本人の友人3〜4人に自宅でコメを炊いて炊飯器ごと持ち込んでもらったりもした。会場で、私はパフォーマンス代わりに、髪を短く切った頭に鉢巻を巻いて握っていたため、私のことを知らない招待客たちは私を本物の寿司の板前だと思ったらしかった。

ある新年会

またある時は、友人がトーキング・ヘッズのデヴィッド・バーンと親しく(彼のパートナーは日本人だった)、彼の家でやる新年会のためにおせち料理をつくるので、あなたは寿司を握ってくれないかと頼まれたので、大晦日に二人で日本人の駐在員たちが多く暮らすニュージャージーにあった大規模スーパー「ヤオハン」に買い出しに行き、新鮮で豊富な種類のネタを手に入れた。

新年会当日は、主にアート関係者が10数人いたと思うが、その中にかのシンディ・シャーマンもいた。作品に見る強烈なパフォーマンス性とはかけ離れ、いたってナチュラルな物腰の彼女と(握りながら)しゃべりながら、彼女もまたスシがすごく好きだと言い、興味深く私の握り方を見つめているので、よかったら教えるから握ってみないかと誘った。彼女は、一瞬逡巡したが、やっぱりやめとくは、とさりげなく言い、でも私は、彼女がどんな握り方をするのか、強い興味があったので、もう一度迫ってみたが、ついに首を縦に振ることはなかった。

そこに、私は、彼女の「アーティスト」としての矜持を見た思いがした。

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