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とりとめのないこと

連休だし、とりとめのないことを書いてみる。

いつもの「ですます調」ではなく「だ・である調」で書く。なぜかといえば「リンダリンダラバーソウル」を読み終えたばかりだからである。

夢は消え、歌は残る

「バンドブーム、について書いてみようと思うのだ。」という書き出しから始まるこの本は、80年代から90年代初頭にかけての日本を席巻した、一大ムーブメントに翻弄された若者たちを描いた青春小説である。

バンドブームとは、日本中の誰もがロックバンドに熱狂するという、リアルタイムで体感してない世代にとっては、さっぱり意味が分からないであろう珍奇な社会現象のことだ。

1980年代前半頃から、東京・原宿の歩行者天国でバンドの路上演奏が盛んに行われるようになり、「ホコ天」と呼ばれる若者文化の発信地として、メディアに大きく取り上げられるようになった。

1989年に年号が昭和から平成に変わると、「イカ天」こと「三宅裕司のいかすバンド天国」という、アマチュアバンドの勝ち抜き番組が始まり、「ホコ天」「イカ天」の相乗効果でバンドブームは絶頂期を迎える。誰もがバンドに夢中になり、日本中にアマチュアバンドが溢れかえった。

『三宅裕司のいかすバンド天国』(みやけゆうじのいかすバンドてんごく)とはTBSで放送された深夜番組『平成名物TV』の1コーナーである。1989年2月11日に始まり、1990年12月29日に多くのバンドを輩出して幕を閉じた。

三宅裕司のいかすバンド天国(Wikipedia)

わずか1年10ヶ月しか放送されなかった「イカ天」という深夜番組に、多くの若者が翻弄された。私もその一人だ。

当時の若者たちは、もちろん純粋に音楽が好きでバンドを組んでいたのだが、アマチュアバンドが一夜にしてスターダムにのし上がっていくという、サクセスストーリーに憧れを抱いていた側面も否めない。

「好きなことで、生きていく」という、YouTuberのキャッチコピーがあるが、まさに好きなことをして生きていきたいという願望を、バンドブームが叶えてくれるように思えたのだ。

私も「イカ天」の影響でバンドに憧れて楽器を始めたクチだが、幸か不幸かブームには乗り遅れた。人前で演奏ができるようになった頃には、ブームは去り多くのバンドは解散してしまっていた。

自分の将来を考えるうえで、先人の生き方はあまり参考にならない。バンドブームを通して学んだ教訓である。

だが、バンドは解散しても作品は残る。バンドブームを駆け抜けた猛者たちの音源はデジタルアーカイブとなって、配信やYouTubeを通して今も後世に影響を与え続けている。

最高の時間は長くは続かない。それでも、精神は継承される。

パキラを枯らすな

一度目の緊急事態宣言が発令された頃、事務所に観葉植物に凝り始めた。

植物は通りに面した窓際に置いてあり、外からも眺めることができる。日当たりが良い場所が道沿いだっただけで、わざわざそうしているわけではないのだが、結果として街を歩く人たちにも観覧してもらっている。

あるとき、女子中学生か高校生と思しき二人組が、窓の外からこちらを見ていた。二人は友達らしく、パキラの鉢の前で他愛もない会話をしていた。

聞くともなしに会話に耳を傾けていると、なんだかんだと話が盛り上がったのちに、二人で顔を見合わせて「パキラを枯らすな」と言って笑った。

若者のスラング?それとも、二人の間だけの符牒だろうか?

短く印象的なフレーズなので、気になって検索してみたのだけれど、残念ながら出自には出会えなかった。もしかしたらその場で思いついただけで、特に意味などなかったのかもしれない。

本来、すべての会話に意味がある必要などないし、意味がない会話に価値がなわけではない。最近はタイパ(タイムパフォーマンス)などと言って、なにかと生産性を重視を重んじる風潮にあるが、すべての会話や体験に意味を求めるのは、窮屈と言うか貧乏くさい。

もっと積極的に無意味な時間を過ごすべきなのではないか?むしろ無意味な会話を楽しんでいる時間こそ、豊かな人生を謳歌していると言えるのではないだろうか。

などと考えているうちに、女子たちはどこかへ行ってしまい、謎は謎のまま今も記憶に留まり続ける。

崇徳院

嬉しい再会が重なり、充実した連休を過ごすことができた。

インターネットとスマートフォンが普及して、私たちはいつでもどこでも繋がることができるようになった。再会のハードルがぐっと下がったのと同時に、再会する必要性もまた下がったと言える。

それでもやはり直接会っておきたい人はいるし、それぞれが楕円軌道を描きながら暮らすなかで、お互いがそう思えるタイミングでなければ再会は成立しない。

そのような再会は、文字どおり再度会うことに意味があるのであって、会ってなにをするかはさして重要ではない。

適当な店で酒を飲み、他愛もない話をして、終わる。それでいい。

このまま感染症は収束に向かい、会いたいときに会えることの尊さを、すぐに忘れてしまうかもしれない。

それでもたぶん、再会を望む熱量は変わらないだろう。

また逢う日まで。

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