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いのちのとりで裁判に学ぶ わたしたちの「生活保護」

2013年から2015年までの3年間で、生活保護費のうち日常の生活費にあたる生活扶助費が大幅に削減されました。これを不服として、全国で1000人以上が訴訟を国や自治体を相手に訴訟を起こしています。この裁判は「いのちのとりで裁判」と呼ばれています。

この生活保護費の削減に関してはさまざまな論点があるのですが、元・中日新聞の記者でフリーライターの白井康彦さんは、厚生労働省が削減の根拠とした物価の計算に重大な統計不正とも言える問題があると提起しています。

ここ数年、報道でもよく取り上げられるようになった生活保護について「いのちのとりで裁判」を切り口に、一人でも多くの方と一緒に考えたいという思いから、白井さんをはじめたくさんの方にご協力をいただき『いのちのとりで裁判に学ぶ わたしたちの「生活保護」』という本を作らせていただきました。
白井さんと、出版社の風媒社さんのご厚意により、この本の「はじめに」と目次を公開させていただきます。続きはお近くの本屋さんやインターネットで本をお求めいただくか、図書館にリクエストしてお読みいただければと思います。

楽天ブックスe-hon、ヨドバシ.com、紀伊国屋ウェブストア でも順次注文できるようになるようです。よろしくどうぞ~!

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はじめに
 
「最低限度の生活」の基準引き下げをめぐる裁判
 「国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」──この日本国憲法第25条に定められた生存権を具現化した制度が生活保護です。厚生労働省は2013年、生活保護費のうち日常の生活費にあたる生活扶助の基準を3年間かけて段階的に切り下げることを決めました。生活保護を利用している世帯の96%で受け取る保護費が減額され、その削減率は平均6・5%、最大で10%にも及んでいます。これを不服として、全国で1000人を超える人たちが国や自治体に対して裁判を起こしています。
 2020年6月25日、名古屋地方裁判所で出された生活保護費の引き下げの是非を問う裁判の判決は大きな議論を引き起こしました。
 日本に住む人の生活の「最低限度」を引き下げることの重大さ、そして引き下げに至る過程にも重大な疑義があることを争った裁判でした。角谷昌毅裁判長は生活保護基準の引き下げは厚生労働大臣の裁量権の範囲内であるとして、原告の訴えをすべて棄却しました。
 判決文には厚労省が2012年12月の衆院選での自民党の公約の影響を受けていたことを認める異例の記述もありました。「自民党の政策は、国民感情や国の財政事情を踏まえたもの」として、基準引き下げに政権与党からの影響があったとしても違法とは言えないとしたのです。
 生活保護受給者の訴えや専門家の意見を軽んじ、最低生活の基準を「財政事情」や「国民感情」によって決めることを妥当とした前代未聞の判決に、多くの人が疑問を呈しています。
 2021年2月22日の大阪地裁(森鍵一裁判長)では「最低限度の生活の具体化に関する国の判断や手続きに誤りがあり、裁量権を逸脱・乱用し、違法」であるとして、名古屋とは反対に支給額の引き下げを取り消す判決が出されました。しかし同年3月の札幌地裁、5月の福岡地裁では名古屋と同じく、原告の請求は棄却されています。まだ各地の地裁で裁判が進行中であり、名古屋・札幌・福岡の原告も控訴して高等裁判所でも引き続き争う構えを見せています。

「生活保護」を私たちの問題とするために
 ところで、判決までに生活保護基準の引き下げに興味を持っていた人は、どれだけいたでしょうか。「生活保護は自分には関係ない」「裁判は一部の人の運動」と思われていたのではないでしょうか。他でもない、私自身がそう考えていました。
 生活保護基準は生活保護を受けている人だけに関わるものではありません。地方税の非課税基準や、国民健康保険や介護保険の保険料の減免、就学援助の給付対象、そして最低賃金も生活保護基準を参考に決定されています。基準が引き下げられれば減免や給付が受けられなくなる人も増えるのです。
 何よりも「健康で文化的な最低限度の生活」の基準を定めることは、日本に住む人の生活をどう保障するかということに他なりません。それは、私たちが「どんな暮らしができる国でありたいか」を考えることではないでしょうか。
 しかし、生活保護に対する世間の目は冷ややかです。生活保護について報じた記事がインターネットに掲載されれば、「怠けていないで働け」という内容のコメントがたちまち書き込まれます。いわゆる「生活保護バッシング」です。私は生活に困りごとを抱えた人の暮らしを応援する名古屋のNPO法人「ささしまサポートセンター」の活動にも関わっていますが、仕事も家も失ってなお、生活保護の利用をためらう人が少なくありません。
 暮らしの根幹に関わる制度なのに、誤解が大きく、また感情的な議論がなされがちな「生活保護」の制度、そして今回の裁判について、わかりやすく解説し、広く豊かな議論ができる土台を作る必要があるのではないか。それが、この本を作ろうと考えた動機です。
 本書では、生活保護基準の引き下げに反対するこれまでの裁判の内容をふりかえりつつ、現在の「生活保護制度」をめぐるさまざまな視点を紹介しています。
 生活保護基準の引き下げの経緯から、進行中の裁判の内容については、元・中日新聞記者でフリーライターの白井康彦さんに余すところなく解説していただきました。白井さんは、国が物価の下落率を理由に生活保護基準を引き下げるという説明をした際に、真っ先に疑問を抱き、厚生労働省は特殊な計算方式を用いて恣意的に物価下落率を実際よりも大きく下落させたのではないかと指摘しました。白井さんが「物価偽装」と呼び追及するこの算定方法は大阪地裁でも大きく注目され、勝訴判決の根拠となりました。
 名古屋の弁護団の団長を務められている内河恵一先生には、過去に担当された四日市公害訴訟事件や名古屋新幹線公害訴訟事件、そして日雇労働者の生活保護処分取消行政事件(いわゆる林訴訟)などともつなげてこの裁判を語っていただきました。加えて、訴訟を通じて社会の矛盾を明らかにしていくことが、市民と企業と行政がともに新しい技術や制度について考え開発していくきっかけになるとも述べられています。
 財政学者の井手英策さん、憲法学者の木村草太さん、社会学者の大山小夜さんからも、それぞれ異なる切り口から訴訟を評価していただきました。
 経済政策、社会福祉、教育などを横断的に研究されている天池洋介さんからは、北欧の社会保障制度とも比較しながら、そもそも「社会保障とは何か」「誰のための経済成長か」を考える機会をいただきました。ご自身の非正規雇用での労働や組合活動の経験も糧にして提案される、身近で地に足の付いた新しい「運動」についての提案にも希望が持てます。
 名古屋地裁の判決文にあった、「国民感情」について考えた項もあります。日本福祉大学社会福祉学部教授の山田壮志郎さんは、生活保護に対する意識調査を行い、日本では生活保護の何が「問題」と感じられているかを分析されています。どんな人が、生活保護の何を「バッシング」しているのか、については、少し意外とも思える結果も出ていました。
 何よりも皆さんにお伝えしたいのは、生活保護を利用して暮らしている方々自身の声です。裁判について精力的にブログで発信を続けている水野哲也さん、生活保護がご自身と家族にとって何であったかを真っ直ぐにお話しいただいた楠木ゆり子さん(仮名)は、ともに生活保護基準引き下げ訴訟の原告です。
 また、名古屋市で40年以上にわたり生活保護費のケースワーカーとして働いてきた小池直人さんにも現場からの声をお知らせいただきました。生活保護の受給者や、保護行政に関わる行政職員を苦しい立場に追いやってしまう構造が見えてきます。
 皆さんのお話の多くを、本書は白井さんや私との対話形式でまとめました。専門的でつい敬遠したくなる法律の言葉だけでも、大きな声で叫ばれがちな運動の言葉だけでもない、日常の言葉で語ることで、制度の後ろに確かに「人」がいて、それぞれの生活があることを感じていただけたら、もっと「生活保護」やそれを支える憲法の理念を身近に考えることができるのではないかという試みです。
 最後に、「物価偽装」について白井さんから詳しく解説していただいています。国のあり方、国の進んでいく先を決める根拠となるデータや理論をどのように扱い、議論していくべきなのかを学ぶ助けとなると思います。
(石黒好美)

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目次情報
はじめに◉石黒好美 
苦闘が続く「いのちのとりで」裁判◉白井康彦 

インタビュー◉内河惠一(生活保護基準引き下げ反対訴訟・名古屋弁護団長)
生活保護法は「希望に満ちた法律」です
 ─今こそ、その原点に立ち返る時 

コラム ◉井手英策(財政学)
時代の傍観者になってはならない

インタビュー◉天池洋介(岐阜大学・日本福祉大学非常勤講師)
「あの人たち」の生活保護から「私たち」の社会保障へ 

インタビュー◉小池直人(元・名古屋市 福祉事務所生活保護ケースワーカー)
誰もが必要なときに使える制度にするために
 ─職員、研究者、市民が信頼関係を築ける仕組みを

コラム ◉木村草太(憲法学)
名古屋地裁判決の問題

インタビュー◉山田壮志郎(日本福祉大学社会福祉学部教授・NPO法人ささしまサポートセンター事務局長)
「生活保護基準の引き下げ」を求める「国民感情」は本当にあるのか 

コラム◉水野哲也(「いのちのとりで裁判」原告) 
 名古屋地裁判決に思う
 ─朝日訴訟・浅沼裁判長の仁慈との比較

インタビュー◉楠木ゆり子(「いのちのとりで裁判」原告、[仮名])
いつでも誰でも、困ったときに頼りにできる
 ─生活保護はそんな制度であってほしい 

コラム◉ 大山小夜(社会学) 
生きる希望の最後の砦が裁判所 

インタビュー◉白井康彦
生活保護費は国による「物価偽装」によって大幅に削られた

泥沼の裁判闘争に希望の光◉白井康彦

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『いのちのとりで裁判に学ぶ わたしたちの「生活保護」』
∈ 編著:石黒好美
∈ 監修:白井康彦
∈ 発行者:山口章
∈ 発行所:風媒社
∈ 装幀:澤口環
∈ 印刷・製本:モリモト印刷
∈ 発行:2021年

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