他者靴の居心地の悪さと、ジェンダーと。
他人の靴を履くのは嫌だ。
なんだか形が変だし、居心地が悪いし、そもそも気持ち悪い。
家族の靴でもできれば履きたくない。夫の靴は嫌だし、3歳の息子の靴も、(履けないけど)なんとなく嫌だ。1歳の娘の靴なら、いいかも、とそんな感じ。
図書館で予約して、早半年。
待ちに待った、『他者の靴を履く アナ―キック・エンパシーのすすめ』ブレディみかこ著。このタイトルが秀逸で、感覚的にこの本が伝えたいことを私に教えてくれた。
私は、この本を読むまでエンパシーという言葉を知らなかった。
世の中ではよく話題にあがっているらしい。ブレディさんは、以前の著書でわずかにエンパシーに触れただけだったが、そこへの反響が強くて、あらためて、この本を書いたそう。
誰かのことを考えるとき、自分の経験から考えてしまう。エンパシーに似た言葉、シンパシーなんかは、自分に蓄積されているものから、自然と生まれてくる。
ふと考える。私は「エンパシー」の力によって紡ぎされているだろう言葉に救われてきた。
妊娠出産を経験したことがない、男性の先輩がくれた言葉。
ラジオのパーソナリティーさんが答えてくれた言葉。
私のことをよく知っている、まったく知らない。それでも、そのときに私が伝えた言葉から、表情から、私を論理的に想像して、言葉をくれた。
私はそんな言葉を紡ぎだせるようになりたい。
ありがたいことに、エンパシーはトレーニングで鍛えることができるらしい。
その人は何を感じ、どう思ったのか。論理的に、想像する。この感情はどういったもので、なぜそれを感じたのか。
それを、私の立場で考える。私の立場から言葉を行動を紡ぐ。
ジェンダーの溝は、シンパシーでは埋めることはできない。埋めることができないからって、シンパシーで分かり合える人達だけで固まっていたら、いつまでも変わらない。
エンパシーの力を使って、自分の立場から相手のことを考えてみるんだ。共感できないかもしれない、賛成できないかもしれない。でも、エンパシーの力を使って相手を思うことは、相手の存在を認めることになる。
それだけで、コミュニケーションの半分は解決しているんじゃないだろうか。
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