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「VtuberあるいはVライバー(さらに言えば活動者全体)が語る『推しは推せるときに推せ』という言葉は、時に自らの活動を人質にとった脅迫となる」という話。

 『推しは推せるときに推せ』——この言葉は、いわゆる " 推し活 " に励んでいる人間であれば、今や誰しもが見聞きしたことがあるはずだ。それほどまでに世に浸透したこの言葉に対して、筆者はぼんやりとした嫌悪感を抱いている。その理由こそ、「VtuberあるいはVライバー(さらに言えば活動者全体)が語る『推しは推せるときに推せ』という言葉は、時に自らの活動を人質にとった脅迫となる」からである(爆速タイトル回収)。

『推しは推せるときに推せ』という言葉
なんと、ハッシュタグにもなっているらしい。

疑問:『推せるとき』ってなんだ?

 『推しは推せるときに推せ』という言葉について考えるとき、最も考察の余地があるのが『推せるとき』という部分である。『推せるとき』ってなんだ?『推せる』=「推すことができる」であることはわかる。じゃあ、「推すことができるとき」ってどういうときだ?

 前提として、推しが活動しているときであることは間違いないだろう。だって、推しとなる対象がいなければ推し活はできない。これはまあ、正しい。実際、推していた活動者がいざ配信を引退するときになって「もっと推し活に励んでいれば……」と悔やんだ経験がある人も沢山いるはずだ。ファンによる推し活は、活動者のモチベーションに直結しているといっても過言ではない。筆者のような、小規模のファンに支えられて活動しているVtuberあるいはVライバーの場合は殊更に。であれば、『推しは推せるときに推せ』という言葉は、『推しは(そのモチベーションを維持してもらうためにも)活動しているうちに推せ』と言い換えることが可能であると言えるのではないだろうか(もちろん、そのやり方を間違えてしまっては元も子もないのだが……それはまた別の話)。

でも、ここで思考を止めるVtuberあるいはVライバー(さらに言えば活動者全体)は絶対に間違っている。

 上記のような前提があるとはいえ、VtuberあるいはVライバーがこぞって「俺・僕・私が活動を辞めないように、出来る限りの推し活に励んで!」という意味で『推しは推せるときに推せ』と言い出すのはおかしい。何故って、『推しは推せるときに推せ』というのは、あくまでもファンが自分のために語る言葉だからだ。例えば、生徒が「将来の自分のために勉強しよう」と言い出すのと、教師が「将来の自分のために勉強しなさい」と言い聞かせるのでは全く印象が違ってくる。要は、VtuberあるいはVライバーが語る『推しは推せるときに推せ』という言葉は、自らの活動を人質にとってファンに推し活を強要する言葉に他ならないのだ。このような意味で『推しは推せるときに推せ』と発言した心当たりがあるVtuberあるいはVライバーは、割と本気で反省してほしい。まあ、何らかの事情があって、仕方がなかったのかもしれないけどね……?(急な弱腰)

再考:『推せるとき』ってなんだ?

 では、VtuberあるいはVライバーが『推しは推せるときに推せ』という言葉を語るとき、その言葉はどうあるべきだろうか?その正解に近づくために、再度問い直そう。『推せるとき』ってなんだ?『推せる』=「推すことができる」であることはわかる。じゃあ、「推すことができるとき」ってどういうときだ?

 推し活の内容は多岐に渡る。VtuberあるいはVライバーに絞っていうのであれば、主に以下のような事柄が挙げられるだろう。


  • 各種サイトのフォロー・通知登録

  • 配信・動画の視聴・反応
    (コメント・高評価)

  • SNSへの反応(いいね・RP・リプライ)

  • 各種サイトのメンバーシップ登録

  • 配信・動画への投げ銭

  • オンライン・オフラインイベントへの参加や
    コラボ商品の購入


このうち、上の3つは金銭を伴わない推し活であり、下の3つは金銭を伴う推し活である。金銭を伴う推し活は、当然金銭的に余裕があるときでないと難しい。では、金銭を伴わない推し活はというと、これも時間的・精神的に余裕があるときでないと難しい。……さて、お気付きだろうか。ここで共通するのが「余裕があるとき」という言葉であり、これこそ『推せるとき』の正体なのである。何故って、余裕がないときに目を血走らせながらするような推し活が長く続くはずもない。義務化した推し活が苦痛となり、最終的には「推しが推しじゃなくなってしまった」なんていう、本末転倒な結果にも繋がりかねないのだ。

「VtuberあるいはVライバー(さらに言えば活動者全体)が語る『推しは推せるときに推せ』という言葉は、『推しは余裕があるときに推せ』という言葉であるべき」という話。

 考えたことをひたすら書いているうちに、記事のタイトルが変わってしまったらしい。……とにかく、『推しは推せるときに推せ』という言葉は、『推しは(そのモチベーションを維持してもらうためにも)活動しているうちに推せ』と言い換えることが可能であるが、これはあくまでもファンが自分のために語る言葉であって、VtuberあるいはVライバーが同様の意味で語る場合、自らの活動を人質にとってファンに推し活を強要する言葉に様変わりしてしまう。そして、余裕のない推し活はファンの寿命を縮める結果に繋がりかねない。だからこそ、VtuberあるいはVライバー(さらに言えば活動者全体)が語る『推しは推せるときに推せ』という言葉は、『推しは余裕のあるときに推せ』という意味であるべきなのだ(2回目のタイトル回収)。

 筆者が主な活動場所としているスマートフォン向けの配信プラットフォーム「IRIAM」では、毎週様々なイベントが開催されている。

その中で、他のVライバーとイベント期間中の投げ銭の総額で競い合うこともあり、ファンの方々に「今週に限っては多少の無理をして欲しい」と頭を下げることもある。しかし、それはあくまでも緊張と緩和を繰り返す活動の一場面であり、例えば「今週頑張ってもらう代わりに翌週は休んでもらおう」といったメリハリをつけるように心掛けている(つもり)。もちろん常にクソデカの熱量で推し活をしてくれるファンがいたとして嬉しいことに違いはないのだが、そのような推し活がファンを短命にしてしまうのであれば、もっと気楽に、だけれども長く推してくれたほうが、きっと100倍嬉しい。

……ね、そうでしょう?
そこのVtuberさん、あるいはVライバーさん。


bondlive所属 Vライバー3期生
大海原リュカ

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