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第44回 結婚式、それは人生で最も幸福な日

 そして季節は秋となり。
 いよいよディズニーシーでの結婚式当日の朝を迎えた。

 私は窓の外を何度も眺めては、落ち着かずにそわそわしていた。
 天気は曇り空。雨が降りそうな気配もある。

(どうか晴れますように……!)

 必死で祈りを捧げる。
 私がここまで晴天を望んでいるのにはわけがある。
 それは、結婚式のオプションで、パレードとゴンドラ周遊を行うこととなっていたからだ。しかし、天気が良くなければそのイベントは中止となってしまう。風が強くても、安全面から、ゴンドラの運航は止まることとなる。
 とても大事な結婚式だ、せっかくだからお嫁様が望んでいたミニパレードくらいは実現させてあげたい。

 暗雲立ちこめる中、ハラハラした思いを抱えて、私とお嫁様はホテル・ミラコスタまで車で向かった。

 招いているのはごく一部の親族だけだった。
 そのため、会場での案内や応対等は特に苦労することはなかった。すぐに出席者は全員集まり、それぞれ談笑を始めた。

 やがてウェディングドレスに身を包んだお嫁様がやって来た。
 映画アラジンのヒロイン・ジャスミンをモチーフにした特殊なウェディングドレス。
 あまりの綺麗さ、可愛さに、見ているだけで幸せな気分になってくる。自分はなんて素敵なお嫁様と結婚できたのだろうか、と嬉しくなる。

 そんな中で、私には気がかりなことが一つだけあった。

 私の母だ。

 母は、ある年から鬱を患っていた。
 私が実家にいた頃からすでに年々様子がおかしくなってきており、しょっちゅう塞ぎ込んだ表情を見せるようになっていた。
 三年前に、母方の祖母(すなわち母の母)が亡くなってから、鬱の傾向は現れているように思えた。
 一年前に結婚が決まって、両家初顔合わせとなった時も、どこか疲れたような、沈んだ表情を浮かべていたのを憶えている。

 待合室にいる母の様子を見ていると、比較的いつもより元気そうではある。だけど、どこかくたびれた雰囲気も漂わせている。

(この結婚式を楽しんでくれればいいんだけど……)

 そんな風に私は心配していた。

 ※ ※ ※

 いよいよ時間が来た。

 ミラコスタの中にある教会に、出席者は皆集まっている。私とお嫁様は、教会の入り口に立って、自分達の出番が来るのを待っていた。

 お嫁様は、彼女の母親にベールを直してもらいながら、感極まって泣いている。私は、彼女が超結婚式の時も泣いていたのを思い出し、本当に可愛いお嫁様だなあ、とほっこり温かい気持ちに包まれた。

 そこへ、ポルト・パラディーゾ――ディズニーシーの中にある港町――の市長が姿を現した。
 結婚式の立会人は、神父ではなく、このポルト・パラディーゾ市長が務めてくれるのである。
 ずんぐりとした体型の見るからに陽気そうな西洋人のおじさんが、私達のことを見て、ニコニコと微笑んでいる。その笑顔を見ていると、少し緊張が薄れてくるような気がした。

 まず先に市長が教会の中へと入っていった。
 軽快な音楽とともに登場した市長の姿に、きっと出席者はみんな驚いたことだろう。
 教会の中から、一同の「アモーレ!」という掛け声が聞こえてくる。市長が「サア、皆サンゴ一緒ニ!」と音頭を取って、結婚式での掛け声の練習をしてくれているのだ。

 そして、ついに私の出番がやって来た。
 新郎入場だ。

 意気揚々と入っていき、市長の前まで歩み寄っていく。

「格好イイデスヨ!」

 市長は小声で私にそんな言葉を送ってくれたりした。

 それから新婦の入場。あちらの父親に連れられて、厳かにステップを踏みながら、こちらへ向かってくる。

 私は、お嫁様のことを見据えながら、視界の端で、最前列にいる母の様子を窺った。
 母は、少しだけ笑みを浮かべているものの、硬い表情をしている。

(しょうがない。今日だって心身が弱っているから、電車ではなくてハイヤーを使ってやって来たくらいなんだ。むしろ結婚式に出席できていることがラッキーなくらいだと思おう)

 誓いの言葉や指輪交換、誓いのキスと順調に行い、証書にサインをしたところで、結婚式は終わりを迎えた。

 だが、まだここからが本番だ。

 外からは光が差してきている。奇跡的に晴れてきたのだ。それはすなわち、パレードとゴンドラ周遊が出来る、ということを表している。

 出席者の皆さんは先に外へと出ていった。

 その後、私とお嫁様は教会のバルコニーに移動した。
 高所にあるバルコニーから地上を見てみると、そこはもうディズニーシーの敷地内。結婚式の出席者だけでなく、一般の客さん達も集まっていて、みんな拍手で祝福してくれた。
 まさか、こんなにもギャラリーが集まっているとは!
 王侯貴族にでもなったかのような気分の良さに、私は有頂天になりながら、お嫁様と一緒にゆっくりと階段を下りていく。

 そして、あと二段、というところで――

 私は足を踏み外した。

 バランスを崩し、転びそうになるのを、必死で耐えた。

 ギャラリーはハッとなって息を呑み、ほんの一瞬、拍手の手が止まった。けれども、私が無事に持ちこたえて、再び歩き始めたのを見て、ホッとしたようにまた祝福の拍手を送ってくる。

「アモーレ!」

 横から、親族がライスシャワーをかけてくる。

 その中には、母の姿もあった。

「アモーレ!」

 母は、にこやかに笑っていた。

 昔の元気だった頃の、母の笑顔。それが今この瞬間、戻ってきた。

 私は胸の奥に熱い喜びを感じた。

 それと同時に、楽隊が音楽を奏で始めた。
 パレードの始まりだ。

 空は青々と晴れ渡っている。朝の曇天が嘘のようだ。
 陽気な音楽に合わせて、親族も、知らない人達も、みんな笑顔でパレードを楽しんでいる。
 ゴンドラ乗り場へと向かいながら、私もまた満面に笑みを浮かべて、周りの人々に手を振り続けた。

 今日は人生で最も幸福な日だと、しみじみ感じていた。

 ※ ※ ※

 ゴンドラの周遊が終わった後は、親族十数名だけで集まっての会食となった。コンパクトであるがゆえに、距離感が近く、和気あいあいとした食事の場であり、実に楽しいものであった。

 母はすっかり元気になっており、自分から進んで話すことはなくとも、終始笑顔でみんなの話を聞いていた。

 結婚して以来、なかなか会う機会が減っている母。
 父との二人暮らしで刺激も少なく、気が塞ぐことも多いだろう。
 そんな母が、この結婚式を機に、少しでも心身共に良い状態へと向かってくれれば、と願っていた。

 ※ ※ ※

 だけど、幸福な時間は、長くは続かなかった。

 会社でのパワハラはますます強くなっており、拳法でもいまだやることが多岐にわたっていた。気張ってはいたが、少しずつ、私の心はすり減っていった。

 頼みの綱の『金沢友禅ラプソディ』についても、X社からは全然連絡が来ない。どうなっているのかと思って、とうとう問い合わせのメールを送った。

 ある日。十一月に入ったところで、X社から返事が来た。

 それを見た瞬間、私は失意の底へと叩き落とされた。

 そのメールにはこう書かれていた。

「レーベルの現状が厳しくて、少しでも実績のある方を優先しております。以前お話しした以上に、弊社で刊行できてもかなり少部数になってしまうと思いますので、もし逢巳さんに心当たりがあれば他社にお持ちいただいた方がよいかもしれません」

 事実上の戦力外通告。
 遠回しなお断りの文章であった。

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