友人と会ったことと出会い系アプリについて思うこと

 友人が時期外れの帰省をしていたから、久しぶりに飲みに行った。

 客が僕と友人以外誰もいない静まりかえった店内。
 僕と彼は大学に入ってすぐ知り合って考えてみたらもう八年ぐらいの付き合いになる。なので近況報告が終わればもう話すこともほとんどないのでお互い最近読んだ小説のタイトルをだらだらと述べていき、面白かった小説には「これは面白かった」と一言だけ加える、ということをやっていた。

 僕が村上春樹の小説を読んだ、という話から話題はハルキストになった。今年もハルキストはどこかの居酒屋で机の上に村上春樹の小説を並べて作品について語りながら待っていたのだろうか、とか。ノーベル賞を受賞したらハルキストはもうノーベル賞の発表を待つ会が開けなくなって逆に落ち込んでしまうんじゃないか、とか。

 ハルキストはきっと村上春樹がノーベル賞を受賞しても、何かと理由を付けて集まりそうだけれども。

 その話の後に、僕に恋人がいないという話になった。

「誰か良い人いないの?」と友人。
「出会いもないしなぁ」
「ハルキストは?」(前の会話から中身の一部分を引っ張ってきて繋げるというユーモア)

 僕は熱心な村上春樹のフォロワーではないので、ハルキストの圧にあてられてしまったら粉々になってしまう。

 ただ恋人にするなら村上春樹を読んでいない女性よりも読んでいる女性のほうがいいなと思った。
 

 この友人は最近彼女ができたらしく、どうやら出会い系アプリで知り合ったらしい。

 最近他の友人からも色々と話を聞くが、出会い系アプリや街コンで異性と出会うパターンがメジャー化しているように思う。

 あらためて考えてみると、出会い系アプリで新たな友人、彼女を探すには非常に理にかなっている。

 自分の趣味嗜好が合うひとと偶然巡りあえる確率なんてほぼゼロに近い。というかそもそも新しい出会いというものが現代社会ほぼ存在しない。一昔前は出会いのために合コンを開いていたような男性はきっともう出会い系アプリやら街コンやらで忙しいのだろう(単純に僕が合コンに誘われていないだけかもしれない)。

 出会い系アプリでは相手のプロフィール欄を読んで趣味嗜好が合うかすぐわかる。合理的だ。

 僕も急に寂しくなったりして誰かと話したいときがあって出会い系アプリを少しだけやっていたことがあるけれども、うまくいかなかった。僕には知らないひとに特に何も聞きたいことはないし話したいこともないから会話を続けることができなかった。

 そもそも出会い系アプリの仕組み上、男性から女性へのアプローチが主流となっているらしく、男性は多くの女性に必死にメッセージを送る続けるが、女性は数多のメッセージに気まぐれに返信をしているだけに過ぎない(勝手なイメージ)。男性はその気まぐれの返信に対して、次の会話に繋げるようなメッセージを考えて送信する必要がある。中々骨のある作業だ。僕はそれができなかった。

 ただインターネットが普及した社会において出会い系アプリという方法に僕は肯定的になっている。便利なものを有意義に使用しているだけだ。
 

 友人と別れて帰路に着いていると駅前で女性に不意に声をかけられた。

「お金がなくてタクシー乗れなくて、千円ぐらいでいいので貸して欲しいのですが」

 その女性が言うには、キャッシュカードが磁気不良で使用できなく、さらには交番に行ってみても警察に「キャッシュカードの磁気不良では金は貸せない」と断られたとのこと。

 時刻を確認すると午後十時。まだまだ終電には間に合う時間だ。その女性の年齢はおそらく三十歳前後。髪の毛が痛んでいてくすんだ金色をしていたので、あるいはもう少し若かったのかもしれない。

 明らかに嘘っぽい話だなと思った。本当だとしても、お金に困っているからといって見ず知らずの他人から借りようとする魂胆がわからない。歩いて帰るなり知人に連絡するなり方法はあるはずだ。

 なので僕はお金を貸さずにその場から立ち去ったけれど、ふつふつと後悔が胸に沸いていた。

 別に千円程度あげてもよかったのではないか。あのひとは本当にお金がなく困っていたのではないのか。あのひとはすぐに連絡できるような知人がひとりもいない孤独なひとだったのではないか。そんな孤独で誰からも助けてもらえないひとを僕は助けてあげられなかったのではないか。

 見ず知らずの他人の言葉を信用して善行ができる人間になりたいと密かに思っていたのだけれど、実際の僕はすぐに疑心暗鬼になってしまってそれができていない。あまり他人を信用しなく、自分さえも信用できない人間が僕だ。ずっと疑いっぱなしで凝り固まった精神はすぐには解けてはくれない。

 僕はもっと優しい人間になれたらいいのに、と日々思っている。


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