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現代アーティストが何かの境界に注目してる気がしたことから考えた定義のこと

現代アートの作家の作品コメントとかを読んでて思ったんですが、アーティストって〇〇と〇〇の間っていうのを表現する人が割と多い気がします。

自分も韓国で展覧会をした時のタイトルが「生物と非生物の境界についての調査研究」だったりしてます。日本人って言われたら日本人になるし、アーティストって言われたらアーティストになるし。

言語って分類と定義に使いやすいですが、定義に完全に当てはまらない物も出てきます。カモノハシは哺乳類なのか鳥類なのか、みたいな感じですね。境界部に注目するっていうのは、定義に疑問をもつっていうことなので、アーティストの基本姿勢と言えるのかもしれません。

性別ってなんでいるんだっけ。社会ってなんのことだろう。仕事ってなあに。

性別の分類はいくつあればいいの。そもそも分類はいるの。
仕事と遊びが混ざっていてその境界はなくなってるよね。

みたいなところから、現代の社会に必要な定義について、作品を通じて改めて考え直そうとすると、どうしても境界にいきついてしまうのかも。

しかし、逆に言うと、楽をしてるのかもしれないなって思ったんですね。境界を探るって言えば、それだけでコンセプトがそれっぽくなってしまうんじゃないかと。

境界の位置をずらす、あるいは位置を増やしたり減らしたりするのではなく、別の定義で覆ってしまうとか、もっと他の問いかけのし方があるのかもしれないと考えました。

哺乳類と鳥類の境界を動かして、新たに哺乳鳥類みたいなカテゴリをつくるんじゃなくて、タンパク質多めのやつら、みたいな新カテゴリをつくるとか、ロボットとヒトも含む動物を二足歩行生物として囲ってしまうとか。

結論が出てるわけではないのですが、境界に注目する以外に、既存の定義に疑問を投げかける方法をもっと考えても良いのかもしれない。

そんなことをふと考えた夜でした。

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