見出し画像

現代アートと社会を隔てる「目利き」の存在~現代の「目利き」を再定義しよう

目利きって言葉、よく聞くんですよね。この言葉は私はあんまり好きじゃなくて。この言葉の影響で現代アートが一般と離れてしまう気がするし、人をセンスがある人とない人で分けてしまうような気がするのです。

もともと獣医から現代アートをやり始めた私は、割と理論によってアートをつくっているので、あんまりセンスを使っていません。合わせて技術も。それよりも「公式」をつくることを意識してつくっていたりします。

今日は一般と専門性の高いアートを繋ぐ存在として、目利きを再定義しよう。

専門性が障壁の一つ

「私はアートのこととか全然わからないから」

このセリフ、これまでに聞いたことがある人ってどれくらいいますかね?私はすごくたくさんあります。今の自分はアーティストをやっていますが、自分がアーティストだと名乗って、あんまりアートに関係ない人と話すときにはだいたい言われます。っていうか、アーティストになる前の私も余裕で言ってましたw

画像1

このセリフが象徴していることって、アートが「専門家」と「そうでない人」に分かれているってことなんですよね。

デュシャン以降、単に「きれい」なだけではないアートが増えてきて、さらにそれらが高額で取引されるようになってきたこともあり、アートが「分かる人」と「分からない人」とに分かれるようになってきたんですよね。

私自身も昔は「アートとかよくわかんないよなぁ」って言ってた側なので、分からないし別に関わらなくておけ、という気持ちもよく分かります。普通に生きてたら現代アートの必要性を感じないですよね。

ただ、現代アートが「社会」との関係性を求められているように、もともとの存在意義自体は「今」を生きている人たちに向かっているものなんですよね。

画像2

過去のアーティストを見ても、反戦を訴えるものもあるし、ヨーゼフ・ボイスの社会彫刻(好き)という概念も、一人一人が社会全体を形作るアーティストなんだということを訴えています。

そもそも、社会にはアート関係者より、そこまでアートに関係していない人たちのほうが多いわけです。「専門性」を感じて一般の人がスススっと引きたくなる状態よりも、一緒に社会について考えたくなる状況というのを現代アートは目指しているはず。

画像4

「最初っからアート畑」にいると、ここを見失いやすいし、「専門家」ぶることで一般と自分たちを隔てる発言をしてしまいがち。それは自己防衛もあると思うんですけどね。自分の作品がそこまで成熟してないから「オレは専門家!」って言っちゃうことで深く追及されるのを避けるというか。

画像5

オレはセンスあるんだぜ!って言われると、それ以上なんともいいようがないですよね。だってセンスってどっちが上とかよく基準がわからないですもん。

画像3

現代アートのおもしろさとどこで出会えるのか

批評家やキュレーターと一般の人が話す機会は、講演会とかミュージアムツアーに行かない限りなかなかないし、日本でふつうに生きていて「アートのおもしろさと出会う機会」ってかなり少ないと思うんですよね。

そもそも、小中学校の美術の授業で現代アートは習わない。美術に限らずなんですが、どんな教科もおもしろく教えてくれる先生さえいれば、楽しく学べると思うのです。(私が高校生の時の社会科の先生がすごく教え方がうまくてですね、受験に使わないんだから政経なんて3年次でやらせんなよ!って思ってた自分の考えを変えてくれました)

細胞内生活音4

現代アートも、身近におもしろさを教えてくれる人がいたら、ぜんぜん違って見えると思うんですよ。「感性で見ればいい」だと、「私はセンスないんで」ってなっちゃう人いますよね(私がそうです)。「彼らは一流の目利き」だと「すごい人がいるんですね。私は全然わからないんで」ってなる人いますよね(私がそうです)。そういうのが実は、一般と現代アートを隔てる壁になっているんじゃないかと。

細胞内生活音1

目利きの定義が「良いアートを見抜く人」みたいになってるから、分かる人分からない人が生まれてしまうし、アートと一般が離れてしまうというのはあるんじゃないかな。「目利き」の存在だけではないと思いますが、そもそも「アーティスト」っていう名称自体がちょっとセンスある人感出してるもんね。コレクターとかもね。資格職業でもないのに。

音と細胞2(4)

目利きを再定義しよう

こういったことを踏まえて、目利きっていうのが何かを再定義してみます。

アートの面白さを一般に分かるように伝えられる人=目利き

自分がアーティストであるなら、少なくとも自分の作品のおもしろさは知っているはず。自作に興味を持つ人がいたら、それを話したらいい。

そういう「アートのおもしろさを説明する人」が増えたら、現代アートはもっと一般に開かれるんじゃないかなぁと。そしてこの定義なら、ほとんどのアーティストはちゃんと目利きになる。「センスあるなし」でなく、誰もが楽しめるものになる。

音と細胞2-(2)

私はね、もともとアート畑出身ではないので、現代アート意味不、な気持ちも分かるんですよ。そもそも「アートとか言ってわけわかんないことやってる人ってかっこつけてて偉そう」って思ってました。

どうやって見て行けばおもしろくなるのか、どんなところから学びが得られるのか、数学の公式を覚える時と同じく、最初のとっかかりを教えてくれるなにかに出会わなければ、やっぱり分からないんですよ。だって、全く習ってないし、学ぶ機会がないですもん。

でも、アートが目指してる本当のところ、良さの一つって「壁をつくらないこと」だと思うんですよね。音楽は国境を越えると言われるように、アートだって言葉なく通じるものがある。

アートという存在がそうであるなら、それを取り巻く環境ももっと一般に開かれたものであれ、と思うのでした。まぁ、本当に一般に浸透させるなら、「目利き」っていう用語を変えるのではなく、アートエバンジェリスト(アート伝道者)とか新用語をつくったほうがいいと思いますけどね^^

ここまで読んでいただきありがとうございました。
こちらの記事は、2019年6月にみじんこブログで書いた記事をちょっと整えたものです。気に入ったらスキしていただけるとうれしいですよ!

その他のアート関連情報はこちらから

▼現代アーティストになりたい人のための~初心者の第一歩から海外展開まで役立ち記事まとめ
https://mijin-co.me/art_article_matome/

▼Ouma作品はギャラリータグボートさんで購入できます。
https://ec.tagboat.com/eccube_jp/html/products/list.php?author_id=100354&tngs_flg=0

▼OumaのArtStickerはこちら


ここまで読んでくださってありがとうございます! スキしたりフォローしたり、シェアしてくれることが、とてもとても励みになっています!