著作権は幻想にすぎない『哲学者マクルーハン 知の抗争史としてのメディア論』
今日の読書メモはメディア論について。
サピエンス全史と合わせて、とても興味深い書籍だったので、気になったところを今回もメモしておきます。
メディアの違いにより、体験が違うことについて。信頼できるメディアかどうかによって、情報を受け取る姿勢も変わってくるし、伝え方によっても受け取り方が変わってきそう。
アホっぽい現代アート作品も、めちゃくちゃカタイ文章で伝えられたら、なんか深そうに感じちゃうだろうし、逆もまたしかりだよね。
まさに今、AIの台頭で著作権が問題になってきてますよね。人間自体が遺伝子による模倣の拡張(模倣の変化)みたいな感じで進化してきたし、あらゆるものは、他者からの影響+解釈のふり幅(突然変異)みたいな感じで変わってきたので、オリジナリティっていうのは、もはや原子みたいなもんなのかもしれないですね。
著作権っていうものに、もしかしたら一部の人類は価値を感じなくなってくるのかもしれない。そんなことを想像してみました。
言葉によってコミュニティが生まれ、コミュニティによって個人が形成される感じがしたので、とても腑に落ちました。使う言葉によって、環境の認識の仕方が変わるはずで、言葉はそのまま社会の見え方を表すものな気がしますね。
外にある物を内包して拡張してきた、という概念がとてもおもしろいんですよね。パソコンは自分の脳の拡張といえる。すでに自分よりも自分のことを覚えているし、電子機器は身体の一部。
まさに!
自分自身が拡張していく、という概念はとても腑に落ちます。
ここまで読んでくださってありがとうございます! スキしたりフォローしたり、シェアしてくれることが、とてもとても励みになっています!