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ハシグチリンタロウ×山本尚志「GRAM FORCE」に寄せて~書のアイデンティティーとは何か

東京・天王洲のYUKIKOMIZUTANIで、現代アートのジャンルで活躍する書家のハシグチリンタロウと山本尚志による展覧会「GRAM FORCE」が開催中。会期は7月14日〜8月12日。

トークショーで、山本氏とハシグチ氏に「書のアイデンティティー」について聞いた。私は自分の作品に文字を入れることがあるが、自分のことを書家だとは思っていない。だが、文字の入った私の作品を、山本氏は「これは書である」と言う。


文字が入っていれば、山本氏にとっては「書」なのか。しかし、ハシグチ氏の作品には、明らかな文字が、少なくとも他者から見て文字だと思えるものが入っていないこともある。それでも本人たちはどちらも自分が「書家」であると名乗っている。つまり、書というアイデンティティーを抱えて作家をやっている。

ただし、その出力には明らかな違いがあり、二人が「書」をどうとらえているのか。何があれば「書」なのかを知りたくて、この質問をしてみた。

「書のアイデンティティーは何だと思いますか?」

山本氏は「記憶」をテーマにした作家で、幼い頃から絵や文字を書き続けてきた。0歳の時の記憶があるという山本氏は、幼い頃に新幹線の絵を描き、その窓のすべてに「マド」「マド」と書いたことで、先生から「絵に文字は書いちゃいけません」と怒られたことがあるのだと言う。それでも自分は文字を書きたい。トイレットペーパーの芯に「これはトイレットペーパーの芯だー」と書いた山本氏には、文字を書きたいという思いがある。

文字が書かれているものを、そこに絵があるかどうかに関わらず、「書」として見ている山本氏にとって、「書とはオピニオン(意見)」なのではないか、という気がする。

マルセル・デュシャンが物を選択し、そこに作家のサインを入れることで作品にしたように、山本氏は記憶の中の言葉を現在の物体に名付けるように乗せることで、過去と現在をつなぎ、記憶の中の世界がまるで現実に存在しているかのように扱い、これは〇〇なのだ、と主張しているのではないか、そんな気にさせられた。

なるほど、文字というのはそもそも、他者に伝達するためにある。そこには、伝えたいという意志あるいは、意図がある。書のアイデンティティーとは、書く者の意見(伝えたいこと)なのかもしれない。

ハシグチ氏は、制作の時に自分の中に伝えたい思いがあり、それが紙にぶつかり、紙の上でさらにうごめいたものが作品化していくように制作している。昔からパンクロックに惹かれていたハシグチ氏は、言葉を文字や形というよりもまず、音の振動として捉えており、全身を増幅装置としてその振動を紙に伝えて固定しているのかもしれない。

トークショーの後にハシグチ氏と話した感じでは、書家と名乗る人たちは何にせよ、作品の起点が「文字」であり、文字に対する興味・探求心がとても強いように感じた。それはもしかしたら、真に自分が残すべき「最期の意志」への探求なのかもしれない。

会場にいた美術批評家の清水穣氏に同じ質問をしたところ、「書のアイデンティティーは意味のある記号であること」だと言っていた。とはいえ、この作品が書なのかと言われたら、「違う」と答えるというのも興味深かった。というのも、ART SHODOの活動自体が、書を新しく定義づけようとしてる活動だからとのこと。

展示空間も非常に独特で魅力的。

ぜひ足を運んでみてください!

ハシグチリンタロウ×山本尚志「GRAM FORCE」

会期:2023年7月14日〜8月12日
会場:YUKIKOMIZUTANI
住所:東京都品川区東品川1-32-8 Terrada Art ComplexⅡ 1F
電話番号:03-6810-3885 
開館時間:12:00〜18:00
休館日:日、月、祝日
料金:無料

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