人々が社会を治療し、社会が人を癒すという「社会治療」という医療概念について
アーティスト・イン・レジデンスという海外のアート滞在型アートプログラムに提出するときにプロジェクト企画の下書き公開です。
レジデンスがいいのは、現地の批評家やキュレーター、アートディレクターなどと話せること。同居アーティストがいれば彼らの作品を見たり話を聞いたりすることができます。
現代アートを独学する人にとっては、こういう実践的な機会がとても学びになると思っています。同時に、こうしてプロジェクトの企画を文章にまとめるというのが自分の脳内を整理するためにもとても有用だなぁと思っています。
言語化できるということは、自分で理解できるということ。
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社会治療という概念を体験型のインスタレーションで表現したいというのが、本プログラムでの私の目標です。
これは、人は社会を癒す医療者であり、同時に社会から癒される存在であるという、社会と個人との関係性を表す造語です。
私は元獣医師として、薬剤や手術を使わない治療(癒し)の可能性について考えるうちに、現代アートの力によって医療のコンセプトを変えられないかと考えるようになりました。
医療の本質は、人に安心を与えること、人の心の癒しです。
病気の治療や手術はその手段です。
人の心の癒しとは何かを考えるにあたり、私はまず、生命とはなにかを改めて定義することにしました。エリザベスキューブラーロス博士によると、人が最も苦しみと感じるのは「死」です。このことから私は、死をなくすことができれば、人が最も苦しみを感じることがなくなると考えたのです。
生物学の定義では、細胞が生命の最小単位といわれています。
あるいは自己治癒力をもつものが生命だとする定義もあります。
私は生命を「愛着」と再定義しました。
生命とは愛着で表される非常にあいまいな概念で、ある人にとっては椅子が生命になり、また生命の度合いが愛着の強さによってさまざまに変わります。
つまり、「対象物」がどの程度生命であるかが人によって異なるということです。
生命ではないはずの物体の中の「生命性」の表現および、細胞を最小単位とする集合的生命観がこれまでの私の作品の探求テーマでした。
しかし、生命性の探求が果たしてどこまで普通の人の暮らしや癒しに役に立っているのかと疑問をもち、より人の癒しになる方法を突き詰め始めました。
そして行きついたのが「社会治療」という考え方です。
ヨーゼフ・ボイスの「社会彫刻」はすべての人をアーティストにしましたが、「社会治療」はすべての人を医者にし、すべての人を患者とする考えです。
医療はこれまで、個人の病気を治すことに特化していましたが、精神病や自殺者が増えている近年では、本人を環境も含めて治療するという考えが必要なのではないかと私は考えます。
特に日本は自殺率が高い国であり、2019年の自殺者は約2万人、全体としては下がってきてるものの、20歳未満の未成年者の自殺率は増加傾向にあります。ほかに、先進国の中ではアメリカは、自殺率が増加している国のひとつです。
また、日本は個人責任が強い国であり、犯罪を犯したら本人とその家族の責任、医者がミスを犯したら医者個人の責任というように、個人責任を強く問う社会傾向があります。
個と全体が日本では分離している部分があります。
世界的に見ても非常に要求量の高い日本人は、他者のミスを許容できない社会傾向の中で、自らプレッシャーを抱えているのではないでしょうか。個人への責任追及が強ければ、個人はミスをした時に隠そうとしてしまいます。
また、責任の重さから、経験を積んだ医療者が現場を離れてしまうことで、医療全体の質が下がってしまうことも起こりえます。
もしも、社会が責任を取り、「私たち」で課題解決しようとする認識があれば、何かが起こった時の個人の負担が下がります。
よりオープンに情報開示できるようになり、細胞たちが体の中で体のために必死に働いているように、私たちは社会のために働き、健康になった社会の恩恵を受けられるようになるのではないでしょうか。
ポール・グレアムは「都市と野心」で、都市が発する声について言及しています。
私は2016年より、世界9カ国13カ所のアーティスト・イン・レジデンスに参加し、さまざまな町で暮らしてきました。町には確かに、その町が発する声があります。
ニューヨークは新しいものが好きだし、自分を尊重したがっています。
マンッタ(フィンランド)は自然と暮らすのが好きだし、穏やかな生活が好きです。
上海はあらゆる物事が始まるようなエネルギーに満ちています。
私は本プログラムでカシスという町を歩き、町が発する声を盆栽のような形式で体験型インスタレーションとしてくみ上げようと思っています。
町にある物を使って町を代弁するものをくみ上げる際、意識するのはMore is Different”(多は異なり)という考えです。
この言葉は、1977年にノーベル物理学賞を受賞したP.W. Andersonの論文のタイトルに使われていた言葉で、個人が集まって集団を成した時、個人とは違った性質を示すことを表しています。
私はこれまで、小さいものが集合して全体となる作品を多くつくってきました。生物学では細胞が生命の最小単位であり、37兆個の細胞が集まって1人の人になる。
さらに、人が集まって町となり、町が集まって国となるように、人の体と社会が相似の関係になっていることを表していました。
私たちは人としての命、細胞の集合体としての生命、社会という集合生命を構成する部分としての生命のように、さまざまな形式の生命を持つという「集合的生命観」が、私のこれまでの探求でした。
これを今回さらに、現実の町と合わせて作品化し、社会治療を一つの箱庭的作品で可視化しようと考えています。
私たちが社会に対して行える治療は「自分自身の配置」だと思っています。
自分を社会のどこに配置するか。
あるいは別の社会を所属先として選ぶのか。
鑑賞者は本作の中で、自らをどこに配置するかを考えることができます。
本レジデンスを選んだのはUrbanism(都市主義)のコンセプトをもった組織だからです。
今回、私は集合生命という概念をより、各々の都市に特化し、都市の縮図的な作品をつくろうとしています。
都市を俯瞰するように、自分自身を見つめ、社会と自らの関係を「配置」という体験によって考える作品をつくりたい。
社会治療という概念がどのように受け入れられるかを本レジデンスで問いかけたいと思っています。
この作品は私のキャリアにとっても、非常に大きな転換点となります。
町と対話し、町の声を代弁する作品をつくり、提案したいと考えています。
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